第12話

 同じ頃、一人の少女が療養所や救護隊に顔を出すようになった。慣れない作業に叱咤されながらも仕事を覚え、汚れることを厭わず、怪我人への献身的な姿からやがて町の人にも顔を覚えられるようになった。少女はモニカとだけ名乗った。


 療養所で薬が切れて困っていると、翌日には辺境伯家の馬車に薬や物資が積めるだけ積め込まれて運ばれてきた。領内にある別の療養所から届けられたもので、馬車には馭者の他に誰も乗っていなかった。人々は辺境伯が手配してくれたのだと喜び、協力して馬車から荷物を下ろした。荷下ろし作業の途中で現れたモニカは時にボタンを掛け違えていることがあり、慌て者だと笑って声をかけ、近くにいた者が留め直した。馬車の座席の下の引き出しからドレスの端がはみ出ていることがあったが、それに気付く者はいなかった。


 時々、辺境伯令嬢の悪い噂が聞こえてきた。着飾ってリデトに来ただけで、何の役にも立たない。ライエや周辺の町にもドレス姿で現れ、父の名を出し、物をよこせと命じて奪っていくらしい。王都から好きなものを取り寄せ、散財している。

 初めは恥ずかしそうにうつむいていたモニカも、そのうち聞き流すことを覚えた。噂の多くは曲解され、弁解しても意味はないと知ったからだ。

 父の名を使って他の療養所や商人が出し渋る薬や物資を運び出しただけ。王都やその周辺から領では知られていない業者を使って食料や物資を買い付けただけ。

 初めに間違えたモニカはいつまでたっても悪人だったが、大切なことは自分の評価ではない。今できることをやり、この戦いを凌き、勝利することだ。


 当時、国境の守りは辺境領に任され、自国の紛争でありながら王の関心は薄く、援軍が送られることはなかった。長引く戦にモニカの父は何度も王都の騎士団に応援を要請していたが、新たに就任した団長はなかなか首を縦に振らなかった。余所者だった父が王に気に入られ、団長職についていたことを恨んでいた者の嫌がらせもあった。

 父の部下だった騎士団の隊長ガスペリが辺境地の事情を察し、王に陳情し、自ら出陣を申し出ると、ようやく援軍を送ってもらえる段取りが付いた。


 辺境伯令嬢が次にリデトで姿を見せたのは、次期辺境伯を継ぐと言われていた兄のセルジョが亡くなった時だった。連日の戦いに魔力を使い果たし、退却する仲間を守って力尽きたと聞いた。現地で埋葬され、戻って来たのは剣だけだった。

 同じ部隊で亡くなった隊員の母親から、子供を見殺しにしたと人々の前で罵倒された。父と共に黙って言葉を受け止める姿に、少しは見直したと言う者もいたが、あんな素晴らしい兄が亡くなっても泣きもしない、お強いお嬢様を酷評する者もいた。

 セルジョはロッセリーニ領では有名な魔法騎士で、領の未来を託せる優秀な嫡男として人々に信頼されていた。先の領主、次期領主を失い、それでも領主は必死に戦い続けた。娘に気を回す余裕もなく、父と娘は母の死以来会話らしい会話もなかったが、そのことを知る者はいなかった。


 王都からの援軍に加え周辺の領からも援軍が送られ、ロッセリーニ領は盛り返した。蛮族はいち早く逃げ、ようやく戦いは終わった、その直後、父を射抜いた矢。二日後、領主だった父は意識を取り戻すことなく息を引き取った。

 ようやく戦が終結した。しかしそこには領主も次期領主もいなかった。残されたのは戦地にドレス姿でやってくるような令嬢だけ。人々は不安を感じ、不満を漏らした。


 父と兄をなくし、領を継ぐ者としてモニカは婿を取ることを望まれた。

 結婚を約束していたロレンツォは辺境に来る気はないと言い、オリヴェーロ家は早々にモニカとの婚約を破棄した。モニカもまた、ロレンツォではこの地を治めることはできないのはわかっていた。オリヴェーロ家の事情も考えれば破棄を受け入れるのに迷うことはなかったが、全ては送られてきた紙一枚で終わった。モニカはせめて話し合う機会を持ってくれればと思わずにはいられなかった。

 しかし、婚約がなくなって初めて、自分は伯爵家に嫁ぐ気などなかったのだと自覚した。伯爵夫人の座に何ら未練はなく、むしろほっとしていた。


 延期していた兄の葬儀と父の葬儀を一度に終えると、モニカは家督を継ぐ者として王に呼ばれ、悲しむ間もなく王都に出向いた。

 今後の辺境領について問われたモニカは、魔力を持たない自分に今から誰かをあてがうより、より実力のある騎士が辺境領を治め、国を守ることこそ望ましく、今回の援軍を率いたガスペリ隊長を辺境伯に推薦すると王に進言した。モニカに婚約者をあてがおうと思っていた王にとってそれは予想外の提案だったが、案外悪くなく、王はこれを受け入れた。


 ルチアーノ・ガスペリは王からの申し出を受け入れ、モニカは父に代わり代々受け継いできた領地を王に返上した。辺境伯令嬢として過ごしたのはわずか一年。中心都市ライエの領主の館に滞在したのは二週間もなく、自分の部屋で寝たのは数えるほどしかなかった。

 壁の補修、町の復興、食料の備蓄。戦後の町はやるべきことが多く、領の収入はもちろんそのまま全てを、辺境伯家の財産も、分家だった自分の家の財産もそのほとんどをガスペリに引き継いだ。


 誰かが聞き分けの良い娘だと言った。

 聞き分けたつもりなどなかった。祖父が堅守し、伯父が固守し、父が死守したこの地を奪われることだけは許してはならない。

 自分には何の力もなく、そんな自分の伴侶を前提に今から領主を探せば、その隙をついて再び外敵が襲ってくるかもしれない。敵に隙を見せるなど、この辺境地ではありえないことだ。ガスペリならこの辺境地を治めるだけの能力がある。それなら入れ替わればいいだけ。


 王都から着任する領主一行を領民は温かく出迎えた。

 知らない間に消えていった令嬢のことなど、誰も思い出すことはなかった。


 それでもモニカは、この地に残ることを決めていた。

 魔力がないから遠くに嫁に行けと言われた時の方がつらかった。自分の身の安全を考えた母の愛情だとはわかっていたが、自分の望みとは違っていた。役立たずでもこの地を離れたくない。この地のために生きていく。


 モニカは平民として国境の町リデトに移り住んだ。親族の残した小さな家に住み、町に職を求め、畑を耕し、療養所に出向く。町を守る者に敬意を表し、有事には助力を惜しまなかった。

 リデトの町の住人はモニカを受け入れ、モニカはこの町に馴染んでいった。

 町で生きる以上、自分の身上を明かすことはしない、過去の身分を利用しないと決めていた。しかし人生で一度くらい父の名に助けられても、父は怒りはしないだろう。

 父のつないでくれた縁がニコロを取り戻してくれたことに、モニカは改めて亡き父に感謝した。

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