(3)

 ハスズを襲った女と意見を同じにする女たちがそっちを見やれば、女は言った。

「おれは毎日毎日毎日毎日来る日も来る日も願っていたよ。こんなクソみたいなところなんて全て燃え尽きてしまえばいいのにってね!」

 その声には憎しみと怒りが滲み出ていた。

「何度死のうとしたか分からない。何度おれを買いに来た連中を噛み殺してやろうと思ったかしれない。それでも、村で人質になってる家族がいたから耐えて来た。でも、耐えて来たからってここにいたいなんて欠片も思ったことはないよ!」

「そうだよ! 確かにここにいれば腹を空かすこともないし、村では着られないような綺麗な着物を着たり知識を与えてもらったり、化粧なんかもしてもらったけどね! それは全てあたしらの為じゃなくて、あたしら目当ての客の為なんだよ! こんなところで飼い殺されるなんて堪ったもんじゃない!」

「あいつらは死んだんだ! わたしたちを縛り付ける者はもういない! 村は消えた。ざまぁみろだ!」

「ここであいつの手下と夫婦になったって、普通の幸せが送れるはずがないだろ?」

「こんなとこ出て、新たな人生を歩むんだ!」

「だから! 出て行きたい奴だけが出て行けば良かったんだよ!」

「それが出来なかったから願ってたんだろうが! こんなとこなんて消えちまえばいいのにってな!」

「!!」

 即座に切り返されて、女がグッと言葉を飲み込むと、相反する女は畳み掛けた。

「そうじゃないのかい?! あんた達も、こんなところに連れて来られて、こんな仕事させられて、本当に一度でも『こんなところ消えちまえばいいのに』って思ったことは無かったかい?! 『こいつら全員殺してやる』って呪ったことはないのかい?! おれは思ったよ。願ったよ。呪ったよ! だから、今夜ほど気が晴れた夜はない!!」

 その女は両手を大きく左右に開き、よく響き渡る声でハッキリと言い切った。

 しかも、その声に賛同し、私も私もと次々に他の女たちも立ち上がる。

 ハスズはその女の言葉を噛み締めていた。

 凍え掛け、傷付き切った心がじんわりと温められるのを感じていた。

「何だっていきなりこんなことになったのかって訳が解らなかったけど、あんたの話で察しは付いたよ」

 ふんと鼻先で笑い飛ばし、女は真っ直ぐにハスズを見て続けた。

「あんたがおれたちの願いを代わりに依頼してくれたんだな、その男に。ありがとよ」

 その一言が、ハスズの目頭を熱くした。

 だが、事はすんなり収まりはしなかった。

 形成が不利だと察した女が言ったのだ。

「でもそいつは、あいつらの仲間だったんだ! そいつのせいで村から攫われて来た女たちだっているんだぞ!」

 その瞬間、ハスズの心の臓はギュッと握り締められた。背筋を悪寒が走り抜け、息が止まりそうになるものの、相対する女は言った。

「だから何だい? おれらもあんたらも似たようなもんだろ? 科之の策略にまんまとハマって、金に目が眩んで盛大にもてなしたんじゃないのかい?」

「そ、それは……」

「確かに、そのきっかけを作った女は悪いさ。でも、二度目に来たときは村ぐるみで歓待した。金が懐に入ると思ったから。それはもう、切っ掛けを作った奴だけを責められるようなもんじゃない」

「でも、その所為であたしたちは売り物にされた!」

「でもその子は、あんたらの村の女と違って、ずっとずっと逃げずに役目をこなして、自分の村の娘たちと、その後連れて来た娘たちを守って来た。そうだろ、キズナ」

 と、女が聞き知った名前を口にした瞬間、ハスズは知った。

 その女が、キズナの守ろうとした女だと。

「確かにおれらは売り物にされた。でも初めは違ったはずだ。元々いた姉さん達の世話をしていただろ。掃除洗濯雑用なんでもだ。粗末な着物着せられて、手なんかあかぎれで真っ赤になって。それなのに、原因を作った奴は綺麗に飾って、食い物も違って、丁寧な扱いを受けていた。どれだけそいつを恨んだかしれないよ。真っ先にお前が売り物になればいいのにとどれだけ罵ったかしれないよ。結果、そいつは逃げ出した。お陰でおれらは売り物になった。そいつが針の筵に耐えかねて逃げ出したから。あんたらもそうだろ!」

 ハスズには悔しげに唇をかむ女たちの姿が見えたような気がした。

「でもその子は違った。仲間に憎まれ恨まれ罵られても逃げ出さなかった。いっそのこと逃げ出しちまえば良かったのに逃げなかった。逃げた女は追い駆けないって科之は言ってた。本当かどうかは知らないけどね、それでも自由にはなれたはずなんだよ。でも逃げなかった。おれらの村の女は、二か月持たずに根を上げて、我が身可愛さに俺たちを見限った。どんだけ呪ったかしれないよ。でもね、それから一年以上たって新しい子たちが入って来て、『あの女が逃げ出したせいで!』って、怒りをぶちまける様を見続けているうちにふと思ったよ。

 もしも自分が逆の立場だったらってね。自分が原因を作ったせいで仲間や友人がこんなところに連れて来られて、自分だけが特別扱い。仲間からは恨まれながらも仲間を守るために他の村の女たちを攫う片棒を担がせられる。自分に向けられるのは憎しみと恨みばかり。自分だってやりたくてやってるわけじゃない。皆を守るために選択の余地なんかなく片棒を担いでいるのに、とうの仲間たちからは憎まれる。正直言ってやってられないよ」

 その最後の言葉に労りが込められていることは、ハスズにも解った。

 自分の苦しさを理解してくれる人が居た。

 大変さを察してくれる人が居た。

 労ってくれる人が居た。

 それだけでも救われる想いだった。

「でもその子はずっと耐えて来た。おれがここに来てから最長だよ。だから、その子が攫って来た子たちは売り物になっていない。自身が科之の逆鱗に触れない限りはね」

「だからそれが何なんだよ!」

 痺れを切らしたようにハスズを殺そうとした女が叫んだ。

 対して女は同情を込めた穏やかな声で答えた。

「だから、その子を恨むのは筋違いなんだよ」

「っな……」

「だってそうだろ。その子は確かに科之たちの片棒を担いだよ。でも、どうやったかは知らないけど、その子が連れて来た子たちは誰一人売り物にはなってない。それだけの何かをその子は耐えてやって来た。憎しみ責任を押し付けるのは誰にでもできるけどね、逆の立場になって耐えられるかどうか少しは想像してみたらどうだい? 少なくともそこの子は想像出来たんだろ? 自分はまだましだと。商品として売られているおれたちよりマシだと。だらから耐えて来たんだろ? あんたのとこの仲間とは違ってね」

「それは!」

「よく考えてもごらんよ。もうここに縛られる必要はないんだよ。自分を騙す必要はない。ここで死ぬまで働かされることもない! 出て行けるんだ!」

「でも!」

 と、絹を裂くような悲鳴が女の言い分を遮った。

「今更あたしたちが生きられる場所なんてないじゃないか!」

 涙に震えた叫びだった。

 心からの不安と嘆きだった。

 それは夜陰を渡って全ての女の心に染み込んで行った。

 咄嗟に誰もが言い返せなかった。

 大丈夫――と言うのは簡単だった。

 だが、世間はそう見てくれなかった。見てくれないことをハスズも知っていた。

 失念していた。失念していたのだ。

『村』さえ無くなれば、科之たちさえ居なくなれば、全ては終わると思っていたが、違っていたのだ。

 それでも――

「それでも、帰りたい場所はないのかい?」

 耳に心地よい美声がどこからともなく女たちの耳朶を打った。

 見れば、蛍火のような淡い光を纏わり付かせた宵が、忽然と女たちとハスズたちの間に現れていた。

 あり得ない出現だったが、それよりも胸に響いたのは宵の言葉。


 ――帰りたい場所はないのかい。


 あった。帰りたい場所はハスズにもあった。

 これまでのことを無かったことには出来ない。だとしても、帰りたい場所はあった。

「この『村』は滅び去った。どうしてもここに残りたいと言うなら止められない。でもね、心から本当に帰りたい場所があるならば、ワタシたちは連れて行くことが出来るんだよ。もしも君たちが帰りたかったら。帰って来ることを願っている人たちがいるならば。だから今一度自分に問いかけて欲しい。君たちに帰りたい場所はないのかい?」


 その優しい声音は、耐えて来た女たちの押し込めていた思いを解き放っていた。

 帰りたい。帰りたい。村に帰りたい。家族に会いたい。

 すすり泣く声に混じって、想いが溢れ出る。

 誰も彼もが泣いていた。

「あたしだって、帰れるものなら、帰りたい」

 ハスズの命を狙った女も、その場に泣き崩れて顔を覆った。

 誰もが帰りたかった。

 帰りたくないわけがなかった。

 だが、帰ることなど出来ないと知っているから言い聞かせて来た。誤魔化して来た。意地を張って期待しないように努力して来た。そうしてこないと生き抜くことが出来なかったから。

 それが今、本当に解放されると知って、誰もがすすり泣いていた。

 互いに抱き合い、ようやく帰ることが出来るのだと安堵して、子供のように泣きじゃくった。

 ハスズも泣いた。鬼雨に支えながら、声も無くただ静かに。

 本当に本当に救われたのだと。終わったのだと。

 ハスズの視線の先で、宵が微笑み頷いた。

 その顔がありがとうと言っているように見えて、ハスズも涙を零しながら微笑んだ。

 それが見えた訳ではないだろうが、宵の登場で全てが終わったと察したらしい鬼雨が腕を下ろし、深々と息を吐いた。

 お陰ですっかりハスズを抱きかかえる形になると、

「さあ、ここは寒い。唯一焼け残ったその建物で体を休めることを進めるよ。せっかく助かったのに安堵のあまりに気が抜けて風邪を引いてもつまらない。さあ中へ入ってゆっくり休もう。

 お前たちにはちゃんと二人用に部屋を整えておいてあげたからね。十分楽しむと良いよ」

 と、女たちを促しながらも爆弾を落とすことを忘れない宵に対し、鬼雨は叫んだ。

「ふざけるな!」

 と。

 対して宵は笑うだけ。クスクスと楽しげに笑うだけ。

 そして女たちは、綺麗に整えられ火を入れた火鉢はあるものの、到底それだけで温められたとは思えぬほどに暖かな座敷に銘々に別れ、連れ去られて来てから初めて安堵を抱きながら眠りについた。

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