第30話 私に話しかけてきたのは

 裕子とお喋りをしながら帰り支度をしている時に話しかけてきたのは、年配のアジア系の男性だった。

「ピアノ、ヨカッタです。ジョウズにヒこう、ジャナクて、だれかにムカッテヒいてるデシタ。……」

 頑張って日本語で話しかけてくれているけど、いまいち何を言おうとしているか聞き取れない。すると、通訳らしき人が後ろから出てきた。

「こちら、世界で活躍していらっしゃるピアニストのサナダ・ソンユンさんです。今日のコンクールの審査員の1人だったのですが、あなたのピアノを大変気に入られたそうです。」

 ソンユンさんといえば、ピアニストではその名前を知らない人はいないというくらいの巨匠だ。今回のコンクールは審査員もやたらと豪華なメンバーを呼んでいたけど、その中でも群を抜いて高名な方が、どうして?

「私はソンユン氏のエージェント兼マネージャーのようなものです。ソンユン氏いわく、あなたのピアノはコンクールのために上手に弾こうとする感じではなかったですね。まるで目の前に誰かがいて、その人に向かって音を届けようとしている、そんな演奏だったということです。」

 たしかに山石君に届くように弾いたつもりだったけど、聞く人が聞いたら分かってしまうものなんだなぁ。

「おっしゃるとおりです。ともだ……親友に届けるつもりで弾いてました。でも、なんだかコンクールを私物化している気もして、これで良かったのか……」

 マネージャーさんが私の言ってることをソンユンさんに同時通訳してくれる。ソンユンさんは話を聞き終わると、大きく首を振って熱心に何か伝えようと話しかけてくれる。

「ソレが、イイんです。ペラペーラ、ペララペラペレ……」

「ソンユン氏は、それが良かったんだと。誰かに届けたい、届いてほしいという切迫感が音を豊かにしてくれて、聴く人の胸に響く演奏にしてくれていたんだとおっしゃってます。こういったコンクールの場でそんな風に演奏できる人はほとんどいないので、チャレンジしたあなたは本当に勇敢で素晴らしいと絶賛していらっしゃいます。」

「……ペラペーラペラッ、ペラペラランラララ……」

「ここからが本題なのですが、あなたは実力も申し分ないですし、想いを音に乗せることができる稀有な才能もお持ちです。つきましては……」

 マネージャーさんが淡々と説明を続ける中、その話の内容は去年までの私からしたらあまりにも現実離れしたもので、頭の処理能力が追いついていなかった。隣で一緒に話を聞いていたあの裕子でさえも、ついていけずに呆然とするだけで言葉を失っていた。

 マネージャーさんの言ってることはいまいち処理し切れてなかったけど、でも!一つだけ分かる!山石君に報告しなきゃ!

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