第26話

「俺の名はレンニだ。おまえは?」

「…、…モニカ」

 偽名を使った方がいいのか悩みながらも、口から出たのは本当の名前だった。

 一時間ほど馬を進めたが、途中レンニは何度か馬から降りてモニカを待たせ、鳥を二羽射落とした。弓の腕は確かだった。


 谷を抜けたところに大きな集落があった。集落の近くには大きな石造りの建造物があり、花や供物が供えられていた。タラントの遺跡に似た形をしていたが、タラントほど朽ちてはいなかった。

 子供達が走り回り、畑には作物が育ち、馬や牛もいる。

 すれ違う者は会釈し、畑で働く者は手を止めて

「こんにちは」

と明るく声をかけてきた。

「いい村ね」

 モニカのつぶやきに、レンニは軽く笑みを見せて答えた。

「ああ。オークレーの連中が内輪もめしてくれるようになってから、ずいぶん落ち着いた生活ができるようになった」

 この神殿の周囲に住む人がオークレーの内乱を喜ばしいと思っていようとは。モニカには意外だった。


 村の奥にある大きな屋敷に着くと、レンニは出てきた使用人と思われる男についさっき狩ったばかりの鳥を渡し、モニカに家に入るよう招いた。

 待遇は客扱いで、応接室に通され、お茶と茶菓子が出された。お茶を運んできたのはさっきの男だった。お茶は緑色が濃く、あっさりとした味で、茶菓子は芋を潰して丸めたものに木の実が入っていた。素朴な味だったがモニカの口に合った。

「…ここはエル・ミーン族の村の一つね」

「『蛮族』と呼ばないのか」

 今ではリデトの者は誰も呼ばない正式な呼び名に、レンニは皮肉を込めて言った。

「そう呼ばれているのは、あなたたちがリデトを襲撃してくるからよ。戦のルールも守らず、突然攻撃を仕掛け、停戦を呼び掛けながらも追い打ちをかける。蛮族以外の何物でもないわ」

「エル・ミーンの聖地に壁を作るからだ」

 襲撃されて当然という口ぶりに、モニカはむっとし、お茶に伸ばした手を止めて、レンニを見すえた。

「先に襲撃してきたから壁ができたのよ。…あなたが知らないとしたら、責任逃れね」

 屋敷と言っていい大きさの家に住み、使用人もいる。部族でも上位の立場にある人だろう。そんな人が歴史を知らないのは怠慢だとモニカは思った。

「この争いのきっかけは七十年ほど前、自由都市だったリデトに突然エル・ミーン族が攻め込んできたこと。襲撃を受けたリデトは町の警備隊だけでは抑えきれず、ロッセリーニ領に救いを求めた。…私の曽祖父の時代だったと聞いているわ」


 それはレンニが知っている昔話の裏側。

 昔は誰のものでもなく、壁もなかったタラント。そこにはエル・ミーン族が祀る神の神殿の一つがあった。

 七つある神殿はエル・ミーンの一族にとって神聖なものであり、すべてエル・ミーンのものだった。神殿の周囲にはエル・ミーン族の集落があり、エル・ミーンのものだと主張することに特に弊害はなかった。しかしタラントは遺跡と呼ばれるほどにさびれ、かつてあった集落はなくなり、まばらに住居がある程度だった。

 他のエル・ミーン族が住む地域とタラントの間にはリデトの町があった。町は国と国を結ぶ街道沿いにあり、人々が行き交う町は発展し、広がりを見せ、徐々にタラントへと近づいていった。


 リデトはタラントへの道を塞ぐ町。われらが祈りの地を取り返す。

 ある強硬派の男が族長になった年、聖戦の名のもと何の予告もなくリデトの町にエル・ミーンの兵が攻め込んだ。町の警備兵では太刀打ちできず、リデトの住民は隣国トルメリアのロッセリーニ領に支援を求め、戦いの末エル・ミーン族は撤退した。

 聖戦と呼ばれながら、本当の目的はリデトを侵略し、手中に収めようとしたのではないかとも言われている。部族の中でも真意は明かされていない。


 モニカは続けた。

「勝利の後、トルメリア国王の一言でリデトはトルメリアに併合された。国王は『自国』を守るため、タラントをも含めた広範囲に頑丈な外壁を作るよう命じた。…強欲なトルメリアの王族に、あなた達は言い訳を与えてしまったのよ」


 自分の国の王を「強欲」とモニカは言った。

 ロッセリーニ領を継承してきた一族にとって、リデト併合は守りの変化をもたらした一大事件だ。付き合いのあった近くの都市を支援したはずが、突如自国となった。守るべき国境は領主の住む街ライエから遠のき、長年かけて築きあげてきた国境の砦の向こうをも守らなければいけなくなった。

 王命でリデト周辺に外壁を作ることになったが、王は門を作る程度のわずかな金を出しただけだった。実際に金を出し、壁を作りあげたのはリデトとロッセリーニ領だ。そしてそれは新たな火種を生んだ。


 隣国オークレーもまたリデトを狙っていた。周辺国が中立を守っていたからこそ自由都市だったのに、エル・ミーン族が仕掛けたことがきっかけとはいえ、オークレーにとってリデトはトルメリアに奪われたも同然だった。

 オークレーの王は贅沢を好み、高い税の負担に貴族も国民も不満を持っていた。リデトを「取り返す」ことで不満要素から国民の目を背け、勝ち取れば新たな税収を得ることができる。

 オークレーはエル・ミーンに声をかけた。


 共にリデトを攻めよう。タラントの神殿はもちろんエル・ミーンに。リデトの町は道の北と南で分け合おうではないか。


 エル・ミーン族はオークレーと手を結び、オークレーは武器を提供した。

 気が付けばリデト、ロッセリーニは敵、オークレーは味方だと部族の誰もが思っていた。しかし、族長が変わるたびに方針は揺れた。

 タラントを取り戻すことこそ使命。そう考えた族長はオークレーの誘いに乗って兵を出した。しかし武器の提供は受けたが、オークレーの出す軍は少数で、実際に戦うのはエル・ミーン族。多くの兵が命を落としていく中、休戦を望む族長もいた。

 自分たちが蛮族と呼ばれるようになり、時に戦争の罪を一方的に擦り付けるオークレーのやり方に反感を持ち、部族内でも諍いが起こった。中にはエル・ミーンから離れ、他国へ移住した部族もあった。

 かつては七つの神殿に一部族づつ、七つの部族がいたが、今となってはもう四つにまで減ってしまった。その四つの部族でさえ協調できていない。


 壁ができたとはいえ、手続きを踏めば町に入り、神殿に行くことができる。遺跡と言われるほど崩壊が進んでいる神殿を本当に戦ってまで取り戻す意味はあるのか。

 長年続くこの戦いの意義自体、部族の中でも意見は割れていた。

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