第29話 新しい風
リダファに隠し子がいたというニュースはあまりにセンセーショナルであった。その日のうちに王宮中を駆け巡り、口止めをする暇すらないほどだ。
当然、それはララナの耳にも入ることとなる。あまりのショックに、ララナは部屋に籠ってしまった。マチが夕飯を差し入れるが、食べたくないと断られてしまう。
「マチは、会ったのでしょう? その……リダファ様の息子……さんに」
ララナに聞かれ、マチが溜息をつく。
一目見た瞬間、わかった。あんなに生き写しでは、簡単に偽物だとは言えないだろう。マチや大宰相であるエイシル、それに国王ムスファは、リダファのことを生まれた時から知っているのだ。フィリスは幼い頃のリダファに、似すぎている。
「……ええ、そうですね。会いました」
嘘をついても仕方ない、と、マチは本当のことを口にする。
「間違いでは……ないのですね?」
「それはなんとも。ただ……リダファ様には、よく似ていらっしゃいます」
「そうですか……」
「しかしララナ様、リダファ様の奥方がララナ様であることに変わりはございません!」
強い口調でそう言う。
「そうだと……いいのですが……」
窓の外を見る。
今日もまた、雨が降っている──。
*****
きゃいきゃいとはしゃぎながら部屋を這い回るフィリスを、マチが追いかけていた。それはまるで十数年前の光景とぴたりと重なるようだ、とムスファは思う。
「では、そなたはあの船に乗り、ハスラオに命じられるがままリダファを船室まで案内した、と?」
副宰相であるキンダが質問を投げかける。モルグは神妙な面持ちで頷いた。
「それから何があったか、申してみよ」
促され、モルグがおずおずと当時の状況を話し始める。
「ハスラオ様に言われた通り、リダファ様を船室にお連れしました。中には香が焚かれており、少し甘い匂いがしていたように思います。リダファ様は船室に入られ、その香りを嗅ぐとすぐ、私に抱きついてきました。そしてそのままベッドに倒され、私は、」
「嘘だ!」
リダファが声をあげる。
「嘘ではございません! あの時のリダファ様は、香の薫りに毒されていたのだと思います。だから、リダファ様が悪いわけではないのです! ……でも、」
一呼吸置き、上目遣いにリダファを見る。
「リダファ様に恋心を抱いていた私は、あの時ほど幸せを感じたことはございません」
そう言われ、リダファが俯く。
押しかけて来たモルグとフィリスをそのまま追い返すわけにもいかず、ひとまず宮殿の一室に住まわせることになった。そして今日は当時の状況をきちんと精査し、今後の対応をどうするかを決めるべく、国王ムスファはじめ重臣たちが集まっている。
重心たちの末端で、ウィルは笑い出しそうになるのを必死にこらえながら事の成り行きを見守っていた。ここまでは自分が手掛けた台本通りに、事が進んでいる。そしてここからが、クライマックス。畳みかけるように偽の真実が告げられるのを、果たしてここにいる面子がどんな顔で受け入れるのか、見ものである。
「ではその一度だけ、リダファ様と関係を持った、と?」
「はい。そのあとは皆様ご承知の通り、私は流刑されておりましたので」
「……なるほど」
その場にいる全員が困惑の息を吐く。
「国王陛下、いかがなさいますか?」
キンダがムスファを見る。ムスファは腕を組み、難しい顔で唸っていた。
「今の話がすべて事実であるならば、このまま放りだすわけにもいくまい」
「父上!」
リダファが抗議の声を上げる。が、
「例え策略に嵌ったのだとしても、お前の血を分けた子供だぞ?」
ムスファにそう言われ、リダファは口を閉ざした。
「そういえば……、」
なんとか王宮に残れそうだということがわかったところで、モルグが次の火種を投げつける。
「ララナ様のふりをした彼女は、まだこちらにいるのですね」
嫌味な感じではなく、さも当たり前の疑問を投げかけるかの如く言い放つ。
「なんだ、どういう意味だ?」
ムスファがその言葉に食いついた。
今が、その時だ!
「ハスラオ様から、ララナ様はでっち上げの花嫁だと聞かされておりましたので、私の処分と同様、あの騒ぎのあと何かしらの罰を受けているものとばかり」
「……確かにララナはニース国王の側室の娘で、ララナ本人ではなかったが、」
「あら、それも嘘ですわ」
とびきり明るい声で、話を被せる。
「ニース国王に側室などいない。偽ララナは、ニース国王の血など引いていないただの侍女だと聞いております。ああ、でもこのことを知っているのは、ハスラオ様にリダファ様暗殺を命じた、コムラ宰相だけなのでしたかしら?」
ザワ、と周りの空気が揺れる。
「なんと! 今申したことは誠か!」
副宰相キンダが驚いた声を上げ、更に続ける。
「私はずっと黒幕の汚名を着せられていたが、コムラ宰相が黒幕であったのか!」
「いえ、私と同じ流刑先でしたが、よく申しておりましたわ。自分には大きな後ろ盾がある。いつか彼が助けてくれるはずだ、と。しかし可哀想に、コムラ宰相は病でなくなってしまいました……」
そう。とても都合がいいことに、もう既に、亡き人なのである。
「……今の言い方だと、コムラ宰相の更に上がいるような口ぶりではないか」
国王ムスファが発言する。
確かに、コムラの言い方は『捕まることのなかった他の仲間』を意味しているように思える。
「そうですわね。私も、そこから先はわかりませんが、少なくとも首謀者は、ララナ様の出生の秘密を知っている者、ということになるのではありませんか?」
にぃ、っと笑いながら大宰相であるエイシルを見るモルグ。エイシルがハッと目を見開く。確かにエイシルとイスタは、ララナの正体を知る者ではある。
「ララナが側室の子ではないと知る者がここにおる、と?」
ムスファに訊ねられ、モルグが深く頭を下げる。
「出過ぎた真似をいたしました。ただ私は、こんな風にリダファ様を騙してまで、のうのうと宮殿に居座っているララナ様の気が知れぬ、と思ったまでです。それに、ララナ様が偽物であると知りながら口を噤んでいる者がいるとするなら、それこそ国王陛下とリダファ様に対する反逆行為ではございませんか?」
場が、静まり返る。
「私はどうなっても構いません。リダファ様、フィリスはあなたの息子です。どうかこの幼い命だけは、お救いくださいますよう」
手を胸の前で組み懇願するその姿は、重臣たちに聖母として映っていたのだった。
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