第17話 懐かしい人
三人で駅のホームに立つと、まもなく電車が来た。ドアが開き、たくさんの乗客が降りた後、
「あ。ここ、空いてますよ。
「すみません。名前で呼んでしまいました」
頭を下げつつ謝罪する伊藤に、祖母は優しく微笑み、
「あら。名前で呼んでくれたのに、謝ることないでしょう」
「でも」
「いいの。気にしないで。名前で呼んでちょうだい」
伊藤が頷くとほぼ同時に電車のドアが閉まった。
「千尋さん。座って下さい」
「あなたたちも、お座りなさいな」
祖母に促されて、沙羅と伊藤は祖母の両隣に座った。沙羅は、祖母の横顔を見ながら、小さい頃、確かに一緒にこの電車に乗ったと思い出していた。
「おばあちゃん。どこに行くの?」
「ここから三駅先の、バラ園に行くのよ」
「バラエン?」
「そう。バラ園。お花がいっぱい咲いてるのよ」
「おはな、いっぱい?」
「そう。いっぱい」
祖母を見つめていると、それに気が付いた祖母が沙羅を見返して首を傾げた。沙羅は祖母から目をそらして、
「昔のこと、少し思い出した」
「そうだったの」
祖母の笑顔が、少し歪んだような気がした。沙羅は、外の景色に目をやり、黙っていた。伊藤も祖母も何も言わず、ただ電車に揺られていた。
目的の駅で降りた後、バスに乗ってバラ園へ向かった。バスを降りると、祖母は「行きましょう」と言い、迷う様子もなく歩き出した。
「おばあちゃんね、バラ園のおうちで働いてたのよ。毎日、この道を通ってお買い物に行ったわ」
「おばあちゃん、バラエンにすんでたの?」
「そう。住み込みで働いてたの。だから、住んでいたと言っても間違いないと思うわ」
坂を上って行きながら、沙羅は昔祖母と話したことが、頭の中に蘇ってきていた。
「沙羅ちゃん、覚えてる? 沙羅ちゃんと話しながら、この坂道を上ったのよ」
「うん。今、思い出してた」
「沙羅ちゃん、そこに住んでたのかって訊いたわね」
「そうだね。おばあちゃん、そこで働いてたって言ったよね」
「そうね」
祖母は、隣を歩く伊藤の方に顔を向けると、
「私、あのバラ園で住み込みで働いていました。旦那様……
祖母が微笑みを浮かべた。
「良い雇い主だったんですね、川野辺さんは」
伊藤の言葉に、祖母は深く頷き、
「そう。みんな、旦那様をお慕いしていましたよ」
祖母がそう言った時、ちょうど坂を上り終え、門の前まで来た。
「行きましょう」
祖母に促されて、玄関前まで歩いて行った。中に入ると、受付に祖母と同じような年齢と思われる女性が座っていた。祖母は、その人をじっと見つめた後、「あ」と言って、窓口に一歩近付いた。
「あなた、もしかして……」
「千尋さん?」
祖母とその人がほぼ同時に声を上げた。確認するようにお互いの顔を見合ってから、
「やっぱり、あなた、
「そうよ。鈴よ。千尋さん、あなた、突然いなくなって、みんなどれだけ探したか」
そう言いながらも鈴は、祖母がどうしていなくなったりしたのか訊くことはなかった。訊くまでもなく、わかっていたのかもしれない。
「あなたにこんなことを言うのは酷かもしれないけれど……旦那様は、あのバラの前でお倒れになったのよ。そして、帰らぬ人になってしまわれた」
祖母は、そのことを初めて知ったのか、目を見開いた後、口許を両手で覆った。
「亡くなったのはもちろん知っていたけれど……あのバラの前で?」
「そうよ。あのバラの前」
「そうだったの」
祖母が俯いて黙ってしまったので、沙羅がチケットを三枚買った。前回同様、パンフレットももらった。
「おばあちゃん。行こう」
沙羅が声を掛けると、祖母は小さく頷いた。体が小刻みに震えている。沙羅は、祖母の腕を取り、一緒にバラ園に向かった。少し先を歩く伊藤が、時々振り向いて、沙羅たちが来ていることを確認していた。
バラ園に入ると、そのまま直進し、『千尋』に会いに行った。祖母は、『千尋』を見ると涙を流しながらも笑み、「久し振りね、『千尋』」とバラに話し掛けた。
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