第2話 早速だけど、小学生からの話をしよう

自分自身と向き合うためのエッセイを書くとしたら、

まず思い当たることのある記憶から書き始めるべきだと思う。


私は6歳か7歳の頃、日本の小学校を離れ、中国の小学校に通っていた。

理由は話せば長くなるけど、今回はエッセイだから可能な限り詳しく書こうと思う。


私の父方の祖母と母方の祖母は2人とも日本人だが、 その2人がまだ子供の頃、第二次世界大戦で家族と一緒に満州へ移住したらしい。

ここから私は、戦争や歴史について知識があるわけではないので、ざっくりと書くが、 確かソ連軍の進行で家族が殺され、祖母2人とも孤児になってしまった。

その時、現地中国の人たちに拾われ、育てられ、大人になり、現地中国人の男性と結婚をし、私の父と母が生まれた。

そして1980年代、。 私の2人の祖母は、家族を連れ日本へ帰国した。その時私の父は多分高校生、私の母は多分中学生の頃だった。

そして日本で私の父と母は出会い結婚し私と弟が生まれた。


私の父と母は、たくさんいる兄弟の中でも、末っ子だったり、下から2番目の子供だったこともあり、日本語には不自由しないが、歳上の兄弟は大人になってから日本に来たので、日本語を話せる人が少なく、私の母方の祖母も幼い時に満州へ移住したので、日本語を忘れ、中国語しか話せかった。


こういう背景もあり、私の父と母は親戚達と会話をしてほしいと言う思いもあったのだろうか。

私が聞かされている話では、先に私の歳上の従兄弟が、中国にあるインターナショナルスクールに通っていたのを幼い私は耳にし、「私も行きたい。」と言い出したそうだ。

その一言をきっかけに、私は中国のインターナショナルスクールへ通うこととなったのである。


先に私の気持ちを話してしまうと、小学生の時中国に行くことが正しかったのかわからない。


私が通っていたインターナショナルスクールは、現地中国人の子供たちのためのインターナショナルスクールであり、かつ、全世界から留学生も募っていた学校である。

基本学生は寮生活であり、学校から3食きちんと提供される。

小学校1年生から通うのならば、6歳から親元を離れ、次に帰宅できるのは、長ければ夏休みや冬休みと言う長期休暇の時だけである。


親と一緒に過ごしたい時期に、親元を離れ、学校の寮生活で過ごすことは正しいことだったのか。

今の私自身を見ると、正しいとは思えない。


私自身、中国で過ごした5年間は、楽しい思い出より辛い思い出の方が多かった。昔の出来事は美化されると言うけれども、あの5年間に関しては、 とてもそんな綺麗な事は言えない。


さて、やっとではあるが、次はいよいよ中国で生活していた時の話をしようと思う。

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