第2話 友人

 制服から私服に着替える間、沙羅さらはさっき案内したお客に思いを馳せていた。


 考えてみれば、ここは沙羅もあのお客も住んでいる町だ。アルバイトを始めてから数ヶ月、今まで来店しなかったことが、逆に奇跡のようなものなのかもしれない。


 あのお客・伊藤いとう憲太けんたと沙羅は、高校三年の時の同級生だった。親しい友人の一人で、最近も電話で話したばかりだ。が、沙羅は伊藤に、このファミリーレストランでアルバイトをしていることを伝えなかった。伝えられなかったのだ。


(いとーちゃん、驚いてたな。ま、無理もないか。高校卒業してからずっと、老人ホームで働いてたのに、ここでウェイトレスをしてたら、何でって思うよね)


 辞めるに至った理由を説明するのはかなり気が重かったが、ここで会ってしまった以上は、話さない訳にはいかないだろう。


 出るのは、溜息ばかりだった。



 更衣室のドアを開けようとして、ノブに手を掛けたが、すぐに離してしまった。下唇を噛み、眉を寄せ、右手は拳を握りしめていた。そのまま少しの間逡巡した後、顔を上げ、


「行こう」


 自分自身に言い聞かせる為、わざと声に出して言った。右手を弛めてドアノブを掴むと、回してドアを開けた。更衣室を出ると沙羅は、伊藤の席まで歩いて行き、伊藤の斜め前に立った。伊藤は、沙羅を見上げた。沙羅は、伊藤をじっと見た後、「久し振りだね」と言った。電話では、やりとりしていたものの、実際にこうして会うのは半年ぶりくらいではないだろうか。


 テーブルの上に視線を移動すると、クリームソーダが置かれていて、メロンソーダの緑色がきれいだった。クリームソーダなのでアイスが乗せられているが、沙羅はまだ上手く乗せることが出来ない。下手なことをすると、溢れ出してきてしまうのだ。早く、その技術を習得したい、と思っている。


 沙羅が声を掛けると、伊藤は微笑みを浮かべ、自分の正面の席を指差して言った。


「そこに座りなよ。仕事終わったんだ? だから注文取りに来てくれなかったのか」

「ちょうど上がる時間だったから」


 椅子に腰を下ろしながら、俯いて言った。伊藤は、メロンソーダの上に乗っているアイスを、スプーンですくって一口食べた。沙羅が伊藤の動きを目で追っていると、伊藤は急に顔を上げ、


「三上さんも何か注文すれば。仕事してたんだから、お腹空いてるんじゃない?」


 朝食を飛ばしてしまったから、確かに空腹だった。短い休憩時間は、食事する気分になれず、ただミルクティーを飲んだだけだった。沙羅は伊藤に頷いて見せると、


「そうだね。そうするよ」

「じゃ、ボタン押すよ」

「ちょっと待ってよ。まだ何も決めてないんだから」


 沙羅の抗議も空しく、伊藤はテーブルの呼び出しボタンをいきなり押してしまった。沙羅は顔をしかめて、「いとーちゃん」と低い声で言った。伊藤は気にした様子もなく、「何?」と涼しい顔で言う。沙羅は、はーっと息を吐き出すと、首を振った。


 ボタンを押してすぐに、多香美たかみが来た。沙羅が、伊藤と同じテーブルにいることに、驚きを隠せない様子だった。多香美は、目を輝かせて、


「えー。三上みかみさん、こちらのイケメンさんとお知り合いなんですか?」


 沙羅が答えずにいると、多香美は勢いよく首を左右に振り、


「私ったら、いけない、いけない。お客様に、立ち入ったことを訊いてはダメ」


 多香美は、自分の頭を軽く拳で叩くと、


「えっと、三上さんが注文ですか? 何にしますか?」


 注文を取る為の機械を手に持ち、沙羅を見て来た。沙羅は、メニュー表をざっと見てから、


「そうだな。チョコレートケーキとアイスティーにしようかな。ガムシロップはいらないからね」


 多香美は注文を繰り返した後、「少々お待ちください」と言って、奥に入って行った。その様子を目で追ってから、沙羅は伊藤に視線を戻した。大きく呼吸をすると、沙羅は覚悟を決めて話し始めた。


「驚いたでしょ。まさか私がここで働いてるなんて、思わないもんね」

「まあ、そうだね」


 伊藤は、沙羅の言葉を肯定はしたが、その先を促そうとはしなかった。言いたければ話すだろう、と信頼してくれているのだろうか。


「いとーちゃん。私……」


 言うと決めたはずなのに、言葉が途切れてしまう。

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