第2話 枯れ枝の一群

 フィオナを見送くったルシエルは、朝堂へと歩き出す。

 波濤はとうのごとく押し寄せる感情を押し殺し、彼は黙々と歩いていた。

 美しい庭園を抜けると、そこは壮麗そうれいにして絢爛けんらんな世界が広がっていた。


 見上げるような高い天井には一つの芸術品と見まがうほど美しい装飾がなされ、シャンデリアが一定間隔で吊り下げられている。

 広い通路の磨き上げられた床は、天井から舞い降りる光を反射し、夜空に輝く星々を連想させる。


 神々しいという言葉が似合う世界で、ルシエルらの足音が響き渡る。

 道行く先々に数多くの兵士たちが立ち並び、通路脇に退くとルシエルに拝礼する。

 やがて、廊下を塞ぐようにそびえる重厚な両扉の前にたどり着く。

 

「扉を開けよ」


 ルシエルの言葉を合図に扉の両脇に待機していた兵士二人は、ゆっくりとその扉を押し開いた。


 空気が変わった。

 今までも天国のごとき華麗かれいさと荘厳そうげんさを兼ね備えていたのだが、目の前の光景は別の世界が広がっていた。


 そこは数百人が入ってもなお余るような広さであり、廊下よりも一段と天井が高い。壁の基調は帝国のシンボルカラーでもある黒で、金を基本とした細工がなされている。


 天井から吊り下げられた複数の豪華なシャンデリアは数多の貴石でつくり出され、幻想的でありながらも重厚な輝きを放っていた。

 部屋の左右には座席が幾つも設けられ、各々の座席には官位に応じて豪勢な飾りがつけられている。その様はまさに絢爛豪華と言わざるを得ないもので、思わずため息が出るほどだ。


 そんな部屋の最奥には十数段の階段があり、その頂きには堅牢にして雄大な黒色の玉座が据えられている。

 黄金と宝石で装飾された玉座は、皇帝のみが座することを許された場所だ。


「皇帝陛下の御成り! 皆のもの平身低頭せよ!」


 ルシエルが親衛隊たちと共に朝堂へ足を踏み入れると、侍従が声を張り上げる。

 それに呼応するように、朝堂に居合わせた全官僚たちが一斉に臣下の礼をとる。その様は一糸乱れぬもので、並々ならぬ練度を感じさせるものだった。


 彼は軽く頷きながら玉座に登ると、まずは最初に自分の御前にいる官僚たちに労いの言葉をかける。


「楽にせよ」


「恐れ入ります」


 ルシエルの言葉に、一斉に官僚たちは臣下の礼を解き、立ち上がる。そして各自の席へ着く。


 朝議は、皇帝臨御りんぎょのもと宰相や各省の大臣などの高級官僚、そして大元帥ら軍の幹部を交えて、様々な重要事項を報告し合う会議のことだ。

 彼らの多くは門閥もんばつ貴族とその門生であり、名士と呼ばれる帝国社会におけるエリート中のエリートで占められていた。

 しかし、先代アウレリウス帝のある政策によりそれは大きく変化することになる。

 ある政策、それは悪名高き『売官』政策である。


 どれだけ高い官職にも値札が貼られ、お金持ちはこれを買うことで、容易に官僚になれるのだ。その結果、朝廷は特権と権益に群がる有象無象の巣窟となり果てた。


 自分たちの利権のために国を動かすようになった官僚たちの中でも、ユリウス・ボエモンドを始めとする5人の豪商は権勢を極め、『五国柱ごこくちゅう』と呼ばれるにいたる。


 朝廷に君臨する彼らの意見を軽んじることは、門閥貴族どころか皇帝であるルシエルにすらできない。

 ルシエルが向き合う帝国の朝議は、そういう状況にあった。


「これより朝議を始める。上奏文をお持ちせよ!」


 侍従が朝議開始を宣言すると、官吏たちが紙束を持って登壇した。そして主だった者が1人ずつ前に出て上奏文を読み上げる。それは主に現在の国状報告や重要事案の報告などである。

 しかし、報告を聞いたルシエルが口にする言葉はいつも同じだ。


「ボエモンド宰相はいかにお考えか?」


 この言葉を聞くと、ユリウスはニヤリと笑みを浮かべながら一歩前へ出る。

 元々彼は大商会の頭取でしかなかったが、売官政策の機運に乗り、今では皇帝を補佐し万機を治める宰相にまでのし上がっていた。

 黒髪にはいくらか白っぽい毛が混ざりはじめ、目元にも年齢による小じわが散見されはじめていたが、それでも豺狼のごとき眼力は健在だった。

 

「はい、陛下。私が思いますに……」


 ユリウスは登壇すると、雄弁に己の意見を述べていく。表面的な口調は礼を尽くしているが、その弁舌には尊大さがにじみ出ている。

 ルシエルはそれを聞き終えると、いつも同じ言葉で締めくくるのだ。


「ボエモンド宰相のお考え通りに」


 これが朝議での一連の流れなのだ。

 政治の実権も中央の軍権もボエモンド派が握っている。そんな状態で、彼らに歯向かうことなどできない。ルシエルは彼の言葉に賛同を示すことで、恭順の意を示しているのだ。


 ルシエルは彼らの傀儡かいらいだった。彼らが暴政をふるい魔術を使うための格好な壇上であり、錦の御旗そのものであった。

 権威はあっても権力はない。

 力のない彼は、ただ黙して大きな流れに身を任せるほかないのである。


 次々と政務案件について報告される中、最後に西部の3州からの報告がなされた。

 それは食糧難についての訴えだった。

 

「この春よりフロバンス地方を中心に3つの州で飢饉が発生しました。近頃は、朝廷に食料の配給を求める声が後を絶ちません」


 一人の官吏がそう告げると、ルシエルは少し驚いた表情を浮かべるが、いつもと同じように宰相の意見を伺う。

 

「今の朝廷に食料を配給する余裕はございません」


 すると、ユリウスはそう答えた。その言葉を聞きルシエルは微かに首を傾げる。


「さりとて、このまま見捨てておけば……」


「十数万人が飢え死にするやもしれません。しかし、それも仕方ないでしょう。古より天災は繰り返し起こってきましたが、民は死滅せずに生き延びてきました。一旦はその数を減らすことになるかもしれませんが、すぐに元の数に、いやより活気づくことでしょう」


 ユリウスがそう言葉をかぶせる。その言葉を聞いたルシエルは、目を見開くと驚いたように声をあげた。


「み、見殺しにするのか? 十数万の民を」


「それが何か」


 物言いこそ穏やかであったが、その内には脅迫じみた威圧感がある。

 この時ばかりは、彼の中にある絶対的権力者の傲岸さが浮き出た瞬間であった。

 ルシエルもその悪意を感じ取ったのか、顔を背け、子羊のように押し黙る。


 このあまりに尊大なユリウスの態度に、誰一人として異議を挟まない。

 だが、この不遜な態度も無理はないのかもしれない。何しろユリウス・ボエモンドこそが、ルシエル皇帝に代わり帝国を統治する人物なのだ。そのため彼に直接物申すことのできる官僚や大臣は、このディオザニアには存在しない。


 そのような気骨のある臣下は、彼によってとっくに投獄されたり、処刑されるなどの憂き目に遭い、その地位を追われている。


 そのことをこの場にいる全員がよく知っているため、誰も口を出すことはなかった。彼らは大人しく黙って従うほかに選択肢がないのだ。


 凍り付くような沈黙が朝堂を長く包み込こむ。

 その様子にユリウスは満足した表情を浮かべると、沈黙を割くように口を開いた。


「よろしいですか。陛下は皇帝で在らせられるます。総帥たる者、大所高所から考え、私情に流されてはいけません。今陛下がなさるべきことは何か? それは運河を建設し、交易路を整備することでしょう。税の徴収を強化し、兵を強めることで富国強兵を計るのです」


 冷酷な異端審問官が罪人の処刑を前にして急に愛想がよくなるように、ユリウスは穏やかな口調でルシエルに語りかける。


「我らが理想とする国家の実現のためには、他に手はありません。民衆のことを案じるのもよろしいですが、それは後回しで構いませぬ」


 ユリウスが言い終わると、ボエモンド派の官僚たちは一斉に前へ進み出る。そして、賛同の意を表明し、頭を垂れた。その行動は実に慇懃なものだったが、ルシエルに圧力を加えるには十分すぎるものだった。

 やがて彼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、絞り出すようにして言葉を紡いだ。


「……わかった。そうしよう」


「ご賢明です。これで我々は国家の更なる発展に尽力することができましょう」


 すると、他の官僚たちからも同調するような声が上がる。

 その後、朝議はいつも通り粛々と進み、最後にルシエルが締めくくりの言葉を口にすることで終了したのだった。

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