第11話 音を頼りに追跡せよ
松岡のスマホに周作からの電話。
「お前! 遅い!!」
「ごめん。こっちもちょっと大変でさ!」
怒る松岡に周作がヘラヘラと笑う。
赤く色づいた顔。頭にケモ耳が付いている姿。この緊迫した状況に似つかわしくないことは確かだ。
「おい、兄貴! この状況で酒飲んだんじゃないだろうな」
「うさぴょん、そんな怒らないでよ。不可抗力なんだってば」
最愛の優作に怒られて、周作がシュンとする。
「そんなことを言っている場合じゃないよ。あおいを早く助け出さなきゃ。松岡、志田は確保できた?」
「ああ。今、俺の仲間が、志田を署に連行している。お前のアドバイス通り、ホテルの入り口を監視していて良かった」
「良かった。さあ、肝心のあおいを見つけなきゃ! 松岡、録音は出来ている?」
「録音?」
録音と聞いて、優作が首をひねる。
なんの録音だろう。
「出来ている。あおいに仕掛けた盗聴器。今、音声を再生するぞ!」
そう言って、松岡が機械を操作する。受信機だろうか?
そういえば、あおいの衣装に松岡が触れていた。
優作は思い出す。何気なく触っただけだと思っていたが、あれは、盗聴器を仕掛けていたのか。
「向こうが盗聴器で情報を収集していたのなら、こっちも使わなきゃね」
周作が、楽しそうに笑う。
「そんな笑っている場合じゃない。早くしてくれ!!」
「そんな急かさなくても……ちゃんと頑張るって」
松岡のスマホから音声が流れてくる。
バタバタと何人かが走る音。「早くしろ」「右だ!!」男達の声に後で、ビッと何かを引っ張る音。「や……」何かを発しようとしたあおいの声は聞こえなくなる。
「足音と話す声の特徴から考えてこの段階で犯人は……三人。ガムテープの音かな? これは、あおいの口を塞いだようだね。声が中半端に途切れている」
音声から周作が推理する。
ポン
何か機械的な音が響く。
「これは、このホテルのエレベーターだね。走った時間から推察して……」
周作が、ホテルの平面図を見て考える。
音から推測される距離、音声に混じる背景の音。犯罪者の心理から、あまり人の往来がある場所は避けて通るだろう。
「東Bのエレベーターかな」
「東Bだな!」
松岡と優作が周作の指示を聞いて走る。
ポンと音を立ててエレベータが止まる。
「間違いないね。ほら、エレベーターの前に飲食店があるでしょ? あそこのBGMのピアノの音が微かに聞こえるもの」
周作に言われて注意して聞けば、たしかにピアノの音が混じっている。
「何階だ?」
「待ってね……。一度エレベーターに乗ってみてよ」
周作の言う通りにエレベーターに乗る。
「まずは一階下へ……」
「次は、一階上……」
言われるがまま、優作と松岡は、上下階へエレベーターで行ったり来たり移動する。
音の具合を調べて、登ったのか降りたのかを推測しようというのだ。
「オッケー。分かった。あおいを連れた連中は、五階上」
「なんでだよ」
「えっと、このエレベーターは、下へ行くのと上に行くので、微妙にスピードが違うんだ。意図的に変えているのかな? 下へ行く時が若干遅い。だから、エレベーター内で聞こえる到着音から推察して……上に五階分上昇したと考えて正解」
自信満々の周作。
音だけでそんなことまで分かるものなのかと、多少疑いながらもエレベーターの目当ての階のボタンを押して上昇する。
「どうやら……客室階だね。全く。なめているよね。防犯カメラにも映ってるんじゃない? あ……でも、仙石の奴、ひょっとして、このホテルの警備会社にまで手を回しているのかも。嫌だね。金持ちの敵は!! こっちがあくせく考えて策を練っているのに、金の力でねじ伏せてくる」
どうも周作が推理に集中できていない。やはり酔っているからだろうか。
真面目にやれ! と、叱咤する松岡に、うえぇ~と、気の抜けた返事を周作が返す。
エレベーターが、目的の階に止まる。
どうやら正解だったらしい。
扉が開いた先には、いかつい男が三人、こちらを睨んでいた。
「わあ。大歓迎! 頑張ってね、二人とも! えっとねえ、音から考えて……目的の部屋は、一番奥だから!」
のん気な周作が他人事のように励ましていた。
◇◇◇◇
数人の男に引きずられて、助けてを呼ぶ前に口にガムテープを貼られた。
目隠しをされて無理矢理連れてこられたのは、どうやらイベントのあったホテルの一室。
そこで悠然とソファに座る男の前に、あおいは突き出された。あおいの前には、逃げ出さないように大きな男が立つ。
あおいを攫ってきた連中は、部屋の外へと出ていった。
「仙石……」
口を塞いでいたガムテープを乱暴に剥がされ、一番最初にあおいの発した言葉。
「一目会っただけなのにちゃんと覚えていてくれたね。優秀な娘で嬉しいよ」
にこやかな仙石の笑みに、あおいは引きつる。
こうやってみれば、普通の人間に見えるのに、その中身は、おおよそ世間の善は通じない悪魔。
自分の利益になると判断すれば、実の娘であるあおいも利用するし、あっさり殺しもするだろう。
「いまさら何の用があるの?」
「用……? 実の父親が娘に会う。それだけが目的でも何もおかしくないだろう?」
茶番だ。
この男が、そんなことで動く訳がない。
「私をお前のために利用しようとでも?」
「娘なら……父親の仕事をちょっと手伝ってもおかしくないだろう?」
「嫌だ。何をさせる気なのかは知らない。けれどお前を父親として認めて手伝うなんてできない」
「大丈夫。ちゃんと手伝いたくなるように、お膳立てはするから」
何を? 何をする気だと言うのだろう。
「守るものがあるというのは、弱くなることなんだよ。あおい。覚えておきなさい」
仙石がそう言ってよこしたのは、赤野優作の写真。あおいの背筋が凍る。
「婚約したんだそうだね。ダメじゃないか。お父さんに紹介しないと」
「優作に何しようとしているの? 優作に手を出さないで!」
うすら笑いを浮かべる仙石をあおいを睨みつける。
睨みつけてはいても、あおいの体は、恐怖で小刻みに震えている。
母親が死んで路頭に迷い、一人ぼっちの何もない自分を愛してくれた優作。あおいの才能を信じて、救いの手を差し伸べて励ましてくれた人。その優作が、自分のせいで危険な目に合うなんて、あおいには耐えられない。
「心配しないでも。お父さんが何もしなくても、優作君の方からここへ来るだろう?」
私は餌だ。
私を餌にして優作を捕まえて……最終的には、赤野周作を自分の手下に引き入れるための。
「全面的に同感。守るものがあれば、そこが弱点になるし、あおいを手に入れることで優作を捕える。それで僕に言うことを聞かせようって策も概ね悪くない」
クスクス笑う声。
周作の声だ。
「や、やっと見つけた……」
ゼイゼイと肩で息をする松岡が、スマホを持っている。スマホの画面には、ヘラリと笑う周作が映っている。
赤く色づいた熱った顔で浴衣姿。
フラフラとしているのは、酔っているのだろう。
「あ、あおい!」
「優作!」
「周作君とは、前から気が合うと思っていたんだよ。嬉しいね」
目の前に現れた松岡と優作を無視して仙石は、画面越しの周作に話しかける。
「合わないよ。僕と仙石では、根本的な価値観が違うもの」
周作が仙石の意見に反論する。
「あおいを返してもらうよ。僕の大切な優作が、あおいがいないとダメみたいなんだ。弟を盗られるのは癪だけれども、仕方ないじゃない。優作が不幸なのは耐えられない」
「感動の親子の対面を邪魔するとは、周作君も思ったより無粋だね」
「娘の幸せな生活を壊そうとするよりマシだよ」
周作と仙石の世間話のような会話が続く。
「なんだ。あおいが仙石の娘だって知っていたのか」
「だって、婚約した時に、仙石の写真を見せたら、あおいの顔が引きつったから。そりゃ、僕が調べない訳ないじゃない」
心配して損した。
てっきり知らない物だと思っていたから。
「ひどいな。松岡。知っていて黙っていたんだね」
周作が、画面の向こうでむくれている。
「すまん。お前が、あおいと優作の結婚に反対するかと思って」
「そりゃ……それも思ったけれど」
「思うなよ」
「だって、可愛いうさぴょんに危険がないか気になるじゃないか。でも、うさぴょんは、あおいに夢中だし。仙石のことを抜きにしたら、あおいはすごくいい子だし。無理に引きはがしたら、きっと優作は不幸になっちゃう」
周作なりに、優作の幸せを考えていたということか。
「だから、仙石。あおいは、優作に返してもらうから」
「周作君の頼みでも、それは難しいね。こちらそれなりに手間をかけたからね」
仙石は、笑みを浮かべている。
刑事が部屋に乗り込んでいるのに、どうして仙石は余裕なのだろう。
あおいは、男に捕まれている。容易に手は出せない。
周作と松岡が仙石の相手をしている間に、優作はあおいを取り戻したいのだが、どうも相手の隙を見つけられない。
廊下でいた連中よりも、仙石に近いところにいる人物。
その実力も、廊下の連中よりも上ということだろうか。
「仙石、もう諦めたらいいよ」
「諦める? 何を? 君たちは、何か勘違いしていないかい?」
大げさに仙石が肩をすくめる。
それほど自信があるということだろうか?
「僕とどんな交渉をするつもりなの?」
「周作君。分かっているだろう? 君に任せたい仕事を私は沢山抱えている」
「ろくな仕事じゃなさそうだ。どっかのマフィアのボスの暗殺とか?」
「それも良いね。まあ、ビジネスの話は、ゆっくりすれば良いさ」
ふうん。そう言って、画面の中の周作は。ゴロンと横になる。
どうやら、旅館の部屋で布団の上で転がりながら話をしているようだ。
転がるたびに、周作の浴衣が少しはだけて、白い肌が見え隠れする。
「目の保養だね。ムサイ男の手の中にキミがいなければね」
「なんだよ。実の娘の前で僕を口説こうって言うの? 悪いお父さんだね。残念ながら、僕は全く仙石の言いなりになるつもりはないよ。お前みたいに信用できない奴の配下になるなんてまっぴらだ」
周作は酔っているせいか、始終ヘラヘラしている。
おおよそ誘拐犯と刑事の会話とは思えないのらりくらりとした言葉が交わされる。
「……さて、そろそろいいかな……ねえ、松岡?」
「ああ。じゅうぶん時間はもらった」
松岡のスマホにメッセージが飛び込んで来る。
「仙石! お前に逮捕令状が出ている!」
始終にこやかに話していた仙石の顔が、一一瞬だけ曇る。
「ねえ、仙石。自分で言ったよね? 守るべきものができれば、弱くなるって」
まるで子どもが悪戯するような顔で、周作が笑う。
「お前の築き上げた組織。その組織を全部。僕が潰してあげるよ」
ケタケタと笑う周作に、仙石の顔が歪む。
「お前はね。配下を見くびり過ぎている。この間の拳銃取引の時の実行犯にされた男。あいつね。全部のやり取りを記録して、隠し持っていた。それに、志田。今回の事件のあらましを事細かに記録していたよ。主犯格でないことを証明するためにね」
「何のことだかは分からないね。そんな見ず知らずの人間が捕まったところで、私には関係ない。このお嬢さんも、突然に部屋に投げ込まれて、良く見たら実の娘。私は、この部屋でくつろいでいただけなのだがね」
「白々しい!!」
松岡が憤る。
「まだまだ余裕だね。まぁそうだろうね。お前を完全に捕えるには、まだ証拠は薄い。でも、僕、言ったよね? お前の大切な組織を全部潰してあげるって。今頃、お前の大切な組織の本部で大規模な家宅捜査が行われている」
画面の周作が、仙石を睨む。
「忘れないさ。愛しい周作君の言葉だ……」
仙石が目を細める。
「やはり欲しいね。キミは苛烈だ。そして、私と似ている。狡猾、残忍。その上、色香で男を手足のように使うか……その性格と才能は、裏社会でこそ輝く物だ。表の社会で生きるのは、辛くなってきただろう?」
「ずいぶんと悪口を言われている気がするね。ちょっと失礼じゃない? 狡猾だとか残忍だとか、お前に似ているとか! それに、さ。別に僕は色香で松岡達を使ったわけじゃない。ちゃあんと、ご飯を奢っているんだから。……て、本当にもう大変。僕が温泉に入っている間に時価で寿司を暴食してさ、僕の安月給では身も凍るような請求が来たんだけれど」
さめざめと泣くフリを周作がする。
「お前がのんきにしているのが悪い! てか、真面目にしろ!」
「松岡の意地悪! 今度松岡を手伝う時には、モンラッシェでも奢らせてやる!」
「知るか。なんだ? モン?」
「高級ワインだ。つまらない男だね」
仙石がため息をつく。
「周作君は、本気でこんな男がいいのかい? 趣味が悪い」
「お前に言われたくないね。て、あれ?……だから、違うってば。聞かないよね。人の話。松岡の趣味はね、バーンとグラマラスな美女でさ! 僕とは違……」
「お前ら、いい加減にしろ!! だから逮捕するんだっていっているだろう?」
「ああ、そうだったね。……まあ、今回は、周作君の悪戯の後始末をしなければならなそうなので、大人しく帰るとするよ」
「聞けよ。逮捕だと言っているだろう!!」
ふう……。仙石がため息をつく。
「まあ、仕方ない。そこのムサイ男が悪いんだよ」
仙石が呟く。仙石がスマホを操作した途端に、けたたましい警報が鳴り響く。
「な、なんだ??」
「あ~。まさかそこまでするとは……」
画面の中の周作が、眉間に皺を寄せる。
「か、火事だ!!!」
廊下を走り抜ける従業員が叫んでいる。
「逃げて! 本気で火を放っているから」
「嘘だろ? ダミーじゃないのか?」
「私が周作君相手にそんな中途半端なことはしないよ」
ほのかに部屋に煙が入り込み始める。
まだあおいが拘束されたままだ。
「じゃあ、娘は頼んだよ。婚約者君」
仙石の合図で、男が部屋の奥にあおいを投げつける。
「キャッ」
小さな悲鳴をあおいがあげる、拘束されたままで、どこか打ったのかもしれない。その場で立ち上がれずにあおいがもがく。
「くそっ!!」
あおいの拘束を解くために、優作も松岡も部屋の奥へと走る。
「ねえ。仙石」
この状況に乗じて姿を消そうとする仙石に、周作が声を掛ける。
煙の向こうで、影が反応する。
「お前が新しく迎えた策士。あいつを信用しない方がいい」
周作の声に、影からの返答はなかった。
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