第6話 それぞれの正体

§




 次の日の夕方。

 酒場食堂の前にハンナが立っていると、リトが歩いてきた。


(まっ、眩しい!)

 

 黙っていれば美人なリト。薄暮の道では、ひときわ目立つ。

 髪の毛が白いからだろうか、光を集めているようにも見えた。


「悪かったな、呼び出して」

「いえ。それは別にいいんですが……」

「安心しろ。食事代は俺が支払う」


(そういう意味でもないんだけど)


 地下神殿から出たとき、ハンナはリトから食事に誘われた。

 ハンナは二つ返事で了承した。


(一体、どういう風の吹き回しなんだろう)


 ただ、不信感はあったが、正直なところうれしくもあった。


 訊けない。

 だけど、知りたい。


 ハンナのなかで相反するふたつの想いが葛藤している。

 リト本人を目の前にしても、なお。

 初対面のときとは別の意味で、ハンナは緊張していた。


「と、とりあえず入りましょうか」


 ハンナ行きつけの酒場食堂は早い時間だというのに赤ら顔の客で賑わっていた。

 人々は樽をテーブル代わりにして思い思いに酒を飲んでいる。

 うわっ、とリトが小さく呟いた。

 どうやらこんな店だとは想定していなかったようだ。


「わたしが知る限りオクトベルで一番美味しいものがお得にお気軽に楽しめる店です。エールでいいですか?」

「……任せた」


 空いている樽を見つけて、ふたりは向かい合った。

 すぐにエールが運ばれてきてグラスを合わせて乾杯する。


「無事に目的のものを見つけられて、おめでとうございます」

「今回に関しては足手まといだと思ってたのおかげだ」

「ぶはっ」


 素直に感謝のようなものを伝えられて、ハンナはエールを吹き出した。

 不意にハンナとリトの視線が合う。


(それって、わたしが役に立ったっていうことだよね?)


 もしかしたら、という気持ちがハンナの奥に生まれる。


(頼んだら、連れて行ってもらえる……?)


「お待たせしました。焼きそら豆とスパイシースペアリブです」


 ごとっ、と荒々しく料理が置かれた。湯気からは食欲を誘う香り。

 ハンナははっと我に返る。


(だめだめ。そんな受動的にここから出ても、うまくいく訳がない。鍾乳洞で思い知ったじゃない)


「とりあえず食べましょうか」

「おう」

「熱っ! わっ、おいひい」


 焼きたてのそら豆の分厚い鞘に苦戦するハンナに、今度は、リトが吹き出した。


「本当に美味そうに食べるよな」

「師匠は好きなものってないんですか?」

「思いつかない。食べたり飲んだりして、美味いと思ったことが、ない」


 すっ、とハンナは焼きそら豆をリトへ差し出した。


「昨日、美味しい店を教えろ、って言いましたよね? これ、食べてください。シンプルだけど美味しいですよ」


 細長い指、大きな手のひら。

 リトがそら豆を鞘から取り出して口に含んだ。


(食べ方、きれいなんだよなぁ)


 地下神殿跡で見せた仄暗さが嘘のようだ、とハンナは思う。

 結局、濁されてしまって、なぜ自分が鍵となったのか教えてもらってはいない。


 リトを見つめる。

 横顔の輪郭も、しっかりと出ているのどぼとけも。

 一挙手一投足にも釘付けになってしまう。


 ハンナの脳裏に、不意に、マディから言われた単語が蘇る。


(……吊り橋効果、ねぇ)


 何かをごまかすかのように、ハンナはエールを一気に煽った。




§




「おい、足元がおぼつかないが、大丈夫か?」

「もんらいありません~」


(しまった、呑みすぎた……目が回る……)


 酒場を出たところでハンナは盛大によろめいた。

 がしっ、とリトが受け止める。

 立派な胸板を感じ、ハンナは胸の鼓動が速くなるのを自覚する。


(し、師匠!?)


「危ないだろう。送って行く」


 有無を言わさない口調だった。

 さらには手を繋がれてしまう。骨ばった男性の手だ。

 ハンナは反射的に叫ぶ。


「らいじょうぶれすよ!」

「呂律が回っていない奴を信用できるか」

「……」

「家はどっちだ」

「……あっちれす」


 西を指差すハンナ。

 ふたりは手を繋いだまま、歩き出す。


 しばらく、無言。


 そして歩いているうちにハンナの酔いも冷めてきて、今度は青ざめはじめる。


(手! どうして離してくれないんですか!)


「あ、あのっ! そこのアパルトマンの二階の右端なので!」


 ハンナは立ち止まって大声で宣言した。


「お世話になりました!」

「そうだな」


 リトの声色が、ハンナをさらに我へと返した。

 酔っていて気づけなかった。

 テンションが低いというよりも、仄暗い、感情のない声色。


「……師匠?」


 ぱっと手が離される。

 急に冷たくなったのは、手のひらなのか。


 そのままリトの視線が向かうのはハンナのアパルトマンだった。


「――」


 放たれたのは雷のような光弾だった。


 ぼわぁっ……!


 ハンナが反応するよりも早く、部屋が爆発する。 

 周りの住人が何事かと窓を開けて騒ぎ出した。通行人たちも突然爆発した部屋を見上げて騒然としている。

 辺り一体に漂う、何かの燃える臭い。


「し、ししょ、う?」

「お前は危険だ。ここで滅ぼす」


 リトがハンナに向き合う。

 紅の瞳は空っぽ。

 言葉を失うハンナを映していた。


「――」


 リトの手のひらがハンナの顔へと翳される。


(あ、これ、もしかしなくても……殺される……?)


 ようやく気づいたが時すでに遅し。

 足がすくんで動けない。

 それどころか腰が抜けて、ハンナはその場にへたり込んでしまった。


(逃げられ、ない)


 ぱしゅっ!


 そのとき、リトのこめかみを何かが貫いた。

 どさり。――先に倒れたのは、リト。


「なんとか間に合いましたね」


 ハンナの前に立っていたのは、ふわふわの茶髪にはちみつ色の瞳をした、細身の男性だった。

 ハンナは、その声にだけ聞き覚えがあった。


「……グランツ、さん?」

「はい、そうです。鷹はかりそめの姿です」


 にこにこと微笑む様は、鷹のときの想像とまったく違わない。


 ぬるり、と液体がハンナの手に触れた。

 それはリトから流れ出ていた。


「青い血……」


 やはり、リトは人間ではなかったというのか。

 裏付けるかのように、貫かれたはずのリトは、ゆっくりと起き上がった。


「……やっぱりお前だったか」

「流石ですね、我が主。蟲毒も効かないとは!」

「俺を誰だと思っている」


 ハンナの目の前で堂々と裏切りを宣言したグランツは、紳士然として頭を下げた。


「古代龍王、リトヴルム様です」

「ふん」


(待って。今、何て言った? 古代龍王、って、まさか)


 古代龍。その、王。

 人間世界を滅ぼさんとして、勇者に討伐された存在。

 この国の人間なら誰もが知っている御伽噺の、登場人物だ。


(……!?)


 もはや、ハンナは驚きすぎて何も言えなかった。 


「そして我が主が収集している十二の精霊とは、勇者が世界中に散らばせた古代龍王の体の一部」

「ぺらぺらとよく喋る。使い魔のくせに俺を裏切るか」

「えぇ、裏切ります。僕は人間が好きなんです。あなたに滅ぼさせはしませんよ」


 にっ、と。

 リトの口の端が、歪む。


「面白い」

「そう言っていただけて光栄です」


 グランツはリトと向かい合いながら、ハンナの肩に手を置いた。


「今は一旦引きます。人間は、必ず、あなたを滅ぼす」

「いいだろう。やってみるがいい」

「ま、待って!!」


 ようやくハンナは口を開く。

 しかし、次の瞬間、目の前からリトの姿は消えていた。


 ――いや、移動していたのは、ハンナとグランツだった。


「……」


 ふたりが移動した先はオクトベルを一望できる丘の上だった。

 暗闇のなか、ハンナの暮らしていた部屋はまだ炎を上げ続けている。

 グランツは立って、街の方向を見つめた。 


「十二の精霊は、宝石に形を変えて存在しています。それらがすべて我が主の元へ戻ったとき、本来の姿を取り戻すのです」


 それから、しゃがんで、ハンナに目線を合わせる。


「ハンナさん。ここまで話を引っ張ってすみませんでした。貴女を冒険者ギルドで一目見たとき、貴女の正体にすぐ気づきました。根回しをして職を失わせたのは、僕です」

「し、正体?」

「その透き通るようなすみれ色の瞳。……貴女は、勇者と聖女の、子孫です」


 グランツはハンナの驚きを許さないかのように言葉を続けた。


「僕はずっと貴女を探していました。古代龍王我が主を真に倒すことができるのは勇者の血族しかいません」

「ちょっと待ってください。いきなりそんなこと言われても」


 ハンナは震えながらも応戦する。


「師匠が古代龍王なのは置いておいて、わたしが勇者の子孫? 信じられません。だって、わたしはひとりで迷宮へ入ることすらできない臆病者なんですよ」

「貴女は羊皮紙に書かれた古代文字を読めませんでしたね」


 静かなグランツの声に、ハンナは頷く。


「そこにはこう書いてあります。『十二の精霊には菫色の封印がなされる』。貴女は世界の希望だ。どうか、古代龍王リトヴルムを真に討ち取ってほしい」


 何もかもが信じられなかった。

 しかし、嘘だと笑い飛ばすには重たすぎた。


 喉が渇いている。

 指先が、熱い。

 ハンナは声を振り絞る。 


「グランツさんは……古代龍王の使い魔というのは、本当なんですか……」

「はい。何百年にわたって仕えてきましたが、この裏切る機会をずっと窺っていました」

「どうして」


 グランツは、ハンナの問いかけに答えない。

 答えない代わりに寂し気に微笑んだ。


「最初はリトヴルムも貴女の正体に懐疑的でした。しかし、貴女は実際にオパールを見つけ出した」


(だから、『滅ぼす』と)


 手始めにアパルトマンの部屋を燃やして。

 リトは、ハンナの存在をすべて消そうとしていたのだ。


(胸が、苦しい)


 信頼していた相手から向けられた、静かで揺るがない殺意。

 信頼?


(きっと、好きになりかけていたんだ)


 今さら気づいてももう遅い。

 ハンナは俯いた。

 その手には、青い血がこびりついている。

 ――リト・ユヴェーレンは人ならざる者。世界の敵。


 ハンナの手の甲に涙が落ちるのと同時に、グランツがハンナを抱きしめた。


「僕は貴女を導き、守りぬきます。どうかこの街から旅立ってくれませんか」

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