第28話


「…聞いてるか?」

 何度か呼びかけられていたらしい。モニカは慌てて顔を上げた。

「ごめんなさい、考え事をしていて…」

「おまえはロッセリーニ家の生き残りでいながら、どうして一人だったんだ? 遠出するなら供くらい」

「どうしてって…。言ったでしょう? もうロッセリーニ家はないって」

「領主をやめたところで、領の中に多くの資産があるだろう。不自由ない暮らしをしてるんじゃないのか」

「資産なんて…、全て新しい領主に譲ったわ」

 やはり、今のモニカの立場には多くの誤解がある。かつての家名ロッセリーニの力が大きすぎるのだ。

「それにしても門の外に出るなら護衛くらいはつけるだろう」

「護衛も侍女もいないわ。財産もない。本当よ、私は領も名も手放し、平民になったの。小さな家で、夫と二人ささやかに暮らしているのよ」

「結婚してるのか」

 そこを驚かれると思わなかったモニカは、首をかしげて聞き返した。

「そんなに幼く見えるのかしら…。私の年なら、結婚どころか子供がいてもおかしくないくらいよ」

「いるのか?」

「…いたら、一人で旅はしないわ」

「だろうな。…おまえの夫は、一人で行くことを止めなかったのか?」


 どう返事をすべきなのか迷っていると、来客中だというのにノックもせずに男が入って来た。仕立てのいい服を着ている。馬に乗ってきた様子もなく、馬車を使ったとしたら結構裕福な家の者だと言えるだろう。

「レンニ、親父の埋葬の件だが…、あ、来客か」

 今頃来客に気付くとは、礼儀知らずで自己中心的な人間だ。不躾な目線もモニカには好ましく思えなかった。

「この家に女が訪ねて来るなんて珍しいな」

 にやにやと笑いながら品定めするように見つめてくるのは、モニカをレンニの恋人か何かと間違えているのかもしれない。しかし相手がどういう立場の人か察し、あえて何も言わなかった。この村の長であるレンニに敬語なく話しかける人だ。

 礼儀知らずの来客を前に、口留めが遅れてしまった。レンニはためらうことなくモニカの昔の名前を目の前の男に告げた。

「こちら、モニカ・ロッセリーニ嬢だ」

「もうロッセリーニではありません」

 モニカの否定など意味なく、男の目の色が変わった。

「ロッセリーニ! …とんでもない来客だな。そんなつてがあったのか」

 この男に自分の名を知られたことをまずいと直感的に感じた。

「たまたま会って、話をするために連れて来たんだ」

「たまたま出会える相手じゃないだろう」

 男はモニカの手を取ると、手の甲に口づけをした。モニカは慌てて手を引こうとしたが、強い力で握りしめられ、なかなか抜けなかった。

「おやめください。わたしはもうロッセリーニではありません。兄の墓を訪ね、こちらのレンニさんに道をお尋ねしただけです」

「いや、この運命を逃すなんてないな。私はレンニのいとこで、エギルと言います」

 何かをたくらんだような笑みに、モニカは悪寒を感じた。よく王都で向けられていた視線だ。ロッセリーニの力を求める、野心家の目。

「私達エル・ミーン族はトルメリアとの和平を求めている。殊ロッセリーニ領とは友好的な関係を築きたい。ぜひ、あなたには我らとの友好の証になってもらいたい。…女性であるあなたなら、うってつけの仕事があるが?」

「エギル! 失礼だぞ」

 モニカはエギルの手を力強く振り切った。

「私には夫がいます。それに既にロッセリーニの名は捨て、平民になりました。政略結婚をお求めでしたら、他をお当たりください」

 モニカの言葉に、エギルは怪しい笑みをさらに歪ませた。

「エル・ミーンは夫も妻も一人とは決まっていない。あなたに夫がいようと大した問題じゃないが…、そちらの国は違うんだったかな」

 全く悪びれない言い方が不愉快だった。

「制度上も、心情的にも、私は今の夫一人しか望みません」

「あなただって、エル・ミーンと和平を結び、領に平和をもたらしたいと願ってるんじゃないのか? 領主の娘だったなら」


 領主の娘だったなら。

 「領主の娘」だったのは、たった一年間だ。しかし、領主の一族の人間として、領のために尽くすのは当然のことだった。そして何の力もなかったモニカには、そういう仕事が割り当てられる可能性が高いことは覚悟していた。

 あの日まで。ロッセリーニの名を捨てるまでは。

「それを決める父も既に死んでます。あなたたちに殺されて」

 ヒュウ、と口笛を吹いた。

「ああ、戦いが終わったと油断し、矢をくらったあの男だったな」

 笑って言われたその言葉に、モニカは目を見開いた。

 兄だけじゃない。父もまた戦いが終わった後に、本来なら互いに引くべき所をあえて狙って殺されたのだ。

 こぶしを握り締め、じっと耐えるモニカを見て、エギルはくっと笑みを漏らした。

「私には妻もいるし、子供もいるが、妻が増えたところで養えないような男じゃない。まあそっちが名前だけの結婚がいいなら考えてやってもいい。そういうのが嫌なら、レンニなら未婚だ。それくらいの選択肢は与えてやるよ」

 その話し方から、エギルにとってこの話はほぼ決定事項として扱われている。それにレンニは抗うこともない。レンニはここの長と言いながら、二人は対等な関係ではない。

「そういうことは、今のロッセリーニの領主を通してください。私は貴族ではありません。今更政略に使われる価値はありません。…失礼します」

 エギルは立ち上がり、部屋から出ていこうとするモニカの腕をつかむと、後ろにひねりあげた。

「やめろ、エギル」

「ダン、イェルド!」

 レンニが止めようとしたが、エギルの呼び声で廊下で待機していた男二人が入って来て、モニカをすぐに床に押さえつけた。

「やめないか! 俺の客だ。しかも女性だぞ」

 入って来た男二人はエギルの手下らしく、レンニの言葉には耳を貸さなかった。

「とりあえず地下に連れて行け。後でうちに運ぶ。何も食わせるな。数日でいい返事を聞かせてくれるようになるだろう。そうだな、ライエのロッセリーニにも連絡しろ。迷子になっているところを助けたとでも言えば、礼を奮発してくれるだろうさ」


 痛みをこらえ、顔を上げたモニカはニヤリと笑うエギルに向かって優しい笑みを返した。床に伏せながらも見せられた笑みに、エギルの笑みが消えた。

「…和平を願う? これがエル・ミーンの和平ね。さすが、蛮族。くそくらえだわ」

 言葉とは裏腹にモニカの笑みは異様なほどに優しかった。それが余計に気に入らなかったエギルは、怒りのままモニカの脇腹を蹴り上げた。痛みに体を丸めたモニカはそのまま男たちに地下に連れて行かれ、両手両足を縛られ、芋などの野菜やワインなどが保存されている部屋に投げ入れられた。

 ガチャリと、鍵のかかる音がした。

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