二杯目 焼酎、持ち込み

「ぅうっ、……はぁ。今日もつかれた……」


 またしても明け方、始発のころ。


 上長もお局も同僚もいなくなった時間に、私は缶ビールを持ち込んでいた。


 前回は一気に飲んでしまったけど、今回はゆっくりしたかった。


 そこで選んだのは、喫煙所。


 オフィスから20mくらいしか離れていないが、ここなら煙草も吸えるしだれか近づいてきたらすぐわかる。煙草の臭いでアルコール臭もまぎれるだろう。


 かしゅり、とプルタブを起こす。


 なかで弾けている泡の鼓動が指先に伝わってくる。


 はじめてお酒を口にしたときのようなあのドキドキを胸に抱えながら、私はそっと口づけした。


 流れ込んでくるビールのこと以外すべてが頭から消えた。








「はぁっ……」


 ゆっくりしたい、と言いつつ半分くらいはあけてしまった。


 胃の底で輝く黄金は、全身にめぐってしあわせをもたらしてくれている。


 すかさずKOOLに火をつける。喉を駆け降りる煙が重く肺で凝り、じゅぁんじゅぁんと脳までニコチンを染み渡らせているのがわかる。


 アルコールとニコチンのハーモニー。


 やっぱこれっきゃない、と私はフィルターと缶へ交互にキスの雨を降らせた。


 全身全霊で感じたい。


 この、ひとときを。


「──ふぅー」


 飲み干し、煙草を吸い、ひとしきり満足してから仕事の残りを片付けて出てきた駅前の朝のなんとさわやかなことだろう。


 私は朝マックして空腹を満たし、ドラッグストアでビールを買い足してから帰った。またひと眠りしたら出社しなくちゃいけない。


 乱雑に脱ぎ散らかしたシャツとショーツとブラとキャミを乾燥時間込みで洗濯機に入れ、シャワーを浴びる。


 すると酒が抜けてくる。


 湧きおこるもう一杯飲みたいな……という気持ちをぐっとこらえる。


「明日の朝の、お楽しみなんだから……」


 私はへらりと笑い、顔からしたたるお湯を後ろへ拭い去った。


 そうしてこうして眠りに落ちて目覚めて、ゼリー飲料を流し込んでから頭痛薬を飲む。化粧のあいだ読み上げアプリで今日の資料の音を流す。いつものルーティンと出社。


 電車に揺られて、出てくる直前に飲んだコーヒーをちょっと吐きそうになりながら、到着。


 私は「おはよーございます!」と、「元気がないねぇ」とか上長にめんどくさい怒られ方しないが自分的に「……空元気すぎない?」とみじめにならない程度を見極めた声をほどよく張り上げて席に着く。


 デスクに、タンブラーを置いた。


「ん、アンタお茶でも持ってくるようにしたの? いっつも缶コーヒーなのに」


 お局が目ざとく見つけてきたので私はささっと、彼女の手が届かない位置に移動させた。


「たまにはインスタントとかで、節約しようかなって」


「ふうん。アタシはデカフェしか飲まないし関係ないけど」


 関係ないならいちいち気にしてくんなやと思いながら「へへ」とへつらった笑いでやり過ごす。しかしこの女、カフェインも入れずによく仕事ができるもんだ。仮眠してるところもみないし「炭水化物は太る太る」といってろくにご飯食べてるところもみないので人間じゃないのでは、と私は疑っている。ひそかに。


 やがて引継ぎという、その時間まで業務だったやつらとの朝礼じみたことを終えて業務がはじまり、あわただしく時間は過ぎていった。資料作成資料送付資料直し、架電入電架電入電。謝り倒して電話切って「ばーか」と受話器を罵り、会議発言会議仮眠発言。お局に「寝んな」と怒られる。うっせぇ、オンボロサイボーグ。


 夜っぴての業務の連続に、体力の尽きた男たちがネクタイゆるめながら「腹ヘリコプター」とぼやいてカップ麺にお湯を入れ始める。


 上長が「僕にも頂戴」と言っているが、共用のカップ麺置き場(みんなの自腹)にやつが補充しているのを少なくとも私は見たことがない。同僚たちもそれがわかっているので値段が中くらいのやつにお湯入れて持っていく。「僕すみれ屋のがよかったなぁ」と高いのでないことに文句を言うのをみんなで無視した。


 私はカップ麺はやめておく。なんか太りやすいと言われる時間に食べたものは全部邪魔者にいくので、これ以上は育てたくない。


「アンタ食わないの」


 お局にそう言われるも、半笑いで誤魔化す。デスク下の鞄のなかには弁当箱が入っているが、これはいま食べるものではない。


 食べ終わった人々が眠気と戦いながら仕事に戻るのを見つめつつ、私はタンブラーに口をつけようと……おっとこれはちがう。ついデスクまわりにあると飲んじゃいそう。


 自販機にいって缶コーヒー買ってたのを結局お局に見られて首をかしげられながら、私は「飲み切っちゃって」と言い訳して戻る。


 仕事、仕事。朝までひたすらに集中、根を詰める。目はかすんで肩はこわばり、もともと肩こりひどいのにさらにつらくなる。尻も腰も痛い。そういえば同僚だった朽縄くちなわちゃんは座り過ぎの坐骨神経痛で仕事変えてったっけ。私も気をつけなきゃ……


 などと言ううち(いつのまにか独り言いってたことに上長から指摘されて気づく、うるせえ)、今日も日は昇る。


「おつかれ。僕ら上がるけど戸締りい「大丈夫ですやっときます」


 上長からの問いに、食い気味で答えて敬礼しておいた。


 一緒に上がるときに最寄り駅きかれたり休日の過ごし方きかれたりしてイラついた経験があるので、なにがなんでも上長とは帰らないようにしている。ちなみにお局はそそくさと帰った。あの人もべつに上長と仕事以外の話はしたくないらしい。


 そんなわけで誰もいなくなり、オフィスはがらんとした。窓を開ける。秋風が吹きこんで、部屋に漂っていたおっさん臭さが流れていく、ような気がした。


「……よしっ」


 私は力を込めて、デスクまで駆け足でちかづいた。


 そして通り過ぎた。向かう先は自販機だ。


「あれもこれもそれも」


 ぴっぴっぴっと押していく。


 がこんがこんがこんと落ちてきたのをせっせと運び、社屋の屋上に出た。


 片手に弁当箱とペットボトル3本。片手にタンブラー。


「きんみゃ~」


 私は鳴き声を上げて、ベンチに腰掛ける。のぼってくる朝日に向かって、タンブラーと紙コップを掲げた。まぶしくて目からこめかみを突き抜けるような痛みがある。ていうかこれ頭痛か。私はラムネ菓子みたいに、ポケットからピルケースを取り出して頭痛薬を噛んだ。


 まあそんなことはいいや。


 紙コップをとんとんとんと3つ置いて、そこにさっき買ったペットボトルの飲み物を注ぐ。ジンジャーエール、梅ジュース、あと強炭酸。


 そこに、タンブラーの中身を注いだ。


 とっとっと、と空気をふくみながら落ちてくるのは、家で紙パックから移してきた焼酎だ。クンと嗅ぐとツンと香る。これがたまらない。


 そして弁当箱に詰めてきたのはもちろんつまみだ。冷凍の小分けされたきんぴら、枝豆、つくね串。揚げナスも冷凍のやつ、さいきんはバカみたいに旨い。これがたまらない。


「いただきー」


 まずは炭酸でふつうに1:3で割った焼酎を飲み干す。……んぁっ。ビールよりもなお響く。やっぱり度数は脳へのキき方がちがう。耳の奥で血流がどくどくと元気になってきてるのを感じた。


 すかさず、揚げナスを口に放り込む。もうこれが油の広がりといい、早朝で弱ってるはずの胃腸にたまらなかった。もう一杯炭酸割をつくって飲み、胃をアルコールと旨味でもみしだく。


 ここで一服煙草を挟んで……そのあいだに、タッパーに分けてきていた梅ぼしの出番だった。


 ごろんと梅ジュース割に放り込み、マドラーとかはないので割りばしでそのまま押しつぶす。ぎゅっぎゅと押すたび果肉がほどけて舞い、朝日に透けて踊っていた。やわいコップの縁に唇をつけると──


 酸。甘。渋。


 三重奏が焼酎の味を後押しして、喉と胃をよろこばせる。


 すかさず、枝豆を口に放り込む。皮の周りについてた塩気がしゃりりと舌にまとわりついて梅ジュースの風味を消し、焼酎の風味だけ残らせる。それから豆の香ばしさがほっくりと焼酎も押し流す。


 煙草をまた一服。


 焼酎を飲む。


 煙草をふた吸い。


「……あぁー……」


 だれかここで階段上がってきたらどうなるんだろ。


 緊張しながら、でもお酒で緩みながら、えへらえへらしてる私はくわえ煙草に意識を戻して朝日を眺める。


 飲んで、吸って。


 生きるのにはおおよそ必要ないことばっかりして。


 自宅と会社の行き返りだけの生活で、いまが一番自由で、生きてる感じがした。


「……明日もお酒、飲もう」


 ぐびりと喉を鳴らした焼酎の、家の紙パックの残量のことを私は考えた。


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