第19話 私の勝負の日

 気まぐれな秋の空が日の光を惜しみなく注いでくれている。快晴、まさにコンクール日和だ。きっと勝利の女神が私に微笑みかけてくれているに違いない……多分たくさんの人が同じことを考えてるんだろうけど。こんなもの信じたもの勝ちだ!

 しばらく電車に揺られてやってきたイベントホールの入り口には「日本全国ピアノコンクール」の看板が掲げられている。ここでのブロック予選で優勝すれば全国大会に出場できる。全国で良い結果を残せば、留学や海外のコンクール出場などピアノで食べていくきっかけができる。まさに私の人生のターニングポイントだ。あと、学校で山石君より有名になるっていう目標も達成できるかもしれない。

 気合十分に正面入り口をくぐり抜け、控え室に直行する。山石君が見に来るって言ってたけど、本番前は自分の世界に入りたいからできるだけ人とは会いたくないって伝えてある。顔を合わせるのは結果発表の時だ。

 控え室のドアを開けると、それまであったであろうざわめきがピタリと止み、突き刺すような視線を一身に浴びる。幼少期に経験した記憶が戻ってくる。表舞台に帰ってきたのは何年ぶりって感じなのに、昔のことを覚えている人が触れ回ったんだろうか。

「――あれが森野つばめか。」

「――小学生コンクールを荒らしてた子だよね。」

「――消えたんじゃなかったの。今更弾けるのかしら。」

 わざと聞こえるように言っているのか、密談が所々聞こえてきて精神を削ってくる。この感覚も懐かしい。小さい頃はこんな猜疑心のような悪意のような感情をどうやって流してたんだろう。いや、流せてなかったからあの日切れてしまったのか。

 でも、今は真っ向から受け止めて叩き折るくらいの気合いと余裕がある。

「――競い合うことに臆病にならないでいいんだよ。競争は成長の糧、競争相手は1番の仲間、だよ。」

 山石君の言葉を何度も繰り返しながら周囲を見渡す。これは悪意なんかじゃない、きっと高め合おうとする温かい眼差しなんだ。こんにちは、仲間の皆さん。

 そう思い込むことで心にも余裕が生まれて、不思議と他人の目も怖くなくなる。それに、私には目標があるんだから誰にも負けられない。もう簡単に折れたりしないんだから。1人で静かに闘争心を燃やしながら、それをぶつけられる本番を待つ。

 そして、1番から名前が呼ばれていき、半分ほどの演奏が終わった頃とうとう順番が回ってきた。

 舞台に上がって、はやる気持ちを抑えながらピアノの前に座って客席を見渡す。こちらを向いている強い照明に目がくらみそうになるが、うっすらと客席に人が座っているのが見えた。こんな短時間で照明も当たっていない客席の中にいる特定の人物を見つけるなんてできるわけないけど、この中にきっと山石君がいる。そう思うと気持ちはいつもの音楽室に戻り、指先に触れるピアノのからいつも通りの無機質な温もりを感じることができた。

 ピアノに手を置き、静かに目を閉じて幼い頃の楽しかった気持ちを思い出す。あの日、山石君に連れられて数年ぶりにピアノを弾いた日以来、これが私のルーティンになっていた。そして最後には期待のまなざしでこっちを見る山石君を思い出す、そこまでが1セットだ。何度思い返しても笑える。

 心の中で笑いながら脱力した瞬間、あんなに悩んで苦しんだ最初の一音も難なく滑り出てきて、そのまま次々に音が繋ぎ出されてくる。指もよく動いてくれてる……ピアノを弾けてる、ただそれだけのことなのに、こんなにも嬉しい。あの弾けなくなった時期があったからこそ、もっともっとピアノを好きになれた。ピアノを弾けることに感謝できるようになった。きっと、ずっと弾き続けることができていたらもっと上手にはピアノを弾けてたかもしれない。だけど、こんなに一音一音に心を込めることなんてできなかったはず。こんなに音を人に届けたいって思えるようにはなれなかったはず。

 届け、客席のみんなに。届け、いくら返しても返しきれない恩を送ってくれる、大好きな親友に。

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