坂の上から毎日のように転げ落ちる無愛想くんと怪我をあっという間に治してしまう不思議な包帯を持つ爽やかくんのお話

九JACK

春編

第1話

 がっしゃーん!!

 ものすごい音を立てて、倒れる自転車。ほぼ同時に右半身を打つ衝撃。慌ててハンドルから手を放し、受け身を取れたのは不幸中の幸いといえば幸いか。それでも痛いものは痛いのだが。

 自転車のベルがリン、と場違いなまでに明るい音を立てるのを耳にし、胸の奥からむかむかとしたものが湧いてくる。

「あー、またこけた。最悪だ」

 苛立ちを吐き出すように、いつもの台詞をこぼす。

 海道かいどう美好みよし、十六歳。生まれてこの方記憶の限り、転ばなかった日の記憶がない。つまり、毎日こうしてこけているのだ。

 子どもの頃、小学生くらいまでなら、やんちゃが過ぎたとかで笑い飛ばせるけれど、さすがに高校生にもなってこれは、笑えない。神様の悪戯にしても、神様悪戯しすぎだろ、と怒りこそすれ、笑う気にはやはりなれない。

 だが、まあ、神様を詰る気はない。悪いのは家の立地条件だ。

 海道家はこの辺りでもとても急なことで有名な坂の上に立っている。上といってもてっぺんではなく、中腹くらい。急な上に長いことでも名を轟かせるその坂は、たとえ中腹からであっても長い。阿呆かと思うほど長い。

 そんな長くて急な道を下るのはなかなかに気持ちいい。気持ちいいのだが、放っておくと下りきるまでかなりのスピードが出るわけで。ブレーキ握っていればいいんだろうけど、ブレーキにもそれなりに限界があるわけで。

 ブレーキがいかれてずどん、ブレーキのかけどころを見誤ってずどん、スピードが落ちきらずずどん、歩行者を避けようとハンドルをひねったらずどん。

 それだけずどずどこけ続ければ、いくら何でも学習する。だから坂を下るときは自転車を引いて歩くようにしているのだが、それでも横から突風が来てこけたり、ふざけ合っていた小学生にぶつかられてこけたり、対向車を慌てて避けてこけたり。こけるパターンがこれだけ多いと、我が事ながら呆れを通り越して感心してしまう。

 とはいえやはり立地が悪い。なんでったってこんな坂の中腹なんかに家を建てたのやら。

 おかげさまで皮肉と受け身と自転車の修理は上手くなりましたよ。

 それはいいのだが。

「うわ、花壇の上か」

 今日こけたのは珍しく、坂を下りきった後だった。坂を下った先には俺の通う高校があって、その昇降口前の道に曲がったのだが、自転車が何か石みたいなものにつっかかって横にひっくり返ってしまった次第である。

 落ちたのは、花壇の上だった。どおりで、いつもより地面の感触が柔らかいわけだ。ちょっとじめじめしているし、服が土まみれだが、ジーンズやパーカーに穴はない。打撲はしているかもしれないが、目立って擦り傷はないし、いつもよりだいぶ軽傷だ。それに、今日は休日。まだ朝も早い時間、よほどでない限り、人は来ないはずだ。いつもに比べてだいぶましなこけ方をした。

 しかし、気がかりなのは花壇の上にこけたこと。花が盛りの今の季節は、色々と咲いていたような気がする。色々、潰してしまったんじゃないだろうか。

 体を起こして、土をほろい始めると、くすくすと笑う声がした。ぎくり、と動きを止めて顔を上げると、涼やかな面差しの制服姿の少年が、じょうろを抱えて立っていた。

「おま……」

「ほっぺ」

 少年が、爽やかを体現したような笑みを浮かべたまま、俺に言った。

「頬っぺたに、花びらついてる。葉っぱも」

「え?」

 俺は慌てて服の袖で頬を拭う。ひたっと冷たいものが、手の甲につく。黄色い花びらだった。チューリップの花びらだ。

「見つけた」

「は?」

 声に目を戻すと、ぱしゃりという音とともに、フラッシュが瞬く。フラッシュをまともに見てしまい、目がちかちかする。

 それが治ると、満面の笑みを浮かべてそいつが立っていた。いつのまにやらじょうろは足元に置いていたらしい。

「えへ、保存っと」

「おいっ!」

 状況を理解するのに少々時間を食っていると、首から下げていたデジカメを操作して少年が呟く。どうにかツッコミは入れたが、少年はのんびりした笑顔でこちらを見る。

「ありがと、おもいがけずいいのが撮れた」

 そしてその笑みのまま、そんなことを言ったのだ。

 俺は、気勢を削がれて、きょとんとそいつを見つめた。


 それが、半澤はんざわとおるとの奇妙な出会いだった。




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