第23話 生きていくには

 松尾の部屋。

 周作と松岡は、二人で過ごしている。


 狭い六畳未満の畳の部屋。

 水回りと部屋一室しかない。


 男一人で住むには何も困らないし、人気のない和室だから家賃は安い。

 時々、隣の奴が女を連れ込んで大騒ぎするのは腹が立つが、それだって、仕事で署に泊まり込むことの多い松岡には、それほど苦ではなかった。


「お前、優作にウザいと叱られているんだって?」

「うん。行く宛がないから優作とあおいの家に居候しているんだけれどね。早く仕事見つけて出て行けと」

「あのラブラブ新婚夫婦の家に居候すれば、そうなるだろう」


 仙石の元から帰還した周作は、優作とあおいの家に転がり込んでいた。

 身内だけのささやかな結婚式を挙げて結婚した優作とあおい。その家に一緒に住むなんて暴挙に出れば、煙たがられるのは当然だ。


「早く別の場所に移動してやらなきゃな」

「分かっている。でも、就職しようにも、ほとぼりの冷めるまでは、さすがに『赤野周作』の名で仕事を探すのは難しいし。何をどうすれば良いのやら」

「実家は? 母親がいるだろう?」

「嫌だよ。あの人は、僕に説教することしか考えてない。六法全書片手にいかに僕が人として間違っているかをコンコンと諭そうとするのに」


 僕だって一生懸命生きているのにね。


 周作は、不満そうにそう言うが、この変わり者の子供の行く末を想えば、説教の一つもしたくなる母の気持ちも松岡には分かる。


 ヤクザ男に従っていたともなれば、母の心労も一入なのだろう。


「僕の明日の寝床の心配なんて、適当にやるから良いからさ。ほら、食べよ!」


 目の前のコタツの上には、周作の作った生姜焼き。白ご飯と味噌汁、白菜の浅漬けまで載っている。


「あの材料が、こんな美味そうになるなんて」


 材料の購入は、松岡も手伝った。

 近所のスーパーでお値引き品を中心に適当に買っているように見えたのたが、周作が料理すれば、ちゃんとそれなりの食卓になってしまった。


「まぁ、なんの変哲もない家庭料理だよ」

「なんの変哲もない家庭料理になるところがすごい。なぜだ? 盛り付け方か?」


 松岡が自分で料理をしても、こう美味そうには見えない。材料は見たところそう変わらない物なのに、なぜこうも美味そうに見えるのか。


「知らないよそんなの。他人が作ったからじゃない? さぁ食べようよ」


 身も蓋もない言葉で、松岡の感動を周作が一蹴する。


「まったく。お前ってやつは……」


 ちょっと待ってろ。

 そう言って松岡が立ち上がる。


 箸は用意した。料理も並べた。グラスもある。ペットボトルのお茶まで持って来た。

 何を用意するつもりなのだろうと不思議に思いながら周作が見ていると、何かの紙袋を松岡が持ってくる。


「約束だからな。まさか、こんな高ぇとは思わなかったが」


 渡された紙袋を覗いて周作が驚く。


「わっ! モンラッシェだ」


 こんな高い酒。

 確かにくれるとは言っていたけれども、まさか本当にもらえるだなんて思わなかった。

 良くてグラス一杯奢ってくれるかどうか。それだってかなりの無理を強いてしまう。


「良いの? まさかこれのために借金とかしていない?」

「するか。さすがに用意するまでに金を貯める時間がかかったが、清水の舞台三回飛んで死ぬ気で買ったわ!」

「三回飛んで死ぬ気って……清水の舞台から飛んだら一回目で死ぬでしょ? なんだよそれ」


 周作がケラケラ笑う。

 火の中に飛び込んで周作を助けてくれた松岡がモンラッシェごときでどうして死ぬのか。


「とにかくありがとう。せっかくだし一緒に飲もうよ」

「は? こんな場で開けて良いのか? 百万超えだぞ?」

「え? だって飲まないと……ワインだよ?」

「お前! 馬鹿! そういうところがズレているんだ!」


 返せと言われて、松岡にせっかくのモンラッシェを取り上げてられてしまった。


「じゃあ、いつなら飲んで良いんだよ」

「もっと……最高の記念日とか?」

「最高の記念日……とは?」

「結婚式とか卒業式とか還暦祝い?」

「まったく意味がわからない! そんな予定は、一つもないし。還暦はまだまだ先だしその前に死にそうだし」


 畳の上でゴロンと周作が横になる。

 目の前に飲んでみたかったワインがある。なのに飲めない。


「明日なんか永遠に来ないかもしれないのに、そんな来る予定もない記念日は待ってられないよ」


 周作が不貞腐れる。


「け、結婚は……すぐできる。お前さえその気になれば」

「一番可能性が薄いね。まだ卒業の方が確率が高い。次は、……還暦?」

「その……周作。周作さん?」

「何? え、ひょっとして松岡、また結婚するの? 今度も偽装?」

「違う。違うからちょっと黙れ」

「松岡?」


 正座して真剣な顔で松岡が周作を見ている。

 周作は、松岡に合わせて正座する。


「周作……俺は……」

「うん……松岡。どうした?」


 周作の真っ直ぐ見つめ返す瞳に松岡はたじろぐ。周作のスマホが鳴っているが、真剣な様子の松岡を気遣って、周作はスマホに出ない。

 諦めたのか、しつこく鳴っていた電子音は鳴り止む。


「何でも言って。僕は大丈夫だから」


 何をどう受け取ったのか、周作が寂しそうに微笑む。


「だから……その……」

「良いよ。僕は君にまとわりつかない。君お奥さんの邪魔はしないから」

「違う!」

「僕の体がこんなだから、君のそばに僕が来ることを嫌がっているんでしょ? 君は優しいから僕に近寄るなとは言えなくて、板挟みで困っている。そんなところかと思って」


 困っちゃうね。これじゃあ友達も作れない。


 そう呟いて、立ち上がり周作が部屋から去ろうとするのを、松岡は必死で止める。


「だから、違う!」


 ギュッと抱き締められて周作の体がピクリと震える。


「そばに居ろ」

「でも、それじゃあ……」


 つべこべ言う周作の口を松岡が塞ぐ。

 唇を離して松岡が周作の耳元で囁けば、事態をようやく理解した周作の耳が真っ赤に染まってくる。


「返事は?」

「ど、どうしよう……」


 松岡のTシャツを周作がギュッと握り締める。

 

 松岡は嫌いじゃない。普通に女として生まれていたなら、松岡の言葉は嬉しかった。

 でも、この言葉を受け入れるなら、女として生きなければならない場面がきっと出てくる。それが、周作にはうまく飲み込めない。


 逃げてうやむやにしようにも、松岡がしっかり抱き締めているから、身動きが取れない。


 松岡のスマホが着信音を奏でている。

 周作の返事を待つ松岡は、スマホを無視している。着信音の方が諦めて、電子音が鳴り止んだ部屋は静かになる。


「周作……返事は?」

「うん……あのね……。僕は……」


 

 突然ガンガンと乱暴に玄関扉が叩かれて、元子の声が聞こえる。


「ちょっと! 元亭主! 無視すんな!!」


 元子の大声が癇に障ったのか、隣室の住人が壁を蹴る音がする。


「ダメだ。まず、あれを何とかしなければ」


 松岡がウンザリしながら周作を離して、玄関に向かう。

 玄関を開ければ、イライラした様子の元子が、中村と加茂と一緒に立っていた。


「何だ。いきなり!」


 松岡が当然の不満を述べる。


「したわよ! 電話! 周作にも松岡にも! こっちは、すごく良い話を持ってきてあげたのに!」


 松岡の許可も取らずにズカズカと部屋に入ってきた元子は、生姜焼きに目を輝かせる。


「わ、美味しそう! 何? 二人でご飯食べるところだったの? これは……作ったのは周作ね!」

「え、周作さんの作った生姜焼きですか!」

「わ、私も見たいです!」


 元子に続いて加茂と中村も部屋に入ってくる。ヒョイっと元子が生姜焼きをつまんで口に入れる。


「やっぱり周作が作った味ね」

「美味しいですね!」

「お前ら! 俺も周作もまだ食べていないのに!」


 元子と加茂が勝手に生姜焼きを食べ始める。

 中村が、食べても? と、おずおずと尋ねてくるので、良いよ、と周作が答える。


「周作さん! 料理上手ですね」


 中村が目を輝かせる。


「松岡……これは、諦めだね」

「全く! せっかく意を決したのに!」


 がっくり項垂れる松岡の肩を、周作がポンポンと叩く。


「あ、そうだ。お話があるんですよ!」


 加茂がモグモグと生姜焼きを喰みながら話を始める。


「今度、俺の実家で喫茶店を始めるのですが、その運営を周作さんに任せてはどうかと思いまして」

「喫茶店?」

「ええ。就職先にもお住まいにもお困りのようですので。ちょうど良いかなと思いまして。喫茶店の2階に住んでいただけるスペースもありますし」


 加茂の実家は、様々な事業を展開しているのは、周作も知っている。

 その事業の一環として展開している洋館を利用した結婚式場。その式場に併設するカフェをオープンするのだそうだ。


「え、加茂君の実家にお世話になるの? ありがたい話ではあるけど……どうしよう」


 周作は、チラリと松岡に視線を送る。


「お前の好きにすれば良いだろう」


 不機嫌な松岡に突き放されて、周作は迷う。


「意地悪だ」

「ああ? そんなの俺が決めることじゃないだろうが」

「そうですよ。迷っているなら、試しに始めてみて、やはり合わないと思えば、辞めれば良いんですよ」


 ね? と、加茂がグイグイ話を勧めてくる。


 ありがたい話だが、苦手な加茂の実家ということが気にかかる。

 加茂にあれこれと纏わりつかれても困る。


「加茂様がお心を砕いて提案下さったのだから、はいありがとうで、受け止めれば良いのよ!」


 元子が周作が食べるはずだった白飯を喰みながらのたまう。


 お腹空いた。

 まだキスしか口にしていない。


 人はパンのみに生きるにあらずとは、誰の言葉だったか。

 お腹が空き過ぎてまとまらない思考を抱えて、周作は、ため息をついた。


 

 



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狂信者のキス ねこ沢ふたよ @futayo

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