第18話

 翌朝、朝一番に言われたのはおはようではなく、昨日の懺悔だった。

「昨夜は一人で飲みに行って悪かった」

 ニコロは頭を机につけてがっつりと誤ってきた。自分だけが飲みに行ったことに罪悪感があったようだ。

「男同士の秘密の相談って言われて…」

 ニコロは嘘をつくのが下手だ。モニカと視線を合わせることなく、用意されていた言い訳を口にされると、他にも理由があってモニカを置いて行ったのだろうと察したが、モニカはあっさりと許した。

「よくあることだわ。そんなに気にしないで。それより、二日酔いはないわよね? 今日は馬で行くのよ?」

「馬に乗るくらい、二日酔いでも三日酔いでも大丈夫だ。酔ってたってモニカを護ることくらいはできるさ」

 妙な自信を見せるニコロに、予定通り旅に出ることにした。

 家には一晩の滞在だったので大したものは用意していなかったが、簡易な朝食に定番のタンポポコーヒーを加えて出すと、ニコロは迷わず口にして、ほうっと息をついた。



 モニカにとって久しぶりの乗馬だったが体は覚えていて、すぐに慣れた。頼んだとおり、大人しく扱いやすい馬を充ててくれていたようだ。

 日帰りでもない夫婦の旅行で馬だけを使うのは珍しかった。女性が同行する旅行なら荷物が多く、馬車を使わざるを得ないものだ。しかしモニカは馬での旅を楽しんでいた。


 まだ町の外壁を抜けていなかったが、荷の緩みを直すためタラントの町で最初の休憩を取った。

 タラントには石造りの遺跡があり、少し崩れかけていた。その前には供物として花や食べ物が置かれていた。供物は置かれてそれほど経っていないように見えた。

「まだ信仰している人がいるのね」

 モニカは神殿の前で跪き、手を組んで祈りをささげた。

「通りすがりの者ですが、この地に少しだけお邪魔することをお許しください」

 見知らぬ存在への正式な祈りは知らなかったが、挨拶はしておくくらいの軽い気持ちだった。ニコロも見習って数秒間黙礼をした。

 遠くで二人を見ている人影に気付き、見れば子供のようだった。

 ニコロは少し警戒していたが、モニカはニコロの腕を取り、気付かないふりをしてその場を去った。


 途中街道沿いの宿で一泊し、翌日の昼過ぎにはエイデルに着いた。町の手前には大きな滝があり、滝の裏を回って滝つぼを見ることができた。泳ぎが得意でないモニカは緊張しながら細い道を歩いたが、ニコロの大きな手に引かれ、豪快な水しぶきを楽しめるようになっていた。

 エイデルはずいぶん賑わっていて、露店も多く出ていた。町で自慢の鳥料理を堪能し、お土産用も含めてたくさんの果物を買い込んだ。馬で移動するので持ち帰れる量は限られていたが、ニコロが護衛をしたことのある商人が買った物をリデトまで格安で届けてくれることになった。

 ギマの実を売っている店があった。この辺りでは乾燥させて料理にトッピングとして乗せたり、そのまま食べる人もいるようだ。二袋買い、苗もあると聞いて譲ってもらった。

 ライエに持ち帰ると鉢植えで育てることになるので、実をつけるほどまでは育たないだろう。あまりギマの木を見かけないリデトで育てるのも面白いかもしれない。地植えにするなら根が張るまで水やりしたいが難しいだろう。


 自分達で食べるために持ち帰ったブドウ一房を宿で食べた。味見の段階で充分甘さが乗っていることは保証済みだ。大きなブドウの実を引っ張ってちぎり、皮をむいてニコロに渡すと、そのまま口で受け取った。

「種があるわよ」

「ん、」

 返事をしながらも、そのまま種も飲み込んでしまったようだ。

「おなかからブドウが生えても知らないわよ」

「こんなおいしいブドウが生えたら、収穫が楽しみだな」

 目で次の一粒を期待され、皮をむくと、差し出す前にぱくりと口に加え、果汁が滴る指を息とともに吸い込んだ。引っ込めようとするモニカの手を取り、ニコロは妙にまじめな顔で何か言いかけたが、

「何?」

と聞くモニカの顔を見て、ただ黙って指先に口づけをした。

 ニコロの手は騎士の手になっていた。辺境騎士団で鍛えられ、毎日の鍛錬で以前よりまして力をつけているのだろう。魔力も充実している。それをどこかで寂しいと思う自分がいた。自分の手を離れるような、もう自分の役割は終わったような、これから先も共に生きていくつもりで結婚しながら、終着点が近いような切ない思いを感じていた。



 翌日からはリデトを目指して戻る道になった。行きとは違う道を選んだが、街道ではなかったので商店は少なかった。途中の小さな町に立ち寄り、食堂があったのでそこで食事を取れた。庶民的な素朴な味で食が進み、ニコロには大盛りでサービスしてくれた。

 ニコロは以前あげたギマのお菓子を持っていて、口が寂しい時にはつまんで食べ、モニカの口にも放り込んだ。

 幸い宿のある町もあり、野宿することはなかったが、楽しい休暇はあっという間に終わり、明日にはリデトに、そして明後日にはライエに戻ることになる。

 その夜、ニコロから

「話がある」

と切り出された。

 モニカは平静を装ったが、あまりいい話ではないのだろうという予感はしていた。

 緊張すると口を閉ざしがちなニコロを気遣い、あえて笑顔で

「何?」

と問い返すと、

「もし、ライエの暮らしが、…つらいなら、モニカはリデトで暮らしてもいいんじゃないか」

 このところ、ニコロが言いたそうにしていたのはこのことだったのか。モニカはその真意をどちらに解釈すればいいのか悩んだ。普段なら悩むことなく自分の事をいたわってそう言ってくれているのだろうと思えるのに、この旅が楽しければ楽しいだけ、思い出と引き換えに何かを失うような、そうなるのが当然のような思いがして、まさに今がその時なのか、と思ってしまった。

 声が震えて、うまく返事ができそうにない。

「無理して俺についてきてたんじゃないかって、その、…俺はモニカがいてくれるのがいつも心強いし、モニカのために頑張ろうと思えるんだけど、それに甘えすぎて、おまえが無理をしていたら…」

「無理なんて…」

 していない、そう言おうとしたのに、言葉にならなかった。

 ただ「モニカはリデトで暮らす」、その言葉がニコロも自分を置いていくのだと、そう思えてしまった。そして引き留めるだけのものが自分にはなかった。

「…そうね」

 モニカはニコロに笑顔を見せた。

「リデトに戻るまで、考えてもいい?」

「ああ」

 答えは決まっていたが、この旅をちゃんと終われるように、二人の思い出にできるように、モニカはあえて返事を先送りし、リデトの家に着くまでの間、それまでの旅と同じように振舞った。

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