第23話
魔法切れに近いニコロは、翌日は休みが与えられた。
モニカは朝からタンポポコーヒーを入れ、いものスープ、ラディッシュのサラダ、いもとビーツのオーブン焼きバターのせなど、根の野菜をふんだんに取り入れた食事を出した。もちろんニコロのリクエストで焼いた鶏肉やベーコンも添えた。
魔力が体力を回復させるのだろう。満ちる魔力に眠りと同じくらいに疲れが取れ、翌日には魔力もほぼ回復していた。
あと三日もすればライエに戻ることになる。モニカは食材を使いきることを考えていたが、翌日出勤すると次のリデト駐屯はニコロが所属する隊の者から選ばれ、その中にニコロもいて、もう一か月ほどリデトにいることが決まった。
このまましばらくリデトにいられる。モニカはほっとした自分に気が付いた。保留していた問いかけを思い出したまさにそのタイミングで
「モニカは、このままリデトで暮らしたいか?」
ニコロに再度問われたモニカは、ニコロの目から見ても自分がライエで暮らすことに向いていないのだと気付かされた。生まれてから十一年間も暮らした街なのに。父や兄が眠る故郷なのに。
「モニカが決めていいんだ。できるだけ暮らしやすい所でゆっくりすればいい。同じ領の中だ。戻ろうと思えばいつでも戻れる」
ニコロの言葉は途中から耳に入らなかった。夫であるニコロと共に暮らし、仕事が変わるならついて行くのが当たり前だと思っていたのに、そんなことさえも自分にはできないのだろうか。
お互い、傷が浅いうちに
いつか聞いたその言葉。それが今だとしたら。
「…もう少しだけ、考え、させて」
また返事から逃げている自分がいた。少し顔をしかめ、手をぎゅっと握ったモニカに、ニコロが心配そうに見つめていることにも気付いていなかった。
「今日は少し遅くなるかもしれない。多分、夕食も食べて帰ることになると思う」
駐屯地の隊が入れ替わる日は飲み会になることが多い。引継ぎに時間を取られることもよくあることだ。
「わかったわ。あまり飲み過ぎないようにね」
モニカはニコロを送り出した後、久々に薬草を摘みに出かけた。タンポポの根もなくなりかけていた。熱によく効く薬草を見つけて少し多めに摘み、一度家に戻ってタンポポの根を洗って干し、薬草を仕分けた。
この薬草なら療養所で必要だろう。療養所に届けがてらお手製のお菓子も持って行った。
今は療養所に入院する人が少なく、職員ものんびりお茶をする時間があった。戦での怪我ではなく、町の病人や怪我人が時々訪れ、帰って行く。ここでも薬はかつてほど切羽詰まることはないようだ。
「それでも時々薬草を摘みに行くのよ。いざという時、薬草の生えてるところもわからず、見分けもつかないんじゃ困るでしょ?」
「ライエでは、薬草も薬も商人から買ってるので充分足りているって言われたわ」
「まあ、あそこはリデトがこの国に併合されてからは攻め込まれることはないものね。立派な砦もあるし」
モニカが生まれるよりずっと以前は、ライエが国境の街だった。辺境伯の館もライエが国境だった頃に建ったままで、ライエの街の砦に近く、騎士団の本部も当時の国境を守る位置にある。
リデトの騎士団の駐屯地は本部にできるほど広く、辺境伯邸をリデトに移す話は何度か出ては消えていた。モニカの祖父の弟は商いで成功し、リデトにいくつか屋敷を持っていた。有事にはその屋敷を仮の辺境伯邸として使えば支障がなかったからだ。
今モニカが住んでいる家は屋敷というには小さいが、これも祖父の弟の持ち物の一つだ。
療養所で手伝うこともなく、ただ話をしただけでずいぶん長居してしまった。モニカが謝ると
「療養所と警備隊は暇な方がいいのよ。平和ってことなんだから」
と言われ、その通りだとうなずき、笑った。
途中で日が暮れ、繁華街まで着くと並ぶ店から漏れる明かりにほっと息をついた。
遠くに警備隊と騎士団の制服を着た集団がいた。店の外で声をかける女に腕を引かれた団員が、にやけながら後続に声をかけ、その店に入っていった。麦酒を売りにした店だ。やはり今日は飲み会になるようだ。
続いて店から女が二人出てきて、店に入っていく男達を店内へと導いた。一人が後ろの方にいたニコロの腕を取ると、親し気に腕を組み、腕に頭をすり寄せた。そしてそのまま店内へと消えていった。
たまたまでも目に入ってしまったのを、運が悪かったと思った。いかがわしい店ではなく、あの程度の客引きなど町でよく見かける光景だ。たまたまその相手が自分の夫だった。別に浮気だと怒る気も起きなかったが、沈んでいく心に重しをくくりつけられたような気がした。
モニカも外食で済ませようかと思っていたが、結局食べられるものを持ち帰り、家で一人で食事を取った。
騎士団の同僚たちと酒を飲みに行き、客引きをしていた女に腕を取られたニコロは、いつになく自分に絡んでくる女に少し戸惑っていた。普段はさほどモテる訳でもなく、心を許した相手がいることを示す指輪もつけたままだ。
「こいつに色目使ったって無駄だぞ」
仲間の一人が笑いながら言った。
「えー、だってこの人、もろタイプなんだもん。今日だけ、短い大人の恋でいいじゃない。私、後腐れないわよ」
給仕もせず、客と同じ席について絡んでくる女。時々わざと胸を押し付けてきて誘っているのはわかったが、喜びもしなければ赤くもならず、反応はなかった。反対の手でジョッキをつかんで麦酒を飲み、モニカに怒られると思いながらもつい肉を手に取る。
「食べさせてあげるわよ、あーん」
「ああ、俺はいいから隣にサービスしてやって。きっとオーダー追加してくれるよ」
ニコロは呑気にふるまい、取られた腕を強引に離すこともなく、しかし完全に女のアピールは無視していた。揚げた芋をつまんで頬を緩めたが、その顔が女に向けられることはなかった。
やがて女は
「つまんない人。もういいわよ」
というと、ニコロから手を放し、新たに入って来た客の所に行った。
「あーあ、女の子、いなくなっちゃったじゃないか」
惜しむように言う団員に、
「そうだなあ。…その鳥と卵の煮たやつ、欲しいな」
と皿を突き出し、追加をよそってもらった。
「おまえは色気より食い気だな」
「モニカに怒られるなら、女より肉のほうがいいな。…うまっ」
ニコロは家ではなかなか許されない肉三昧の食事を堪能した。
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