第6話 中国での小学校生活〜青島編4.〜

ここからは私が中国の小学校での思い出を語るが、

なんのせ約20年前のことなので、今までと同じようにエピソードたちは

断片的でしか書けない。

良いことも悪いことも全部、私が記憶していることをありのまま書いていきたい。

ただ私の人生なので、私の主観でしか描写できない。

だから悲劇のヒロインのようになる時もあるが、このエッセイの目的は、

「あなたが生きた約30年間をエッセイにして書き綴りなさい」と占い師に言われたから。

私の今までの出来事や体験を書くことによって、気持ちの整理ができるようにするためなので、悲劇のヒロインぶってても、それが私が感じてきたことなので、その気持ちに素直になって率直に書いていきたいと思う。


時系列的に一番古いエピソードから書いていく。

一つ目はラメペン盗難事件。


当時の中国は、まだ発展途上国のような感じだった。

だから日本人の私が持っているものにクラスメイトのみんなは興味津々だった。

特に女子からの関心が非常に高く、一番みんなが目を輝かせたのはラメペンだった。

当時の中国の文房具はお世辞でもかわいいものはなかった。

例えば鉛筆は、いつの時代にデザインされたキャラクターなのか分からない、ただ目がクリクリな動物たちが印刷されていたり、配色に至っては、グラデーションやキラキラとかそういった繊細な色の変化を表現することなど知らないとでもいうように、オレンジや赤や青など、単純に動物のキャラクターの輪郭を埋めるように色が塗られている感じだった。印刷がうまくいかず、めまいを起こしたかのように二重に印刷されている鉛筆も珍しくない。

当時の中国の子供用の文房具というのはそんな程度のものばかりだった。

だからいかに私のクライスメイトがラメペンの斬新さに惹かれていたのか分かるだろうか。


みんな我先に「貸して」と私にラメペンをせがんだ。

ラメペンのペン先から出てくるキラキラしたインクに感嘆する声。

休み時間になるとみんなは外にも出ず、ラメペンの魅力の虜になっていた。

その時私は、みんなの持っていないものを持っていることの優越感に浸っていた。


以前話していたが、私のクラスにはもう1人日本人の女の子がいた。

その子をA子としよう。

A子は顔が整っていて可愛く、かといってとてもアクティブなのに勉強もできる、クラスの人気者だった。

分かる人には分かると思うが、同じアジア人でも、中国人と韓国人と日本人の顔はそれぞれ微妙に違う。

どう違うかと言われても言葉では表現できないのだが。

A子は典型的な日本人の顔をしていた。

NHKの天才てれびくんに出ていてもおかしくなかった。ハーフ顔とかではなく、肌の色も特別白いわけでもなかったが、本当に可愛かった。

日本という先進国から来た女の子が、勉強も運動もできて、しかも可愛い。

それはそれはモテてた。男子からだけではなく、クラスメイト全員からモテてた。


同じ日本から来た私は、その子が羨ましかった。

私は小さい時から骨格がしっかりしていたし、しっかり食べるので華奢ではない。

運動は大嫌い。

それにA子はセンスが良かった。身の回りに持っているものは全部可愛いかった。

でも私自身そうではなかった。


両親自身が流行とか、芸能界とか、世の中の流れというものに疎かった。

そのおかげで私の両親は特に物欲がなく(我慢していたというのもあると思うが…)、この留学をしたのにも関わらず、私と弟を金銭的に何不自由なく育ててくれた。


しかし子供の私は、周りの子が流行りのキャラクターの文房具やハンカチ、その当時おしゃれと言われていた洋服を着ているだけで羨ましかったし、そういうものに一切関心のない親がとにかく嫌だった。

私の他の子に対する羨望に理解を示して欲しかった。

大人になった今、私は流行に関しては子供の頃のように気にすることもなくなった。

けれども子供にとって幼稚園、小学校、中学校という、小さいけれどその世界が全てである私にとって、流行についていけないのは致命的とも言えた。

流行に乗れるか乗れないかで、学校というコミュニティにおける自分の立場が決まるといっても過言ではない。


そんな私にとって、その時は、このラメペンが私の唯一の自慢できるものだったのだ。


問題は、流石に女子クラスメイト全員にいちいち貸しているとインクがなくなってしまう。

私のものなのに使えないなんて嫌だった。

だからある日、ついに私はクラスメイトに対して


「だめ。もう色がなくなっちゃう。」


と言った。


次にクラスメイトから放たれた言葉は


「ケチ。」


だった。


その日から、私はペンすら貸してくれないケチな女の子になっていた。

もう誰も私にラメペンをせがまなくなった。

私に対するクラスメイトの対応は一気に変わった。

ラメペンを持っている日本人の女の子ではなく、ラメペンすら貸してくれないケチなクラスメイトになった。


そしてある日、私の筆箱からラメペンが消えた。


その代わり、クラスメイトの女子たちがラメペンを使っていた。


盗まれたのだ。


私は「私のペン返して」と、ある子に言った。

でもその子は「私のお母さんが買ってくれたんだけど。何言ってんの?」

と言った。


私はめげずに他の子にも同じく、私のラメペンを返してと言ったが、どの子も

「お母さんに買ってもらった」、「私の」だと言い張った。


私はもう何も言い返せなかった。

6歳の私は「お母さんに買ってもらった」と言われたら、もうどう返事すればいいかわからなかった。

子供にとって「お母さん」というワードは弱い。

「お母さん」は癒しであり、恐怖であり、そして全てにおける正しさの基準は「お母さん」だった。

「お母さん」というワードはそういうものだ。

そしてその状況に置かれた私がクラスメイトから聞いた「お母さん」というワードは恐怖だった。「正しさ」だった。

「お母さんに買ってもらった」と言われたら、本当にそうなのかも、私が失くしてしまっただけなのかもと思わざるを得なかった。


そして味方になってくれる子がいなかった。

同じ日本人のA子になぜ頼らなかったのか。

今になってはその理由は思い出せない。

思うのは、私のラメペンを盗んだ子たちは全員A子を溺愛していた。

A子もクラス女子みんなと仲が良かったから、彼女に言ったところで

女子たちが「私が戯言を言っているのだ」とA子に入れ知恵するだろうと

思ったのではないだろうか。


なぜそう考えたのか。

唯一どうにかして思い出せた私の当時の心境は「諦め」だったからだ。

最初は私物を盗まれた「怒り」だった。

次は私物を返してほしい「焦り」だった。

そしてみんな「お母さんに買ってもらった」という言い訳によって、自分の記憶に自信を失くす「戸惑い」だった。

最後はもう私のラメペンは帰ってこないんだと言い聞かせた「諦め」だった。


もちろん担任の先生に相談した記憶がある。

担任の先生はクラスメイト女子たちにラメペンについて聞いて回ったが、

女子たちは口をそろえて同じことを繰り返しただけだった。

先生は私に「みんなお母さんに買ってもらったって言ってるよ。失くしただけなんじゃない?」と言われた。


だから私はもう諦めたのだ。

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