琥珀

真田 侑子

本編

 琥珀を作りたいと思っていた。

 大好きな人を閉じ込めた、琥珀。

好きなら閉じ込めたいし好きなら閉じ込められていて欲しい。


 ちょうど、失恋をしたころ。

「令をお前にやるよ」

 勤め先の社長が、一人の男を私にくれた。

 令というのは、私の同僚であり社長の愛人である東雲令のことだ。社長にとっては愛人なので、社長は下の名前で呼んでいるのだ。

 しかしまた、「やるよ」とはどういう意味なのか。

「あの、仰っている意味がわからないのですが」

「そのままの意味だよ。あいつはもういらない。お前にやる」

「……愛人あるいは恋人にしろと言うことですか?」

 私がそう訊ねると、社長は「そうだ」とだけ答えた。

 その日の帰り道、東雲は私の後をついてきた。社長の家に住んでいたから、行き先がないのだと言った。彼は酷く絶望した顔をして、私の後をずっと着いてきた。仕方がないので、私もそのまま歩みを進めた。

家の鍵を開けて玄関の電気をつけると、東雲は「狭いな」と言った。

「そりゃあね。社長の家と比べないでくれる? 私は一従業員だから、社長みたいな家には住めないの。わかっておいて」

 そうすると彼はうなずいて、私の後に続いて家に入ってきた。

 東雲は居間のテーブルの前に座った。私の目の前に座っている彼は、出したお茶にも手をつけず、ただただ、座っているだけ。自我はないのかと思う。

 今まであまり気にしていなかったことだけれど、東雲の顔をよく見てみると、さすが、男のくせに社長の愛人をやれていただけあるなという端正な容姿をしていると感じた。

「出されたお茶くらい飲むのがマナーなんじゃないの。飲みなよ。喉乾いてるでしょ」

 私がそう言うとテーブルの上のお茶に視線を落とすも、未だにただじっとしている彼に少々苛立ちを覚える。

 そうして、彼は言った。

「……浩人は、俺を捨てたのかな」

 ぽつりと、呟くように。

 私はそれに対して「はいそうです」とは言えずに、思わず黙った。そんなことを言ってしまったら、この儚げな青年は死んでしまいそうだと感じたためだ。

「私のところに行けって言われたの?」

 そのように問うと、彼はこくりとうなずいた。

「それだけ?」

「……それだけ。荷物は、少ないけど、後から送るからって。それに、明日から仕事に来なくていいって、浩人が」

「なんで?」

「……わからない。もう、俺の顔も見たくないんだと思う」

 ネガティブなことを考えているので、励ますわけじゃないけれど、私は「そんなことないよ」とだけ言っておいた。

「でもさ、放っておいたら君、社長のところに行っちゃうでしょ、勝手に。それはやめてね。面倒だから」

「面倒?」

「そう、面倒。私は社長から君を預けられてる。だから、君が勝手に社長のところに行っちゃうと、監督不行き届きじゃないけどさ、そういう扱いを受けちゃうはずなんだよね。だから、やめて」

 そのお願いに対して、東雲は怪訝な顔をした。

「もう二度と、浩人には会えないってこと?」

「そうなるね」

 その答えが不服だったのか、東雲はあからさまに嫌な顔をして言った。

「嫌だ。会えないなんて」

「嫌だといっても、駄目だよ。私も生活がかかってる。君が社長に会うことで、私が責められて会社を辞めさせられたら、たまったもんじゃない」

「それでも嫌だ」

「……あまり言うことを聞かないなら、閉じ込めるよ」

 私がそう言うと、彼は「やれるものなら」と言った。

「ふうん……じゃあ、明日から君は私のペットだ」

 その会話を最後に、私たちは会話を交わさなくなった。私はシャワーを浴びたあと、適当にシャワーを浴びて寝るように言って、眠りについた。

そして、彼が眠りについたころに起きて、彼に鎖付きの足枷を着けた。この部屋から出られないように、ベッドの脚に鎖を括りつけて。


 翌朝。東雲が起きる前に起床した私は、朝食を作っていた。朝食は簡単にソーセージとスクランブルエッグ。私の調理する音によって目覚めた彼は、自分の足元を見て呆けていた。

「おはよう。いい朝だね」

 そう声をかけると、彼は「これは」と己の足元を指さして言った。

「それは君をこの部屋から出さないようにするためのものだよ」

「そんな……じゃあ、本当に浩人に会えない……」

「そうだよ。会われたら困るからね」

「それじゃあ、ここは俺にとっての檻みたいなものじゃないか」

 檻――そう言った彼に対し、私は答える。

「違うよ。ここは琥珀の中なの。決して檻じゃない」

 私の言葉を聞いた彼は、よくわからないという顔をしていた。

「琥珀……」

「そう、琥珀。檻なんかじゃない。だから、身構えなくていい」

 そうしてそのまま朝食を出すと、彼は訝しげな顔をしたけれど、きちんと食べきっていた。不健康になられても困るから、これでいい。

「じゃあ、私は仕事に行ってくるけど、くれぐれも出ようなんて考えないこと」

「……わかった」

 彼の答えを聞いて安心し、私は会社に向かった。

 寝起きざま、私はあの部屋を琥珀に例えた。ずっと作りたかったものに。

大好きな人を閉じ込めているわけではないけれど、きっと、今後私は彼を必要とすることになるから、琥珀に例えたのだ。だって、きっと、好きになってしまうから。

好きになることを前提とした琥珀づくり。

それを喫煙所で社長に話すと「仲良くやれよ」とだけ言われた。

その後は通常の業務にあたり、夕方になったらタイムカードを押して家に帰る準備をした。帰路につくと、いざという時に口を塞ぐためのガムテープが必要だということを思い出したので、コンビニで購入した。

残暑の中家に帰ると、エアコンの効いていない部屋から、むわっとした異臭がした。

 灯りをつけると、部屋の隅のベッドわきに東雲が膝を抱えてうずくまっていた。その周りには、尿のような液体が溜まっており、部屋の真ん中に敷いてあるカーペットにも少し染みを作っていた。

 異臭の正体はわかった。

「ああ、鎖の長さが足りなかったんだね」

「……ごめん」

 謝ってくる彼だが、私は私の性とは言え部屋を汚されたという気持ちでいっぱいだったため、ぞうきんを彼に手渡して言った。

「自分で掃除して。触りたくない」

「……ごめんなさい」

「あと鎖延長してあげるから、片付けたらそのままシャワー浴びて。汚い」

「……はい」

 彼が掃除をし終えたあと、この家を自由に動き回れるくらいの長さに鎖を延長して、シャワーを浴びさせた。

 とんでもない目に合った、と思いつつ夕食を作る。そういえば昼食を用意していかなかったな、と思ったが、まあ一日くらいいいかと忘れることにする。

 それにしても、人を飼うって大変なことだなと思った。昨晩から東雲が来て、私の生活リズムも大きく変わった。でも、顔のいい人間をペットにするのは気分がいい。なんとかやっていけそうな気がした。

 それからというもの。毎日をそういう風に過ごしていくうちに、私は東雲に愛着が湧くようになった。愛着が湧いたなと感じたのは、そう、初めて東雲に暴力をふるったときのことである。

 仕事でうまくいかなかったこと、そして社長の理不尽に遭遇したときのことだった。帰ってくると、彼が私に話しかけてきたので、そこであまりに苛立って殴ってしまった。

 殴ったとは言っても、平手で頬を叩いただけだけれど、それでも彼は驚いているようだった。

「なんで……恵(めぐみ)……」

 そこで名前を呼ばれたことも苛立ったので、また私は彼の頬を叩いた。

「名前を呼ばないで。今、話しかけないで」

 そうしてシャワーを浴びに行った後、ああ、悪いことをしたな、大事にしたいのにな、と大反省した。居間に戻ると、少し怯えた表情の東雲が部屋の隅にいたので、私はそっと頬を撫ぜて慰めた。

「ごめん。本当は殴りたくなんてなかったのだけれど、嫌なことがたくさんあって手が出ちゃった。ごめんね。痛かったよね」

 そう言うと、彼は怯えが取れたようで、わっと泣き出して私にしがみついてきた。

「俺、浩人に捨てられて、もう行くところがないから、恵に嫌われたらもう、駄目なんだよ。嫌わないで。捨てないで」

「嫌わないし、捨てないよ。ごめんね、私が悪かった」

「本当に? 嫌わない?」

 こうやって、毎日暴力をふるっては慰めることを繰り返した。わかりやすく、ドメスティック・バイオレンスだと思ったし、その自覚はあった。でも、やめることは出来なかった。

 東雲は、時々「浩人に会いたい」とわがままを言った。しかし、そのわがままは叶えてあげられないし、叶えるわけにはいかなかった。でも、しつこくそう言うので、私はそう言ったときも、彼を暴力で黙らせた。暴力をふるうと、彼はとてもおとなしくなった。

 なので私は彼を黙らせたいときは暴力をふるった。きちんとアフターケアもするので、それで問題はないと思った。

そしてそのたびに、彼は「嫌わないで」と私に言った。「嫌わないよ」と言うと、彼は酷く安心したかのように笑った。それはまるでなにも知らない少年の無垢な笑顔のようだった。

綺麗な顔が赤く腫れるのはなんだか勿体ないので、そのうち見えないところ――お腹などを蹴るようにした。そっちの方が、彼の怯えようもすごかった。そして、捨てられる恐怖も高まるようだった。

ちゃんと優しくすることも忘れなかった。

そうして、気が付くと彼は私にどっぷりと依存していた。ありがたい話だった。ここに東雲を閉じ込めて、琥珀を作ることに成功したのだから。

 そんな風に過ごして、約一か月が経った。

 ある日、帰宅すると彼は私におにぎりを作ってくれていた。夕食の用意をしなくていいのは助かるので、それを食べることにした。

 一口。口に含むと、なんだか変な感触がした。汁っぽいような、ねばつくような。そして、少し苦い。口の奥に直接苦みが残るような感覚。私はこの味を知っていた。

 精液だ――

 そう思った瞬間、突然起こった彼の訳のわからない行動に恐怖を覚えると同時に、気持ちが悪くなって、私はトイレに駆け込んでおにぎりだったものを吐き出した。そして、出てくるものがすべて胃液になるまで嘔吐した。

 それを後ろで見ていたらしい彼を横目に見ると、驚いたのか静かに泣いていた。そして私がトイレから出て彼に話しかけようとすると、彼は急に自分の首を絞め始めた。

「な、なに……」

 突然のことに驚き、声にならなかった。

「あ、が、ぁ、あ」

「やめて! どうしたの! 私が全部食べなかったから? 吐いてしまったから? ごめん、謝るから、だからやめて!」

「う、ぐ、あ」

「やめてったら! どうしたって言うの!?」

 無理やり首に当てられた手を引きはがして、もつれあい、なんとか首を絞めるのをやめさせる。すると彼は、息を切らしながら言った。

「俺を、食べて欲しかったのに……」

「令を……?」

「俺のこと、食べて欲しかったんだ、恵に……」

 私も息が切れて上手く話せない。しかし、彼が言っていることと彼の行動の理由はなんとなく理解出来た。

 彼は私に自分を食べて欲しくて、考えに考えた結果、自分の一部である精液をおにぎりに含ませたのだ。それで、私が吐いてしまったから、ショックを受けてあんなことをしたのだ。

 自分を食べて欲しいと思うほどに依存されていたことには驚いたけれど、その反面、私はなんだか嬉しくもあった。それほどまでに私を好いてくれる人がいるということに喜びを覚えたのだ。

「どうして、食べて欲しかったの?」

 そう訊ねると、彼は言った。

「食べてくれたら、一つになれると思ったんだ……俺、恵とは絶対に離れたくないから……」

「……そっか。食べてあげられなくて、ごめん」

「……恵、俺のこと好き?」

 突然の問いに、私は戸惑って、一瞬口を噤んだ。

 好きか嫌いかと言われれば、好きだけれど――

「好きだよ」

 私がそう答えると、彼は安心したように頬を緩ませた。

「そっかあ。好きなら、嬉しい。よかった」

 そうして、彼は私の首に腕を回して、至近距離でキスをねだってきた。

「恵は、俺のことを抱いてくれない。好きなら、抱いてくれる?」

 いつもなら、わがままを言った彼を殴るところだけれど、今はなんだか、そのまま流されてもいいかと言う気持ちになった。

「いいよ。抱いてあげる」

 そうして、彼の上に馬乗りになって、盛り上がった股間を右手で撫ぜた。彼はそれだけで体をびくりと跳ねさせて反応した。

「言うことは聞いてね」

「聞く。聞くから、お願い、抱いて」

 もう我慢できないといったように彼は私にキスをせがむ。キスを落とすと、顔をほころばせた。

毎日社長に抱かれていたのに、急にセックスをしない生活になったのだから、体が求めてしまうのは無理もない。それに、彼は依存先にそれを求める節があるようだから、こうして「抱いてくれ」と言うのも仕方がないだろう。

だって、彼は今、私に依存しているのだから。

 彼の服を撫でるように脱がしていく。愛撫をしながら、ゆっくりと。そうしているうちに私の陰部も潤ってくる。そして、私も流れでショーツを脱ぎ、そそり立つ彼の陰茎に股を充てて、ゆっくりと挿入する。

 すると、かれはそのまま果ててしまう。一回射精したにも関わらず元気なままの陰茎の様子を見て、私はそのまま動き出す。

 すると、刺激が強く感じるのか、彼は大げさなくらいに喘いで、私の脳を興奮させた。

「気持ちいい?」

「う、んっ、気持ちいいっ……」

 精一杯に答える彼の顔は、まるで快楽に溺れた娼婦のようだった。

 綺麗な顔がゆがんで、涎を垂らす彼に、私は酷く興奮を覚えた。彼が果てるまで、私は一生懸命に動き、そして、彼は二回目の射精をした。

 中に出されたとか、そういうのは関係なかった。先のことは、どうでもいいと思えた。

 事を終えたあと、私はすぐにシャワーを浴びに行った。彼は動けないようで、床に寝転がって息を切らしていた。

 それからというもの、毎日私たちはセックスに明け暮れた。

 しかし、彼がなにか余計なことをしないように、私の留守中は手錠をかけることにした。手錠をかけるとき彼は酷く嫌がるけれど、私が帰ってきたら外せることがわかっているので、私の帰りをより楽しみに待つようになって、従順になってきた。

 社長がある日「俺の犬は従順か?」などと言って私に話しかけてきたので、私は「あなたのものではないですよ」と答えた。

「俺のおさがりなんだから、俺のと言っていいだろ」

「いいえ、もう私のものですから。それに、社長のことなんてもう忘れてると思いますよ」

「言うようになったなあ。ああ、それで。あいつをそろそろ仕事に戻そうと思うんだ。明日は連れてこい」

「……なぜ、急に?」

 社長は嫌な顔一つせずに答える。

「単純に人手が足りないんだよ」

 理由がそれだけだとは思えなかったけれど、私は社長に逆らえないので、明日は彼のことも会社に連れて行くことにした。

嫌な予感なんてしない。だって、彼はもう私のものになったのだから。

なにも、怖いことなんてない。

帰宅すると、彼はにこやかに私を出迎えてくれた。私に抱き着いてきたけれど、私は昼間の社長の横暴に苛立っていたので、彼を突き放して彼の腹を思い切り蹴った。

「恵、痛い、痛いよ」

「うるさい」

 痛い、痛いと言う彼の言葉を無視して、私は気の済むまで彼を蹴飛ばした。

 しかし、その後シャワーを浴びると、やはり先ほどの行動が悔やまれたので、痛みでうずくまっている彼を私は慰めた。そうしてセックスに持ち込んで、彼の気の済むまで付き合った。

 今日の彼はなんだか違った。

「恵、首、絞めて」

 と言うのも、首を絞めるように要求してきたのだ。私は彼の喜ぶようにしたいから、それに応えて彼の首を絞めた。そうすると、彼はすぐに果てた。馬乗りになられながら首を絞められることで射精をするなんて、彼もとんだ変態だと思った。

「満足した?」

 私の問いに彼はこくりと頷いて答えた。

「うん。満足。すごい、気持ちよかった」

 そして彼は私にキスをしてくっついてきたので、私はそれを振り払ってシャワーを浴びに行った。

 翌日。彼を会社に連れて行くとき、彼は久々の日光に苦しんでいるようだった。会社に着いて彼を椅子に座らせた後、喫煙所に向かおうとすると、向こうから社長がやってきて事務所に入ってきた。彼がいるので止めようか迷ったけれど、きっと大丈夫だろうという希望があったので、そのままにした。

 すると、彼は立ち上がって社長を見つめ、「浩人」と呟いた。最後に会ってから一か月以上が経過しているけれど、やはり、まだ早かったらしい。彼は過呼吸を起こして床に倒れ込んでしまった。

私は近くにあったコンビニのビニール袋を持って過呼吸に対する処置をする。

ぜえぜえと音を立てて喘鳴する彼の呼吸音。少しの焦りを抱きながら、私は社長に「どこかに行ってください!」と叫ぶ。

社長はくくくと含み笑って立ち去ったが、彼の過呼吸は治らない。そして二十分ほど苦しんで、彼は気を失った。私は、朝来たばかりで申し訳ないと思いつつも、彼が目覚めたら早退する旨を部長に伝えた。事情をすべて知っているので、部長は承諾をくれた。

きっともう、彼は仕事には復帰できないだろう。

そして社長があのとき笑ったのは、どうせ「まだ俺のものだったな」とでも言いたかったのだろう。あれはそういう笑いだったのだろうと思う。

でも、いい。それでもいい。私は私なりに彼を、東雲令を大切にしているし、大事に思っているし、彼は彼で私に依存はしている。それだけでもいい。それだけで、いいのだ。

依存してくれてさえいたら、それで。

家に帰り、彼が過呼吸を起こしたことを思い出し、悲しくなって彼を一度蹴った。一度蹴ると歯止めがきかなくなって、何度も何度も蹴った。

ひとしきり蹴ったあと、私は煙草を吸った。煙草を吸うと少しだけ落ち着ける気がした。でも、いつまで経っても落ち着けず、心がざわついたままだった。

 ふと、思った。

「ねえ、令」

 残る傷をつけてしまえば、私が一番になれるんじゃないかと。私を愛してくれるんじゃないかと。そして、私を忘れられなくなるんじゃないかと思った。

「令の背中、綺麗だよね」

 横たわる彼の服を捲し上げて、私はそのまま、煙草を彼の背中に押し付けた。

「ぐっ、う……」

 しかし、彼は耐えるだけ。私の灰皿になっても、ただただ耐えるだけだった。

 よく教育できていると思っていたのに。どうして。どうして今日、社長を見たとき過呼吸を起こしてしまったのか。もう、社長のことなんて忘れていると思ったのに。忘れていないにしたって、せめて、私が一番になっていると思っていたのに。

 私は、ぐりぐりと煙草を強く彼の差根化に押し付け続けた。

「痛いよね、ごめんね」

「痛い……」

「この傷はね、愛しさの証拠なの」

「愛しさの、証拠……?」

 彼は苦しみに悶えた表情で、床に突っ伏したまま私を見る。

「そう、証拠」

 煙草を彼の背中から離す。すると、彼はわんわんと泣きだして、言った。

「俺、愛されてる? 愛されてるんだよね」

「うん、そうだよ。愛してるよ」

「じゃあ、セックスがしたい。抱いてほしい」

 彼は私の脚にしがみついて、縋るようにして言う。

「首を絞めて、抱いてよ、恵」

 首を絞めることを要求してくるところも、無様に脚に縋ってくるところも、可愛らしくて仕方がない。

 そうして、私はセックスを許した。彼の全身を順番に愛撫していく。すると、彼のそそり立つ陰茎からは先走り汁があふれ出して、下着に染みを作っていた。

 それを知った私も陰部が濡れだしてきたので、彼の上に跨り、ゆっくりと挿入していく。出し入れするたびに、彼は声を漏らした。それが可愛く思えて仕方がなかった。

 首を絞めると射精してしまうところは相変わらず。そして、射精しても元気なところも相変わらず。

 行為を終えたあと床に寝転がって、私は珍しくシャワーを浴びる気にもなれずに、彼の手を握った。

「なんだか、このまま死んじゃいたい」

 自ずと口から漏れ出した言葉に、自分でも驚いた。

 すると彼は、私の手を握り返して「恵が死んじゃうのは、嫌だ」と言った。

「そうだよね。大丈夫、死なないよ」

 そうは言ってみたものの、消えてしまいたいという気持ちはなくならなかった。

「どうしても死ぬと言うなら、俺も連れてって」

「……馬鹿なことを言わないの」

 ベッドからタオルケットを引っ張りおろして、私たちは翌朝になるまで、床で手を繋いで横になっていた。

 それから、朝になって私は会社に向かったけれど、仕事をしていてもなんだか集中できなくて、なにも手に着かなくて。仕事が上手くいかないので早退をして家に帰ると、彼は驚いて目を丸くしていた。

「恵、どうして……まだ帰ってくる時間じゃ……」

 時計を見て再確認している彼を、私は抱きしめた。

「令のことを考えていると、仕事が手に着かなくて。帰ってきちゃった」

 そう伝えて、私はおもむろに彼の脚から伸びる鎖を短くしてベッドの脚につなぎ直した。すると、彼は不思議そうな顔をしていた。

「ああ、これ。あのね、やっぱり令はトイレにも自分で行けなくていいと思うの。私が全部お世話するから、気にしないで。それにね、目隠しもしておいた方がいいと思うの。私以外を目に入れて欲しくないから……手錠は枷にしようと思うんだ。一人のときに首を閉めちゃったら大変だから。あ、でも、舌を噛んだりはしないでね。死ぬのは、駄目だよ。ああそうだ、口枷もしておいた方がいいかな」

 ひとしきり言いたいことを言うと、彼はぼかんとあっけに取られていた。

「恵、俺のこと、またいっぱい閉じ込めるの……?」

 彼がそう言うので、私は答えた。

「閉じ込めるよ」

 そうすると彼は、悲しそうな顔をした。

「そんな、悲しそうな顔しないでよ。あのね、前にも言ったと思うけど、これは檻じゃあないんだよ。琥珀なの」

「琥珀……?」

「そう、琥珀。私は令のことが大好きだから、この部屋という琥珀の中に閉じ込めておきたいだけなの。わかってくれる?」

 そう伝えると、彼は「わからない」と言った。

「……令は、一度捨てられたよね。見放されたよね。そうしたら、悲しかったよね。それは私も同じなの。令がいなくなったら悲しい。だから、綺麗な令を閉じ込めておきたいのよ」

「そんな、俺、どこにも行かないよ」

「わからないでしょう。この前だって、社長を見て過呼吸を起こした。それぐらい、まだ、社長のことを想っているんでしょう。それなら、わからないから、閉じ込めちゃいたいの」

 彼はソファに腰かけて、しばらく足で遊びながら考えるようにして、そして「わかった」と呟いた。

 それからと言うもの。

 私が会社に行くときは、彼に手枷と猿轡とアイマスクを着けて行くようになり、帰ってきたら彼を開放するという生活が始まった。当然、帰宅すると彼はおもらしをしていたけれど、私がすべて片付けた。汚されることはもはやどうでもよかった。

「ごめん、ごめん、恵」

「いいよ」

「俺、我慢したんだけど。ごめんね」

「いいってば。仕方ないでしょ」

「ごめんなさい」

 これは私が望んでやっていることなのに、あまりに謝罪がしつこいので、私は彼を平手で殴ってしまった。

暴力をふるってすぐに、私ははっとした。大事にしたいのに、そもそもなぜ私は彼に暴力をふるってしまうのだろうかと、悲しくなったし、今更ながら疑問に思った。

 でも、手や足は勝手に彼に暴力をふるってしまう。一度始まると私の気の済むまで止まらない。

「好き、好きだよ、恵、好き」

 暴力をふるわれながらも、好きだと連呼する彼を哀れに思いながら、私は息が切れるまで彼を殴り、蹴り続けた。そうして気の済んだころ、「ごめんね」と謝る。これが日常だ。

「そんなに好きなら、私のために死んでくれる? 令」

 死ねば――殺してしまえば、永遠に私の中で彼は美しいままだ。彼は、永遠に私のものになる。

 彼は、

「死ぬ。いいよ。死んでもいい」

 と言った。そうして私の方に縋りついてきて、彼は「恵の手でなら、死んでもいいよ」と言う。

「私の手で……?」

「うん。恵になら殺されてもいい」

 そう言う彼に対して、私は一瞬戸惑った。でも、彼が私のために死ねて、私になら殺されてもいいと思っていることは単純に嬉しかった。

 私は台所から切れ味のいい包丁を取り出して、彼に言う。

「綺麗に逝かせてあげるからね」

 包丁を持って、彼に抱き着く。

「最期にキスして、恵」

「うん、もちろんだよ」

 彼の要望に応えて、私は、勢い付けて彼の首元に包丁を突き立てた。

 当然血を吐く彼。最期のキスは、彼の血の味がした。

 彼が息絶えていくのを見て、私はこれからのことを考えていた。これからどうしようか。人を殺してしまった私は、どうすればいいのか。でも、まずその前に、やらなければならないことがある。

「食べ、なきゃ……」

 以前彼は、私に自分を食べて欲しいと言っていた。

私は、彼の胸を切り裂いて、肺を取り出し、ステーキにして食べることにした。今度は吐かずに全部食べることができた。

 これで彼の願いも叶えられて、万々歳だと思った。決して後追いをする気はない。きっと私は、今後罪を償って生きていくことになる。

 鎖につながれた死体が横たわる部屋を、煙草を吹かしながら眺める。

「……琥珀」

 これで、本物の琥珀が完成した。

 大好きな人の死体のある部屋。

これが、私の求めていたものの最終形なのだと思った。

 私に愛を教えてくれた令。ありがとう。

 私の願いを叶えてくれて、本当に、ありがとう。

 窓からはオレンジ色の夕陽が射し込んで、部屋の中は琥珀色に染まっていた。

動かない令も、オレンジの中で綺麗に横たわっていて。


ああ、なんて、美しい――

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琥珀 真田 侑子 @amami_ch

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