第1話ー1

第一話


『ガラの悪い暴漢に絡まれることによる物語の導入は使い古され、今更用いられることは滅多にない。

だが、それが過去に定型として盛んに採用された事実を今一度見つめ返し、その魅力や利便性を現在でも応用できないかについて考えるべきだ』

劇作家であった父の遺したノートにもそんな文面があったなと、懐かしさと共に思い出した。

 長尾刹那は、二十代半ばまで生きている。

それなりに様々な人生経験をしてきたと自負しているが、まさか自身がそのような状況に遭遇すること、巻き込まれることも想像していなかった。

初春の夕刻、夕陽はまだ沈んでおらず、街の景色に闇も溢れてはいない。

 そんな中の一角で、刹那は四・五人の少年たちに取り囲まれていた。

 年齢は高校生ぐらいだろうか、学生服ではなく派手な装飾のシャツやダメージジーンズなどのラフな格好をした彼らは、刹那を何かしらの標的としているように見定め、ニチャニチャと形容されるような気色悪い笑みを浮かべていた。

「よう、姉ちゃん。アンタ、さっきATMで金を下ろしてたよなぁ?」

 少年の一人が尋ねてきた内容に、「あぁそっちか」と刹那は心の裡で納得する。

この手の状況での暴漢側の行動は、金をせびるか遊びに付き合わせようとするかの二択が多いのだと、これも父のノートに書いてあったことだ。

「結構な額があったよな? なぁ、俺たち今遊ぶ金がねぇんだわ。その金、全部俺たちに恵んでくれねぇか?」

「働いて稼げば?」

 高圧的かつ下品な笑みで申し出る少年に、刹那は呆れた様子で応じる。

 それに、相手の表情は一瞬で苛立ちに染まった。

「あぁん? てめぇ、状況分かってんのか? たかが大人の女が一人で、俺たちに囲まれてるんだぜ?」

「お前たちは大人の頭を馬鹿にしすぎね。それぐらい分かるし、お前たちが大人を喧嘩も強くなくて組みしやすい存在と認識しているのも理解している」

 冷ややかに、刹那は溜息すら出そうになるのを耐えて言葉を返す。

 彼女なりに、あまり相手を愚弄しすぎないように言葉を選んだつもりだが、客観的に見れば馬鹿にしていると変わりない言葉の内容だ。

当然、相手の苛立ちは、激昂にボルテージが上がる。

「なら大人しく従うんだな! 俺たちがその気になれば、テメェみたいな女はすぐに嬲ることもまわすことだって出来るんだぜ?」


「・・・・・・経験あるの?」

 少し考えてから、刹那は不審そうに尋ねた。

 思いがけない言葉を受けた相手が反射的にまごつくと、刹那は返事を得ずとも回答を得る。

 内心、冷たい顔のまませせら笑いそうになるが、彼女は懐から財布を取り出し、少年たちに向けて放り投げた。

 慌てて空中でそれを受け取り、少年たちは呆気に取られる。

「はぁ。それあげるからさっさと帰りなさい。あと、あまりカツアゲとかしない方がいいわ。度を過ぎたらお前たち全員補導されておかしくないし、この島にもそれなりに警察はいるんだから」

 眉間に皺を寄せながらも、刹那はそう言い渡して手を払う。不良とはいってもただの子供だと、彼女は本気で取り合うつもりはなかった。

 その対応に、相手の少年たちはしばらく茫然となる。

 少しおいて返ってきた反応は――激怒だった。

「な、舐めてんのか、てめぇ!」

「は?」

「は、じゃねぇよ! 俺たちを見下しやがって! そんなに痛い目に遭いてぇのか!」

 胡乱げな反応をする刹那に、少年たちは眦を決していた。

「喧嘩に乗れる力もねぇのに調子に乗りやがってッ!」

「泣いて謝るまでぶっ殺してやる!」

「後悔するぐらいあの世に送ってやるよ!」

 思い思いに、彼らの口からは棘に満ちた悪態が引き出される。

対して、刹那は目を瞬かせていた。彼らの並々ならぬ怒りが向けられている事に、気後れする様子はまるでない。

 その証拠に、続いて彼女の口から出た言葉も、平然としていた。

「お前たち、自分たちの気持ちはもう少し考えて言葉にした方がいいわよ。言葉が支離滅裂すぎて意味が分からない。学が浅いのは仕方がないことなんだろうけど・・・・・・」

「ぶっ殺されてぇのか!」

 憐れみを含んだ声での刹那の指摘に、少年たちは息を揃えて怒号を飛ばした。

 当然の反応なのだが、刹那はやれやれと言った顔をする。この様子ではどうあっても、話し合いで穏便には事を収めるのは難しいと理解したようだ。

 ちなみに、刹那自身は自分の言葉が火に油を注いだという認識はまったくない。

「生憎、私は自殺志願者じゃないから、進んで死にたいとは思ってないわ。あと、お前たちが私に何か出来るとも思えない。自分の身を守る術なんて、充分すぎるほど備えてあるもの」

「ハァ? てめぇ、まさか本気でそう思って言ってんのかぁ?」

 淡々と告げる刹那に、少年の一人が突如としてイキり出した。

「テメェみたいなババァ、俺たちみたいな『童魔』に勝てるわけがねぇだろ! それともテメェ、本土から来て、まだ本物の童魔には会ったことがなかったか?」

 自らの力を誇示したいのだろう、自信満々に言い放つ相手へ、刹那の眉がピクリと動く。

 その僅かだが重大な反応に、彼らが気づける能はないようだ。

「ハハハ、運が悪かったな! 餓鬼が全員童魔というわけじゃねぇが、俺たちは本物だぜ!」

「・・・・・・一応訊くが、本当に童魔か?」

「あぁ! なんだぁ、今になって怖じ気づいたか?」

「童貞、の言い間違えではなくて?」

「違ぇよ!」

 ふざけてんのかと相手は怒鳴り声をあげるが、刹那はまったく気にしない。

 その目は、据わっていた。

「そうか。なら、仕方がないな」

 そう言って、彼女はスーツのポケットから黒革のグローブを取り出した。少年たちが訝しがるのを尻目に、彼女はおもむろにそれを装着する。

「やれやれ。島の治安は事前に聞いてはいたけど、ここまで童魔が馬鹿なことをするのがまかり通っているのね」

「・・・・・・おい。てめぇ、何してる?」

「ん? 返り血対策。必要はないだろうけど」

 自分の行動に疑念を唱える少年たちに、グローブを装着した刹那は目を戻した。

 少年たちはややあってから、刹那が自分らとの喧嘩に応じる気だと理解する。

 同時に、ほくそ笑む。

「おいババァ。てめぇ、まさか本気で俺たちをどうにか出来ると思ってんのか?」

「百歩譲ってババァ呼ばわりは聞き流すとして、そうやって相手を舐めるのは止めた方がいいわ」

「舐めるのを止めるのはテメェの方だ。俺たちがやる気になればてめぇなんざ――」

 警句のつもりで刹那が発した言葉を、彼らは気に留めることなく、にやついた顔のままだ。

 その中で最前列だった一人は、おそらく自分に何が起きたのかを数時間後にようやく理解するだろう。

 

言葉の途中、彼はにやけ面のまま、横へ錐揉み吹き飛んでいた。


 宙を舞う彼の様子に、仲間の少年たちも思わぬ光景であったために反応が遅れる。

「あぁ、一つ言っておくことがあった。お前たちが童魔なら当然知っているだろうけど、『童魔』が魔術継承によって魔術の使い手となった『子供たち』のことを指す言葉ならば・・・・・・」

 意識を刈り取られた少年の耳には届かないことは百も承知で、刹那は口を開いていた。

呆気にとられて自分を見る少年たちに、刹那は微笑む。

「童魔が歳を重ねて『成人』すると、『大魔』って呼ばれるようになる。私みたいにね」

 そう説明をする彼女の目には、一切笑みは残っていなかった。


   *


 対応に困る大人がいると報告を受け、藍木若葉は聴取用に設けられたテントへ入る。

 蓬莱島の一角、桐ヶ山学園地区内に臨時で設けられた検問所には、学園の自警委員会の生徒たちが詰めていた。学校ごとに周辺地域の自治と自警を行なうことが原則である蓬莱島内では、検問所が突発的に用意されることは珍しくない。それだけ普段から、悪事を企む者は後を絶たず、現に本日の検問でも、白黒は不明ながらも不審な人物たちが何人も拘留されていた。

 ただ、こういった職務や対応に慣れているはずの自警委員会メンバーをして、その人物への対処は困難を、否、困惑を余儀なくされているらしい。

 後輩からの要請を不審に思いつつ、テントを到着した若葉は件の人物へと目を向ける。

 ある程度話を聞いてはおいたが、なるほど、確かに胡散臭い雰囲気のある人物だった。

「やぁ。君がここの責任者の子かな?」

 不審な点があったため検問に引っかかっているにもかかわらず、嫌疑人は若葉に気づくと、微笑みと共に馴れ馴れしく手を挙げてきた。若白髪が目立ち、一見人畜無害そうに見える男だ。それでいてどこか怪しく感じられる気配もある、掴み所のない奇妙な人物である。

 若葉は筋の良く鼻梁が通った貌に眉を顰めるが、嫌がる素振りは見せず対面の椅子に座った。

先ほどからいる別の委員たちも、彼女に倣ってそれぞれの席につく。

「いいえ。私は自警委員会の一人です。責任者の委員長ではありません」

「おや? 委員長も直々にこの検問所に詰めているのかい? 勤勉だね」

「・・・・・・改めて私からもお尋ねしますが、お名前は?」

 どこか茶化すような相手の態度に嫌気も覚えるが、若葉は努めて平静に尋ねる。

「さぁ。当ててみて?」

「分かるわけがないでしょう。身分証もない、見ず知らずの人の名前を」

 ふざけたことを訊かれ、若葉は苛立ちを隠しきれずに返答する。

 それから、応援を頼んできた委員たちに目を向けた。視線に対し、メンバーたちは「ほら、こんな感じで」と言いたげに辟易とした表情を浮かべていた。

検問所で正体を隠そうとして拘留される人間は少なくないが、こんな好意的な様子を装ってのらりくらりしてくる相手はあまりいない。

 対応に不慣れだという以上に、不快だった。

 彼女らの反応に内心同情もしつつ、若葉は視線を男へ戻す。

「身分証をお持ちではない、ということでよろしいですね?」

「持っているけど、職場に置いてきた」

「名前を教えるつもりはない、と。それならば、職場を教えてください」

「んー・・・・・・当ててみて?」

「先輩。やっぱりこいつ、一発殴っていいですか?」

「落ち着いて」

 揶揄に思わず、近くにいた他の委員が怒りを口に出したのを、若葉は制する。

 気持ちは分かるが、ここで殴ることの正当化は難しい。殴るならば、もっと証拠が必要だ。

 若葉は、自分自身も落ち着くため、一つ呼吸を挟む。

「では、質問を変えます。逆の立場になって考えてみてください。貴方が私を取り調べする立場で、初対面の私へ名前を尋ねているのに、私がふざけた調子で答えをはぐらかしていたら、どうやって名前を当てるのですか?」

「んー、そうだね。まぁ鎌をかけるのが基本かな。そんな感じかな、若葉さん」

「そうですか・・・・・・ん?」

 いけしゃあしゃあと応じる相手に呆れかけ、ふと若葉は疑問を覚えて顔を上げる。

「どうして私の名前を知っているのですか? 名乗ってはいませんが」

 そう。若葉はここに来てから、まだ自分から名乗りはしていない。

にもかかわらず、相手は何故か自分を知っていた。そのことに気づきに、彼女や周囲の委員たちは警戒心を露わにする。

「そうだね。けど、さっき後輩の子に呼ばれる際に名前が出ていたよ。『若葉先輩、ちょっと来て貰えますか』ってね」

 男が答えた内容は、若葉にも心当たりはあった。その会話を聞き逃さなかったのならば、確かに納得はいく。

 同時に、この男はふざけた態度とは裏腹に抜け目がない人物なのも明らかだ。結果として、より警戒度が高まる供述である。

「なるほど。それは盲点でした。確かに、私は自警委員会に藍木若葉と申します。三年生です」

「そうかい。なるほどね・・・・・・」

「このあたりの住民ではない、と思ってよろしいですか?」

 納得した様子の男に、若葉は慎重に尋ねる。

 すると、男は目を瞬かせてから、何故か小さく肩を揺らし微笑した。

「なるほど・・・・・・。これは、どっちだろうなぁ」

「どっち、とは?」

「腕の腕章。察するに、学年ごとに色を分けているんでしょ?」

 男が指摘したのは、制服の袖を通して二の腕に巻かれた自警委員会の文字入りの腕章だ。

「後輩ちゃんたちとは色が違うから、役職によって違うのかと思ったけど、多分その色は桐ヶ山学園で学年ごとに制服に使う女子生徒のスカーフの色と対応しているよね? 後輩ちゃんたちが一年生だとすれば、君の学年は二年生のはずだ」

 にっこりと、男は笑う。

 その見立てに、後輩たちの顔は強ばり、若葉も表情を消す。

「なのに、わざわざ三年生だと名乗ったのは、まぁ俺が学内に住む人間か、それとも学外から来た人間かってことを探るためだね? 俺が素直に信じるようならば、その時点でほぼ間違いなく学外で活動している人間だということになるからね」

 特に誇る様子はなく、男はそう推理する。

 図星であった。

 若葉はふざけた態度の男に対し、何気なく意趣返しで鎌をかけ、相手を引っかけてペースを乱そうと思ったのだ。これは以前、委員長から教わった手法で、実際何度も成功する様子を目撃していた。

 それを、男は一瞬で見抜いたのである。

「ただ、逆にそのことをすぐ指摘すると、何故それを知っているんだってことになるからね。それはそれの時点で、じゃあ逆にこいつは学内に住んでいる人間だってことにもなって好都合だ。だから、どっちで答えた方がいいのかって思ったのさ」

「しかし、結果として貴方は私の偽称を見抜いたわけですよね?」

 肩を竦めて答える相手に、今度は隙を見せぬように、若葉はすぐさま問い詰める。

「となると、貴方は普段から学内にいる人間の可能性が強いということです」

「そう考えるのも分かるけど、今回は外れだね。俺は単に、この地区の学園の規則を知っているだけの外部からの人間だよ」

 厳しく追及の姿勢を取ろうとした若葉に、男はあっさりと答える。

 今までは話をはぐらかし続けていただけに、唐突な反応に若葉はやや面食らう。

「ここにはちょっと所用があってね。実地検分といったところかな。それで、他所の方からやって来たんだ」

「どうして、急に素直に答えだしたんですか?」

 少しばかり困惑した様子で、若葉は尋ねる。

 おそらく周りのメンバーも、急に正直な供述を始められ、疑念は抱いていることだろう。

 彼女らの疑念に、男は軽く噴き出す。

「いや、頑張っているようだから、これ以上意地悪しなくてもいいかなって。真面目にこんなふざけた返答を繰り返す相手にでも、ルールを守りつつ対応していることに好感を覚えたってところだね」

「ふざけているという自覚はあったんですね」

「うん、勿論」

 一切悪びれることなく、男は首肯する。

 その態度に、若葉は何か言いかけ、飲み込んだ。

 代わりに、盛大に一つ溜息をつくと、横にいる委員へ顔を向けた。

「この方は、何か不審物を持っていませんでしたか?」

「あ、えっと、アタッシュケースを一つだけ。でも、鍵が掛かっていて中身は分かりません。先ほどから開け方も尋ねていたのですが・・・・・・」

「答えない、と」

 確認すると、相手は頷く。

 それを見てから、若葉は男に目を戻した。

「一応訊きますが、開け方を教えるつもりはないですか?」

「ないかなぁ。今のところは」

「でしょうね」

 予想していた返答に、若葉はすぐ頷く。

 そして、僅かな逡巡を経て、後輩たちに目を向けた。

「黒、という判定で結構です。ここまでやって非協力的なのは、何かやましい事情があるということに他なりません。これ以上の尋問は不要です」

「かしこまりました」

「ふむ、思い切って判断したね」

 思い切った結論を出した若葉に、男は今回は感心したように言う。

 その言われ方に、若葉もむっとする。

「何故、要請を拒否している貴方がそんな偉そうなんですか」

「おっと失礼。いや、素直に感心したんだよ。賢明で最適と呼べる判断だと思ってね」

「やっぱり上からじゃないですか」

「そりゃあ、こっちの方が経験豊富だから」

 刺々しい視線を向けられているにもかかわらず、男はにっこりと笑う。

 腹の立つ反応だが、もうすでにこれまでのやりとりを通じてまともに取り合うだけ無駄だろう。こういう、人を小馬鹿にするタイプの人間なのだということは確信がついていた。

「警察に引き渡します。連絡をお願いします」

「はい。分かりました」

「あー、警察かぁ・・・・・・」

 若葉たちのやりとりに、男はそう言う。

 その、何か含みのある声に、若葉たちは目を向ける。

「何か問題でも?」

「んー、たぶん大丈夫だと思うよ。ただ、事情を知っていない人間が出ると、後で怒られるかも知れないと思ってね、俺が」

「どういう意味ですか?」

 歯切れの悪い、というより明らかに何か意味がありそうな言葉に、若葉たちは不審な顔をした。

 テント内に置かれていた警報器が鳴り出したのは、その時である。

 反射的に肩を震わしてもおかしくない音に、しかし自警委員は誰一人として取り乱さない。若葉は携帯電話ではなく、自警委員会用の無線機を取り出す。

「状況は?」

『第二テントに襲撃です。外部からの攻撃と、たった今そこにいた数人の拘留者が脱走を試みています!』

「警察への連行予定は?」

『まだでした!』

「了解。藍木班も応援に向かいます。委員長は――」

『既に追っています』

「ですよね、了解しました」

 手早く連絡を取ると、若葉は無線機を下ろしてテント内のメンバーに目を向けた。

「私はここを離れます。貴女たちは、この男性の連行も含めて警察に連絡。彼の監視も怠らないように」

「はい、了解です!」

 若葉の指示に、背筋を正して後輩たちは頷く。その佇まいは、学生でありながら大人の警官にも負けず劣らない落ち着きと頼もしさがあった。

 彼女たちの返答を受け、若葉は外へ向かう前に一度男へ目を向ける。

 その瞬間に、男は再び微笑んだ。

「お仕事頑張ってね、藍木さん」

「えぇ、どうも」

 素っ気なく返すと、若葉はテントを後にする。

 彼女が足早に去っていくのを見てから、男は微笑みを浮かべた顔のまま、横にいた委員の一人に目を向ける。

「しっかり者だね、彼女。周りからの信頼も厚いでしょ?」

「当たり前です。それこそ、貴方みたいな人とは全く違います」

「ははは、その通りだね」

 棘のある返しに、男は怒るどころか嫌がることもなく、呵々大笑する。

 そのリアクションに、彼女たちはまたもげんなりとした心地にさせられた。


   *


 襲撃者と共に検問所を脱出した者たちは、そこから北東にある開発地区に逃げ込んでいた。

 開発地区は、今後誘致される企業の工場やテナントがあらかじめ建ててある場所で、実際に人々が出入りしているわけでもない。

 ただ、そうはいっても無法者たちのたまり場となっているわけでもなく、監視カメラも置かれた上で立ち入り禁止区画となっている。許可も無く入れば、自警委員会や警察に現行犯で取り押さえられると定めもあり、だからこそ、自警委員会に拘束されたやましい者たちが逃走のために選ぶのも、あるいは一時的に身を隠すのに利用するのも、今更罪状を増やしたところでと考える彼らからすれば当然といえた。

 検問を張った時点でこういう展開も想定していたのもあり、若葉たちに焦りはない。

「逃走者と襲撃犯の位置は?」

『具体的には不明です。しかし、黒上委員長からの逃走している状況から見て、東北東に抜けようとしていると思われます』

 オペレーター役の委員からの報告に、若葉は「分かった」と返す。

「先んじて、そちら方面への委員の配置を。藍木班は、開発区東北東に急行し、委員長に追われてくるだろう逃走犯たちを待ち構えます」

『了解です。委員長にも――』

「いえ、不要です。委員長に伝えると、気取られる可能性もありますし、黙っていても委員長なら分かって動かれるはずです」

『そうですね。分かりました、お気をつけて』

 鼓舞を受け、若葉は自らが率いる班員とそちらにバイクで向かい始める。警察が乗るような白バイではなく、オシャレさとはかけ離れた外見の原付バイクだ。もっとも自警委員会用に改造されたそれは、駆動音が非常に静かで隠密性能に優れていることから、メンバー内でなかなか評判の良い代物だった。

 今回のような無人の地域を移動する際には特に重宝されるそれを使い、彼女らは移動する。

 およその直系二キロ半もある開発区を、若葉たちはあっという間に移動し、数分足らずで、若葉たちは逃走者たちがやってくる可能性が高い辺りに到着する。

「逃走中の人たちの位置は?」

「今、索敵しています・・・・・・あっ」

「どうしました?」

「少し行きすぎですね。南南西数百メートルの道路横の建物に身を潜めたと今連絡が」

「分かりました。至急南下を」

 やや急いだことを反省しつつ、若葉は速やかに元来た道を戻るよう指示を出し、行動に移ろうとする。

 が、原付バイクにまたがったまま振り向いた直後、動きが止まった。

 人影が、一つ。

 佇むその人物に見覚えがあり、若葉たちの視線を注がれると、彼は朗らかに手を挙げてきた。

「やぁ。お仕事、大変そうだね」

「何故、ここにいるのです?」

 若葉は、警戒と同時に威圧を込めた眼で、若白髪も目立つ優男を見る。

 先ほどまで、若葉が尋問していた男に間違いなかった。

 問いに対し、男は挙げていた手の指先を顎に這わせる。

「抜けてきた」

「貴方を見張っていた子たちは、どうしました?」

「安心して。暴行は加えてないし、指一本触れていないから」

 憤りも含まれかけた敵視を察してか、男は告げる。

 同時に、彼は腕時計へと目を落とす。

「状況は?」

『もうすぐ、彼らが貴方の南方を抜けていきます。あと一分だけ、彼女たちの足止めを』

「了解」

 腕時計からの指示に、男は頷いて腕を下ろす。

 そして、こちらを見る若葉たちに目を戻した。

「あ、聞こえたかもしれないけど、あと少しだけ付き合ってくれないかな?」

「一つ、確認してください」

「なに?」

「貴方は、逃げている人たちの仲間ですよね?」

 質問の形ではあるが、ほぼ断定に等しい声色だ。

嫌疑を向けられると、男は肩を竦める。

「いいや。あんな奴らの仲間じゃないよ。どっちかといえば、君たちの味方さ」

「そうですか。全員、突破します」

 男の返答を、戯れ言と判断した若葉は、指示を飛ばす。

 その瞬間、彼女たちは一斉に原付のエンジンを唸らせ、男の横をすり抜けるために発進した。

 あからさまに自分たちの足止め役となっている男は、徒歩だ。数の利があるのはそうだが、わざわざ相手する必要は一切無く、散開して全速力で突破すれば良いだけだ。

 その瞬間的の大胆な判断に、男は顔色を変えなかった。

 次の瞬間、彼女たちのバイクはいきなりバランスを崩し、急発進の勢いもあって、彼女たちは宙に投げ出される。

 突然の出来事、それに彼女たちは咄嗟に驚き、中には悲鳴を上げる者もいた。

 急発進からの勢いで前方に投げ出されたため、そのままでは受け身もろくにとれぬままアスファルトの道路に叩きつけられていただろう。そうなっていたら、大怪我は免れなかったはずだ。

 だが、結果としてそのようなことにはならなかった。

 彼女たちは皆、何者かに抱き止められる感触の後、大幅に落下の勢いを削がれ、背中から地面にぶつかる。転がる必要もない勢いで道路を滑ったことで、背中がこすれる感触こそあったが、衝撃吸収の性能が高い制服を着ていたことから、深い傷を負うような痛みはなかった。

天を仰いだ状態で地面に倒れると、彼女たちは皆、今起きた出来事に目を白黒させる。

 何が起きたのかと頭が混乱する中、最も早く身を起こして男に目を向けたのは若葉だった。

「やれやれ、随分思い切ったことをするね~」

 そう言いつつ、男は二の腕あたりを手で払う。どうやらスーツの皺を伸ばしているようだ。

「まぁ非常に的確な判断だ。俺じゃなかったら、反応も出来ずに全員通していただろう」

「やはり、今のは貴方が・・・・・・」

 まだ信じがたい気持ちが強かったが、それでも若葉は確認する。

 男は、ニッと笑った

「そうだよ。ちょっと乱暴だったね。バイクの前輪のタイヤをパンクさせちゃったから、それについては後で弁償するつもりだよ」

「・・・・・・後で?」

 相変わらずふざけた調子の相手に思わず苛立ちそうになるが、若葉はふと引っかかった。

 自分たちの足止めが目的なら、逃げている者たちの仲間のはずだ。

なのに何故、自分たちの使うバイクの弁償を後から行なうなどと言ってくるのだろうか。

 無論、その場しのぎの虚言の可能性もあったが、若葉の疑念は思わず口をついて出ていた。

 それを受けて、男は一度腕時計に目を落とす。

「んー。まぁ、もう種明かししてもいいかなぁ」

 少し考える様子の後、若葉以外のメンバーが身を起こすのを見て、男は決める。

「君たち、さっきの奴らを追っていたら結構危なかったよ。ここからさらに東を進んだところで、彼らの仲間がたくさん待ち伏せていたからね」

「え?」

「逃げた奴ら、逃げるついでに君たち自警委員会にダメージを与えたかったんだろう。追手をから逃れるフリをして誘い込み、そこで逆に包囲して君たちを撃退する準備をしていたんだ」

 そこまで告げた後、男は何か思い出した顔をする。

「ちなみに、彼らを元々追っていた子たち、このままだと結局彼らの罠に飛び込むんじゃないかって気づくかもしれないけど、安心していい。すでに彼らが待ち構えていた包囲に、警察が逆包囲を終えているはずだから」

「何故、そんなことが分かるんです?」

 当然の疑問を口にする若葉へ、男は小さく肩を竦める。

「そういう用意をしておいて、実行している側の一員だからね、俺も」

 だから種明かしってことだよと、彼は言う。

 ここまでくれば、男がどのような立場の人間なのかは、自ずと想像もつくだろう。

 しかし、理解と同時に疑念も湧いた。

「どうして、私たちにそれを隠して検問所へ?」

「あー。それについては俺の独断だね。これから絡むことも多くなるだろうこの島の子たちの実際の姿を、少しでも前情報無い状態で見ておきたかったんだ」

 言いながら、男は懐から手帳を取り出した。

 警察手帳かと思ったが、違う。

 色合いは似ているが、見たこともないデザインのものだ。

「じゃあ、いい加減自己紹介しておくね。俺は諏訪野永久。本土から派遣された童魔更生官だ。これからよろしくね」

 そう挨拶をする彼の背後では、警察が逃亡犯たちを制圧していると思しき喧噪が響いていた。

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