第34話


 ニコロはあの日から仕事を休み、モニカの傍にいる。寝返りさえ打たないモニカは居眠りをして目覚めても何も変わっていない。

 指輪の魔法がどんなにモニカの体を包もうと、モニカは息もせず、心臓は鼓動を打たない。傷はふさがっても死の瞬間で時間が凍り付いたままだ。手を添えれば柔らかな頬も、指に絡まりつく髪も、何も返さない。そこにいる存在はモノに過ぎない。

 それでもニコロは吸われる魔力を止めなかった。止めてしまえば時間が動き出し、モニカの体は死に向かって朽ち始めてしまう。


「モニカは手折られた花だよ」

 二日経っても全く反応のないモニカを前に、療養所の医師エラルドは冷ややかに言った。

「魔法という水に茎をつけ、生きてるように見えたところでやがて花びらは散り、枯れてしまうしかない。もう死んでるんだ。魔力を使い続けるだけ無駄だ」

 人の命を救う者として、エラルドは自ら死を選んだモニカを許せなかった。そしてニコロの魔力が極端に減っていることを心配していた。死人のために魔力を使う必要などない。それは無駄な行為だ。

 ニコロは硬い表情を変えることはなかった。

「ああ、そうだな。こんな奴のために療養所のベッドを使っているなんて、もったいない話だ」

 誰もがニコロらしくない物言いだと思った。しかしニコロもまた自死を許せないのだろう。町を守り、国を守るために懸命に戦っている騎士団員にとって生き残ることこそ使命だ。

「…しばらく二人きりでいたい。こいつは死ぬまで俺が見ているよ」

 そう言うと、ニコロは眠るモニカをかけてあった毛布で包み、肩に担ぎあげた。

「馬車を呼ぶ。ちょっと待ってろ」

「いらないよ」

 エラルドの申し出を断り、軽く手を振ると、ニコロはモニカを担いだまま家に帰って行った。



 いつも通りの家。

 本当に日帰りですぐに戻ってくるつもりだったのだろう。残された食材、庭にある芽生えたばかりの葉野菜に、土から少し見えている赤いラディッシュ。瓶に詰めたピクルスも最近作られた日付が入っていた。ニコロが帰って来た時に出すつもりだったのかもしれない。

 死ぬつもりじゃなかった。そう訴えかけてくるように感じた。

 ニコロはモニカをベッドの上にそっと横たわらせ、額に口づけた。今にもお帰りなさいと笑いかけてきそうなのに、体温に満たない生暖かさは硬直を知らない死体にすぎず、廻る魔法に守られているだけ、死んだ直後のまま時を止め、保存されているだけだ。


 ニコロがあれからほとんど食事を取っていなかった。

 王城の魔法騎士団でやられた通りだ。

 ニコロは皮肉めいた笑みを浮かべた。

 空腹になればなるほど出せる魔法は強くなる。この力でもモニカが生き返れないなら、共に死んでしまえばいい。


 ふと口さみしくなって、残っていたタンポポコーヒーを自分で淹れてみた。こうして飲んでみると、何故モニカがよくこれを出していたのかがわかる。泉のように魔力が満ちてくる。モニカほどうまくは淹れられなかったが、湧き出る力はすべてモニカのものだ。

 ニコロはモニカの隣に横たわると、モニカの胸元に額をつけて、祈るように止まったままの心臓に魔力を送った。

「モニカ。おまえには何度も助けられたからな。俺の命はおまえのもんだ。魔力でも何でも持ってけ」

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