第18話 強人

 赤野周作が失踪したのは、それから三日後のことだった。


 松岡のスマホには、周作から、『ごめん。約束守れない』という三文字と六文字。

 松岡が『どこにいる』『どういうことだ』と連絡しても返信はない。

 松岡は、赤野優作に連絡を入れた。優作からは、すぐに電話が掛かってきた。


「松岡さん、どうしよう。兄貴が仙石に囚われました。たぶん、俺たちの安全と引き換えに、自ら身を差し出してしまいました」


 優作の声は震えていた。


 優作達の会社のホームページの問い合わせに、周作かららしいメッセージがあったのだという。


 七四七二二二と名乗る人物。

 以前に優作の名前を数字に変換した方法で周作を数字にすれば、この数字になる。

 仙石にバレないように周作が優作達にメッセージを送ったのだろう。


 メッセージの内容は

「トスカは、スカルピアの元へ」


 それだけだった。


「トスカは、オペラの演目です」

「それがどうしたって言うんだよ。俺にはオペラはさっぱり分からねえ」

「トスカは、悲劇です。恋人の無罪と引き換えに身を捧げることを要求されたトスカは、スカルピアの元へ向かいます」

「じゃあ、周作は、仙石に取引を持ちかけられて仙石の元へ行ったって報告してきたわけか」

「はい」


 馬鹿だ。あいつ。

 松岡は愕然とする。誰よりも人に触られるのを嫌うくせに、こんなにやすやすと身を差し出してしまった。攫われたのではなく、自分で身を投げ出した。


「恐らく、あおいの安全だけで兄は自分の身は差し出さないでしょう。仙石が天秤にかけたのは、俺たち皆の安全だと思います」

「なんだと。仙石がそこまでしたっていうのか」


 優作の言葉に、松岡は、頭を抱える。

 周作の失踪に仙石の関与の可能性を考えて、松岡は仙石の近辺を調べてみた。仙石は、引退を宣言して一線から身を引き、コンサル会社を側近だった男に譲っている。本人は、身を隠し、どこにいるのかも分からなくなっていた。


「表の顔を捨てて、より黒い仕事をするようになったか……隠居して身を隠して過ごしているか……」

「たぶん、前者でしょうね。その仕事を兄に手伝わせたかったのでは、ないでしょうか? そのために、強引に兄に交渉したんでしょうね」

「大馬鹿だよ。あいつ」


 松岡はため息をつく。

 仙石の下で何をさせられているのか。下手すれば、二度と表の世界に戻れない悪事に加担させられてしまう。


「あの……仙石は、元々私の件が無くても、周作さんと知り合いだったんですよね?」


 あおいが尋ねる。


「ああ。仙石は、あんな奴だからな。何度か周作は対峙したことがあったはずだ」

 

 松岡が答える。


「やはり今回私を狙ったのは、完全なダミーだったんでしょうね……狙いは、元から周作さんにあった」


 あおいの考えに、松岡は、目を丸くする。


「はぁ?」


 松岡の声が裏返る。

 仙石はジェイコブに利用されていただけだと思っていた。

 案外、あの男も間抜けだと軽くみていた。

 

 それが、そもそもジェイコブの作戦を知っていて、それを逆に仙石が利用していたとなると、全く話は変わってくる。


「仙石は、周作さんが自分の仕事をさせるのに相応しいか、試験をしたんです」

「試験……」

「ええ。離れた場所から私を攫うのを防げるか。狂人に自分が攫われて逃げ出せるか」

「だから、ジェイコブを自由にさせたし、協力もした。なんなら、騙されたフリもした」

「だが……それで周作は死ぬかもしれなかったんだぞ?」

「ええ……普通なら当然、お気に入りの周作さんが傷つくのは嫌がると思いますよね。でも、あの男の愛は異常なんです」

「というと?」


 松岡は疑問を挟む。

 理解不能だ。好きなら守る、当然のことだ。なぜ愛する者を危険に晒すのか。


「要らない。その程度なら」


 あおいが即答する。


「そんな試験も乗り越えられない奴は不要。死んでもいい……ということか」

「はい。そして、見事に周作さんが乗り越えたから、自分好みの実力を持ったところで収穫に来た」

「意味わかんねえ。実の娘をそれだけで誘拐するか? それだけでホテルで被害者が出るような火災を起こすか? それだけで手榴弾やら爆弾で廃校吹っ飛ばすか?」

「するんです。あの男は。そういう男です!」


 悲痛そうなあおいの叫び。

 あおいが膝の上で握った拳が震えている。


「あおい……。どうした? 何を知っている?」

「母のことです。私の母……仙石から逃げて一人で私を育ててくれたのですが……」

「どうした?」


 言い淀むあおいが、辛そうに目を伏せる。


「葬儀の場に姿を現したのですから、多少の愛情はあったのかと信じたいところですが。違います。当時まだ子どもだった私を一眼見て、利用できそうが判断に来ただけ。何か、自分の悪事の証拠みたいな物がないか確認しに来ただけだと思います」

「どうしてそう思う?」

「母が仙石から逃げていた理由です。……その……無かったんです。生前の母には右手が」


 あおいの言葉に、今度は松岡が言葉を失う。


「み、右手が?」

「ええ……仙石に私と一緒に閉じ込められて、右手を拘束されて逃げられない状況になりました。仙石の目的は、母にとある罪をなすりつけて殺し、自分は妻子を失った哀れな夫を演じるため」


 あおいは、母から聞いたのだと言う。

 自宅の家具に右手を縛り付けられて動けなくなった母。あおいを母のそばに置いた仙石は、ニコリと笑ったのだと。


 そして、「残念だよ。罪を悔いて押さない娘を連れた無理心中とは」と、言ったのだと。


「仮にも子どもがいたんだろ? 仙石にとっては恋愛感情的な物がある相手だったんじゃないのか?」

「母は言っていました。驚き命乞いする母に、『子どもができて弱くなったお前は要らない』と、仙石の捨て台詞を吐かれたと」


 ホテルでの仙石の言葉が松岡の頭に浮かぶ。


「守るべきものを持つと弱くなる……だったか」

「ええ。奴の考え方です」


 あおいの母には会ったことはないが、仙石の好む女だ。周作のように自分で窮地を這い上がる強い女だったのではないだろうか。


「おそらく……葬儀場に現れたということは、母の居所はとっくの昔に仙石に把握されていたのだと思います。ですが、沈黙を貫き、守るべき子供を抱え、右手まで失って弱くなった母を、仙石は不要と判断したのだと」


 返す言葉が松岡には見当たらない。実の父……それが、自分と母を利用して切り捨てようとした。どれほどあおいは辛い想いをしたことだろう。


 右手のない身で一人で子を育てているような強い女性を、なぜ仙石が弱いと一蹴するのか松岡には分からない。

 周作の言っていたように仙石とは根本的に考え方という物が違う人間なのか。


「お前の母親は、誰よりも強えよ。俺が保証する」

「ありがとうございます。でも、良かったんです。無能認定でも何でも、あの男の興味が私達親子からそれたなら。ただ、そのことを思い出せば、今、仙石の執着が周作さんに向かっていて、周作さんが仙石の下にいるならどんなことを命じられているか。想像すれば恐ろしいです」

「あいつ……大丈夫か?」


 仙石を出し抜いたジェイコブから逃げ出せたのだから、周作なら自分でも何とかするだろうという甘えがあったが、あおいの話を聞く限り、その甘い考えは、捨てた方が良さそうだ。


「もう一つ気になることがあります。兄は、ただ囚われたとは考えにくいです。その……『トスカ』ですよね。この話で主人公は、敵役のスカルピアを殺して自分も自殺します」

「仙石と刺し違えて死のうっていうことか?」

「ええ。今回は最終幕の曲が送られてきたわけではないので、まだ大丈夫でしょうが、兄貴はそのつもりだと思います」


 優作の言葉に、松岡もあおいも言葉を失う。


「その前に探し出さなきゃ」


 あおいが、慌てる。


「どうやって。赤野が自ら姿を消したんだぞ? あの無駄に有能な奴が本気で身を隠したら、俺たちで探し出せるかどうか……」


 松岡の使う手は、周作には全て読まれてしまっているだろう。オービス、防犯カメラ、パスポート、自動車免許……全ての追跡は無駄に思えてくる。どうやったら周作の予想を超える行動がとれるのか、松岡には全く想像ができない。


「でも、できることは、やらなきゃ……。そうだ! アプリ。あのアプリを使えない?」


 この間ホテルでアピールしようとしていたゲームは、事件でかえって話題になり大きくユーザーを広げ、今や海外にまでシェアを広げ英語版まで出していた。元々、掲示板の機能はつけていなが、一時的に探し人の情報を書き込みすることは出来るかもしれない。周作の目撃情報を募って、情報を整理することで、居場所特定できるかもしれない。


「なるほどな。それだと、周作も仙石も止めようがない。だが、そういう方法で集めた情報は、ほとんどが無意味な落書きか、誹謗中傷。そこから有益な情報を得るには、相当な量力が必要になるし、書き込みの内容によっては、精神的に削られるぞ?」


 松岡の忠告。


「構いません。俺が、情報の整理を担当します」


 優作が答えた。


「俺も、兄の知り合いに声をかけて、色々手を尽くしてみます。海外のサラさんや親父のイサクなら、何か良い方法を知っているかもしれません。あの……松岡さん」


 優作が、何か言おうとして、口ごもる。


「なんだ?」

「兄のこと、……いいえ、何でもありません。とにかく、今は、戻って来た兄をぶん殴ることだけを考えます」


 優作の言葉に、松岡が笑う。


「俺も一緒に殴らせてくれ」


 そういいながら、松岡は優作の頭をなでた。

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