身体測定(柳沼幸)

言の葉綾

身体測定(柳沼幸)

クラスの中で整列すると、必ずいちばん前。前習えをする時、必ず先頭で腰に手を当てる。出席番号順と誕生日順では必ず後ろの方になるのに、身長ではどうしても、前だ。最前だ。

 「可愛いね」とよくいろんな人に言われる。傍から見れば、いいことなのかもしれない。でも俺にとっては、屈辱だった。周囲の奴らからは視線を下げて見られ、頭を撫でられ、全く成長しない体と変声期の来ない声を揶揄われ、の繰り返し。中学生で絶対俺は大きくなる、身長160を超えて、170を超えて…と夢見ていた。

 全く成長しなかった。中学1年生なら納得できるが、受験間近の3年生になっても、全く成長しなかった。成長しているとしても、かなり微々だ。周囲どころか、親にも気づかれないレベル。二卵性双子の妹は身長165以上あり、小学4年生の弟ですら、155cmを超えているのだ。

 高校生になったら、またクラスで揶揄われ続けるのだろう。こんな体で、こんな声で、周囲と話したくない。

 俺は、「カッコよく」なりたいのだ。


「全校生徒の皆さんに、お知らせします。明日の午前中は、全学年一斉の身体測定となります。半袖ジャージと半ズボンジャージを忘れないようにしてください。以上、放送部からのお知らせでした」

 1年1組の教室、36番の席。窓際の1番前の席で俺は、陽の光に肌を焼かれながら、顔を窄めていた。全校生徒一斉の身体測定。鬼畜としか言いようがない。

「なに落ち込んでるのよ」

 俺のもとに、金髪のスラックス少女がやってくる。なぜか、小学校からクラスの離れたことのない、腐れ縁。

「あったり前だろ…身体測定だぞ? 俺の中では学校行事の中で最も醜い」

 だがそれを言うと、金髪少女はニヒヒ、と嫌味ったらしい笑みを浮かべてくる。

「あんたいつになったら成長するのよ?」

「バカにするな!」

 揶揄ってくるこいつ、宮口結音は、身長157cm。あと4cmで、肩を並べることができる。中学生で4cm伸びるのは至難の業ではないと思う。でも俺は、こいつの身長に届かない。

 なんでなんだよ。

 周囲からは、変声期がすっかり終わった少年たちの声が聞こえてくる。まだ入学して1週間も経っていないが、このクラスはお調子者が多そうだ、と何となく察しはついている。

 低く、伸びやかな少年の声、すっかり170は超えているだろう身長が、ぞろぞろだ。覇気に蹴落とされそうになる。

「…変声期検査とかないよね」

「あるわけないじゃんそんなの。何回目? 変声期検査の話出すの。架空の検査だわ」

 ああ~と呻き声を出して、俺は再び顔を窄める。うう、自己紹介でもソプラノボイス全開で、低身長をさらけ出したのに。明日の身体測定でますます小さいのが明確になる。数字は絶対的だから。

「あれ、あそこに奏が」

 結音が指さしたのは、前の方の扉。7組だったはずの双子の妹、奏が僕の方に視線を向けている。

 …こいつ、揶揄いに来たな。

「おい、何だよ奏」

 奏のことを精一杯睨みつけると、奏の隣には数名の少女がたむろしていた。恐らく、奏の友達だろう。…友達出来るの、早いな。

「こいつ。こいつが双子の兄者」

 奏はその数名の少女たちに俺を指さす。少女たちは「おおお!」と息をそろえて声を上げ、俺のことをじろじろと覗き込んできた。

「可愛い! てか、天使!」

「声が高いなんて需要あり過ぎる!」

 わけわからない。需要って何だよ、需要って。

「奏! お前なあ、身体測定があるからって俺を揶揄いに来たんだろ?」

「普遍の事実」

「うるさいっ! やめろやめろ! 俺をどれだけ揶揄ったら気が済むんだよっ」

「ええ、超可愛い」

 隣にいる少女のひとりが、心底から、という体で呟く。俺にとっての公開処刑を、こいつらはどれだけやったら気が済むんだ、デリカシーのない。

「とりあえずお前ら、帰れ!」

 俺がシッシと払う仕草をすると、奏は「ほいほい」と能天気に教室へ戻っていった。隣にいた少女たちは最後まで「可愛い」と言いながら去っていきやがった。

 可愛い、は俺にとって屈辱だ。中学校の合唱コンクールでソプラノをやらされた時はクラスメイトに笑われたし、何か高いところから物を取ろうとすると決まって届かず、女子にクスクス笑われた。可愛いって、俺のことバカにしてるだろ。

 カッコよくなりたい………

「まーた揶揄われてやんの」

 結音の声が背後から聞こえてくる。明らかに見下してるな、こいつ。

「お前な……」

「まあまあ、今日はもうホームルーム始まるから。早く戻ろ‥‥‥‥個性溢れてていいな、幸は」

「ん? なんか言ったか結音」

「…ふん、何でもないもん」

 

 今日の朝は頗る機嫌が悪い。当たり前だ、今日は身体測定だからだ。渋々ジャージに着替え、教室に戻る。結音がまた変な笑顔を浮かべて俺の机にいた。

「ジャージブカブカじゃね」

「う、うるせぇ‥‥」

 一応大きめサイズのジャージを選んだため、サイズが合わない。体育の時に面倒なことになりそうだ。結音と無駄な言い合いを続けていると、担任の京極光先生‥‥通称オーロラ先生が現れた。クラスのうるささはフェードアウトし、各々席に着いていく。

「はーいおはよう。今日の身体測定だが、とりあえず班分けをした。その班で順番に回っていくようにな~」

 測定するのは、身長、体重、視力、聴力。身長を除けば別段問題はない、身長を除けば。

 俺と同じ班の人は、俺を含めて5人。班で集まってみると、全員160を超えている。

 ‥‥おのれ。

「柳沼くん…なんか可愛いね」

「可愛いって言うな!」

「最初、身長測定行く?」

「ええっ!?」

 班のひとりがそう言いだしたため、なぜか反論する隙もなく、俺たちは身長測定が行われているアリーナに向かうことになってしまった。

 流石全校生が900人近いこともあって、アリーナは混雑していた。体重もここで測れるらしく、数多の生徒で小さい俺は眩暈を起こしそうだ。

「‥‥くん、175.2cm!」

 どうやら、先生に堂々と自分の身長を公開されてしまうらしい。その事実が現実に迫ってきて、俺にはますます眩暈の兆候が見えた。もともと小さいのは皆わかっているが、わざわざ身長をでかい声で公表しなくてもいいじゃないか。耳打ちでいいよ、耳打ちで‥‥そんなことを考えていると、俺たちの列は進み、いよいよ俺たちの班の順番になってしまった。

 俺の前の宮本くんは能天気に測定台に上がっていく。身長高い人はこんなに余裕があるのか。俺にもそれくらいの余裕が欲しい。そして宮本くんは「173.2cm」と告げられて、測定台を下りた。

「次、柳沼幸くん」

 いかにも生徒指導担当ですと言わんばかりの風貌の先生に、俺は名前を呼ばれ、ドクドクと鳴り止まない鼓動と共に、測定台に上がる。

 わかっている、わかっているはずだ。だが微々たる期待を抱いてしまうのは、俺の性だろうか?

 わかってるよ、伸びてないことなんか‥…でも、でもだな。155くらいは、いっていてもいいんじゃないか、俺。いいか、ちょっとだけ、ちょっとだけ‥‥

「柳沼幸くん、153.4cm!!」


 嫌だ。もう、何もかもが。その後に体重、視力、聴力を測ったけれど、何も覚えていないくらい、身長測定の衝撃はジンジンと体中でこだましていた。

 155いってほしいと思っていた俺が、非常に醜く思えた。声も低くならないし。これで高校生活を送っていくのだろうか。そして、社会に出て行くのだろうか。嫌だ。こんなままじゃ……

 なんで俺は、こんなに小さいんだろう。声が高いのだろう。可愛いって言われるんだろう。自分が、嫌いだ、ずっと前から。

『幸、お前ソプラノかよ』

『幸くんって、本当にちっちゃいよね~。可愛い…』

 可愛いが誉め言葉の人もいるけれど、俺は違う。カッコいいって、言われたい。カッコよく、なりたい。

 どう足掻いても、ダメだったけどね。

 はあ。と深いため息を吐いて机で項垂れていると、「あー、落ち込んでるぅ」という結音の声が聞こえてきた。結構深いダメージを受けているイマの俺は、結音の相手をする気にもなれなかった。

「なに、全然伸びてなかったの」

 結音の問いかけを無視する。結音は「答えないってことはそうなんだな」と勝手に納得して、俺の目の前に立った。

「‥‥なに」

「お前さ、個性を無駄にすんなよ」

 なにを言っているのか、わけがわからなかった。いつもふざけて揶揄うことしかしてこない結音の言葉とは、思えなかった。

「…は? 意味わかんないんだけど」

「お前はアイデンティティがちゃんとしてるじゃん。個性で溢れてるじゃん。今まで恥ずかしくて言えなかったけどさ」

 結音はやや顔を赤らめながら、俺をビシっと指さす。

「唯一無二の容姿で、唯一無二の声をしてんだから。反応面白くて揶揄ってたけど‥‥他の背が高くて声の低い男子の中に埋もれるより、全然いいんじゃないの」

 そう言って、結音はそっぽを向いてしまった。

 唯一無二の容姿で、唯一無二の声。なんだか、考えたことなかった。この柳沼幸という存在に、嫌悪感しか抱いてなかったから。そういえば結音は、俺がクラスメイトに嫌味を言われている時は、加担してこなかったっけ。

 いちばん言われて嫌な、「可愛い」とは言わなかったっけ‥‥。

 俺はイマまで出逢ってきた人を思い浮かべてみた。中学生になっても、高校生になっても身長が低くて、声の高い男子。ソプラノを担当する男子。

 出逢ったこと、ない。

 ふざけたことしか言わない奴からの不意打ちの言葉に、思わず笑みが零れてしまった。

「な、なによ! 結構恥ずかしいんだからねっ?」

「ははははは。ありがと、結音」

 こいつは、いつも揶揄ってくるけど、俺のことを認めてくれた。

 よーし。

「わかったよ結音。俺、俺のままでいるわ」

 結音はツンとした表情で俺のことを見ながら、「あっそ!」と言って自分の席に戻ってしまった。その様子を眺めていると、教室の前の扉から妹の奏が見えた。俺のことを手招きしている。

「‥‥なんだよ、奏」

「私、168cm」

 ‥‥こいつ、どや顔してきやがった。

「‥‥お前の成長期なんて終わってしまえ!」

 俺はそう言って奏のことを追い払った。でもなんだか、いつもの嫌な気持ち、悶々と残る劣等感は不思議となかった。

 俺は柳沼幸、唯一無二。それで、いいから、かな?


                                    (終わり)


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身体測定(柳沼幸) 言の葉綾 @Kotonoha_Aya

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