(4)

「では、次の村に行って来るよ」

『村』を壊滅させてから既に十日が過ぎていた。

「ああ。気を付けて送り届けて来るんだよ」

 と宵が送り出したのは、自分と瓜二つでありながら女性の花嫁衣装を纏っていないもう一人の『宵』と数人の女たち。もう一人の『宵』の名を『ヨキ』と言った。

 宵は驚く面々に双子の弟だと言ったが、ハスズの隣に立っていた鬼雨は『嘘だ』とあっさり否定した。

 だったら誰かと小声で訊ねれば、鬼雨は答えた。あいつは人外の術によって生み出された傀儡だと。

 到底信じられるようなものではなかったが、誰もが『ヨキ』が生み出されたものだと疑って掛かることはなかった。

そんな『ヨキ』が身繕いした女たちを率いて『村』を後にする。

それをハスズと鬼雨と宵。そしてハスズの村の娘たちが総出で見送った。

 秋晴れの紅葉も鮮やかな朝だった。

 突然の火事によって滅びた『科之の村』。その火事の中でも唯一無事だった『科之の館』。

 突然の苦界からの解放に、様々な感情に苛まれた女たちは翌朝には宵によって用意された朝食に空腹を満たした。

 火事で全てが燃え尽きたと思える場所で、何百人分もの食材をどこから調達して来たのかと訝しる女たちだったが、その優しい味は瞬く間に疑念を吹き飛ばした。

 すっかり空腹を満たした面々は、それぞれが今までして来たように身繕いを行った。

 ただし、派手な化粧は施さない。重たい簪も刺さなければ、複雑な髪形に結い上げたりもしない。化ける必要は既になくなった。着飾る必要も既にない。自分のままで、女たちは誰からともなく楼閣の外へと踏み出した。

 日の下で見やる『村』は、何ともうら悲しい姿を晒していた。

 錦に色付いた森の中、燃え崩れた残骸が屍を晒している様を見た女たちは、ただただ無言で眺めていた。

 豪華絢爛な楼閣たち。煌びやかな提灯。聞こえて来る客引きの声。つま弾く管弦の音。立ち込める香の香り。男たちの笑い声。

 瞼を下ろせば今でも鮮明に浮かび上がって来る村の姿。

 夢は終わりじゃと鼻で笑い飛ばす声が聞こえて来るようだった。

 わらわは飽いたと見捨てられたようだった。

 ばれちゃったら仕方がないと、無邪気な声が聞こえて来るようだった。

 悪夢を見ていただけ。幻を見せられていただけ。初めからここには何もなかった。

 そう。言われているようなものだった。

 誰も何も言わなかった。

 時折物悲しげな風が吹き渡り、袖や髪を攫っても、誰も何も言わなかった。

 その胸に去来しているものが何なのか、ハスズすら女たちに倣ってただ眺めていた。

 それを見るともなしに見ている鬼雨を眺めながら、宵はクスリと笑みを浮かべ、パンパンと二度大きく手を叩いた。

 突如響いた柏手に、女たちがビクリと体を震わせ振り返る。

 そこに、『科之の館』の前に、宵は二人並んで娘たちに魅力的な笑みを浮かべて見せていた。

 そして告げた。

『さあ。帰るべき場所に帰ろう』――と。


 昨日の今日での提案に、戸惑いを隠せない女たちも少数ながらいた。

 帰りたい気持ちは強い。だが、恐れがあった。受け止めてくれるのかどうかと言う恐れが。

 気持ちが高ぶっていた面々も、一日経てば落ち着いて。

 不安の方が膨れ上がっていた。

 対して宵は告げた。

『無理にとは言わないよ。女性には優しくするのがワタシの心情。ちなみに今私の手にあるのはこの辺りの地図。で、君たちが攫われて来た村の位置も書かれているから、いつでも送り届けることは出来る。ちなみにこの地図はあの男の部屋と思しき場所で見つけたから、多分本物。だからゆっくりと考えると良いよ。帰るときは『ヨキ』がちゃんと送り届けてあげるから』

 でも、村にはあいつらの手下が……と危惧する女たちに、それもきっと大丈夫と請け負った。

 信じる根拠などどこにもなかった。

 それでも、女たちの顔に安堵の感情が広がる様をハスズと鬼雨は見た。

 そしてその夜、ある村の女たちが帰ることを決めた。

 翌日、帰ることを決めた娘たちを『ヨキ』が率いて『村』を出た。

『ヨキ』が一人で帰って来たのは翌日の夜だった。

 そこで村に帰った女たちの様子を聞かされた女たちは、次は自分たちも帰りたいと望むようになっていた。

 そうして女たちは順番に帰って行き、残りがハスズたちだけとなったとき、

「さて」

 と、宵は切り出した。

「残りは君たちだけになったね。答えはもう決まっているかい?」

 訊ねられ、娘たちは『お願いします』と頭を下げた。


   ◆◇◆◇◆


 まさかこんな日が本当にやって来るとは、ハスズは思いもしなかった。

 先頭を進むのはキズナと宵。その後ろに団子状になった娘たちが続き、最後尾に少し離れてハスズと鬼雨が続いていた。

 トンビの声が聞こえる秋晴れだった。

 日差しは温かく、風は弱く。

 娘たちの楽しげな話し声や笑い声が紅葉を揺らした。

 その後ろをハスズは離れて歩く。

 蟠りがあった。見えない壁があった。歩み寄る勇気が無かった。入って行くことが出来なかった。拒絶が恐かった。

 ハスズの置かれた立場はあの日の夜に、キズナが守ろうとした姉さまが代弁してくれた。

 ハスズの辛さも苦しさも、全て代弁してくれたはずだった。

 それを聞いてくれたキズナたちとの関係が、少しでも改善されるかもしれないと期待していなかったと言えば嘘になる。いや、むしろ俄かに期待をしていた。

 だが、結果は希望に届かなかった。

 埋まらなかった。埋められなかった。

 それほど簡単に埋められるものではなかった。

 どちらの胸に芽生えた気持ちも簡単には手のひらを返せるものではなかった。

 拒絶され続けた後ろめたさと、拒絶し続けた後ろめたさ。

 あまりにも長過ぎた。少なくとも、短くは無かった。

 それでも、帰ることが出来ると知れば、娘たちは喜んだ。

 喜ぶ娘たちの姿を見ることは、ハスズの心も軽くした。

 同時に、埋められない壁を感じずにはいられなかった。

(もう、私はあそこに戻れない)

 自由を勝ち得てから十日。その間に話をする機会が無かったわけではない。

 ただ、昔のように自然に話すことは出来なくなっていた。

 どうしていたのかすら思い出せなかった。

 だからこそ、ハスズの胸には一つの想いが生まれつつあった。


「鬼雨さんは……」

 楽しげに会話を弾ませる娘たちを見ながら、ハスズは隣を歩く鬼雨に訊ねた。

「私たちを送り届けたらどうなさるんですか?」

「訊いてどうする」

「知りたいんです」

 素っ気ない声に、静かに答える。

 答えはすぐには返って来なかった。

 山道は色とりどりに紅葉に彩られ、眼にも楽しく美しく。

 弾む笑い声に話し声。

 傍から見れば、紅葉狩りに見えたことだろう。

 実際、すれ違った旅人には楽しそうだねぇ~と声を掛けられ、羨ましいねぇ~とからかわれ。

 だが、状況はそれほど楽しいものでもなかった。

 少なくとも、ハスズにとっては。

 それでも、後悔は無かった。

 少し寂しい気持ちはあるが、それでも、何の気兼ねもなく楽しそうにしている娘たちを見ているのは嬉しかった。

 故に、すぐに答えが返って来なかったとしても気にはならなかった。

 むしろ、今こうして普通に問い掛けられていることがハスズにはおかしかった。

「何がおかしい」

 逆に訪ねられることも、嬉しかった。

「いえ。初めて出逢ったときのことを思い出したんです」

 あのときは鬼雨のことが恐くて恐くて、眼を合わせることすら出来なかった。

「そんなに遠い昔のことではないのに、今こうして普通に歩いていられることがおかしかったんです。あのときは眼を合わせることも出来ませんでした。声を掛けることも出来ませんでした。勿論、こうして並んで歩くことになるなんて想像すらしませんでした」

「……だから、何なんだ」

 ぶっきら棒な口調の中に戸惑いが含まれていることも察することが出来るようになっていた。

「嬉しいんです」

 楽しげな娘たちの後ろ姿を見ながらハスズは穏やかな気持ちで答える。

「嬉しい?」

「はい。鬼雨さんと出逢えたことで、私は少しですけれど強くなれたんです」

「……」

「強く、なれたんだと思います」

「……」

「そんなことを言われても困りますよね」

「そうだな」

 溜め息交じりの答えは、初めて会った時のように苛立ってはいなかった。

(私でも鬼雨さんの役に立てたんでしょうか?)

 胸の内で問い掛ける。

 故に、ハスズは更に胸に宿した想いを強くする。

(村に着けば鬼雨さんたちは居なくなる。それが《渡り鳥》だから)

 分かっていたことだった。

 どこからともなく降り立って、弱き者を助け再び旅立つ。一つ所に留まることなく渡り歩く。

 それが《渡り鳥》と呼ばれる者の生き方。

 問題を解決したところで金銭を要求することなく、物品を要求することなく。

 傷付いたことを責めるでもなく、ただただ傷が癒えれば飛び去って行く。

 出逢えたことは正に奇跡だったのだと思わずにはいられなかった。

 もしも今も出逢えていなかったら。

 考えるだけでゾッとした。

 きっとハスズの心は干乾び切った大地のようにひび割れ、草木一本枯れ果て、疲れ果て、ボロボロになって崩れ去っていただろう。それは、ハスズの流す涙では到底潤すことなど出来ないほどに。

 しかしそこに、鬼雨は舞い降りた。

 希望と言う翼を翻し、空を斬り裂く鋭い爪を備えて。

 鬼雨は科之と言う名の太陽を斬り裂き、焼き尽くさんばかりに干乾び切った大地に奇跡の雨を――喜雨(きう)を降らせてくれた。

 鬼雨がもたらした喜雨は、瞬く間にハスズのひび割れた大地を潤した。

 潤された大地には、それまで形を潜めていた植物が喜ぶかのように芽を出した。

 希望と言う名のたった一つの小さな芽。

 吹けば飛ぶような小さな芽。それでもしっかりと根付いた芽。

 育ててみたいとハスズは思う。

 しかしそれは、ハスズ一人では育てられるものではないと言うことは分かっていた。

 もしかしなくともこのまま育つことなく枯れてしまうかもしれない。

 それでも、ハスズの中にしっかり芽吹いていた。

 見上げれば、空を悠々と飛ぶ鳥の影。

(あの鳥のように、鬼雨さんたちも居なくなる)

 飛び立たれてしまえば二度と捕まえられない《渡り鳥》。

「このままずっと歩き続けていられればいいのに……」

「何か言ったか?」

 胸の内だけで囁いたつもりの言葉は、音としてしか鬼雨には伝わらなかったが、ハスズはあえて言い直したりはしなかった。

「何も言っていませんよ」と誤魔化して、ハスズはニコリと微笑んだ。

 そのとき、『村よ!』と誰かが歓声を上げた。

 途端にわっと空気が華やいで、娘たちが走り出した。

 一方でハスズの足がピタリと止まる。

「行かないのか」と並んだ鬼雨に問い掛けられて、ハスズはぎこちなく頷いた。

 ずっと帰りたいと思っていた村だった。

 ずっと帰したいと思っていた村だった。

 自分のせいで村に災厄が訪れた。

 愛する娘たちが連れ去られた。

 元凶はハスズ。

 村長であるハスズの父親はハスズの伸ばした手を取ろうとはしなかった。

 喜びよりも恐怖が勝った。

 足が震えた。一歩一歩踏み締める大地の感覚が消えていた。

 そしてハッと気が付く。

 村に科之の手下たちが居たと言うことに。

「鬼雨さん!」

 切羽詰まった声に、顔に、鬼雨の表情も引き締まった。

「先に行く」

 短く宣言すると、鬼雨はハスズを待たずに駆け出した。


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