エピローグ

 屋上には、湿り気を帯びた生暖かい風が吹いていた。

 パトリシアは捕縛されて、音楽祭は中断となった。ピアノが証拠品として押収されたのと、それからこの騒動で続けることはできないと判断されたからだ。


(はー、肩が凝ったな)


 騒動の後始末が終わった後、生徒たちは本日は帰宅するように言われたが、ライオネルとエイミーだけは父である国王から別室に呼び出されてこってり絞られた。

 勝手に危ないことをするな、立場を考えろと一時間にも及ぶ説教から解放されたのはついさっきのことだ。

 そのあとすぐに帰途についてもよかったが、一時間も説教をされたせいですっかり疲れてしまって、エイミーとともに少しの休憩を取るべく屋上に上がったのである。


 同じように危ないことをするなと怒られたエイミーは、ライオネルと違ってとっても元気いっぱいで、ライオネルの腕に腕を絡めて「これで公認の仲」だと意味のわからないことを言っている。

 婚約関係にある時点で公認の仲だったはずなのに、やっぱりエイミーの思考回路はよくわからない。


「これでわたしたちの仲を脅かす存在はいなくなりましたよ殿下!」

「あー、はいはい」


 パトリシアの供述によると、事前に調べていたとおり彼女の単独犯だったことが判明した。

 理由は、ライオネルの婚約者選びの問題だった。

 ライオネルは知らなかったが、エイミーを含む過去のライオネルの婚約者候補には順番が設けられていて、エイミーが選ばれなければ父親を大臣に持つパトリシアがライオネルの婚約者だった可能性が高かったという。

 そして、もしもエイミーとの婚約が解消になった場合、過去の候補から新たな婚約者が選出される線が濃厚で、その場合もやはりパトリシアが最有力候補に上がるだろうとのことだった。というのも、パトリシアを除く残りの元候補たちは、現在全員婚約者がいるからだ。


 つまりは、エイミーを蹴落として、ライオネルの婚約者になりたかった――それがパトリシアの動機で、それに嘘はないのだろう。ウォルターが調べたが、ピアノに仕掛けられていた針に塗布されていたのは、強力な痺れ薬だったが、命を脅かすほどのものではなかったそうだ。

 エイミーを執拗に狙っていたのも、脅せば怖がってライオネルとの婚約を解消するのではないかと思っていたからだと言う。

 エイミーとライオネルが入学してからの行動を観察していたパトリシアは、二人の関係は完全にエイミーの一方通行だと判断した。まあ、実際につい最近までそうであったのは間違いないのだが、それゆえ、エイミーさえどうにかすれば婚約は解消されると踏んでいたようだ。


(誤算は、エイミーがその程度でひるむようなやつじゃなかったことと……、俺、だろうな)


 うるさくてしつこくて鬱陶しくて意味不明なこのモモンガを愛おしいと思う日が来るとは、ライオネル自身想像だにしていなかったことだ。

 今もやたらとまとわりついて隙あらばくんくんとライオネルの匂いを嗅いでいる奇想天外な生き物を、以前のように突き放そうとは思わない。

 というか、この意味不明な行動を取っているエイミーを、可愛いとさえ思っている自分がいる。

 エイミーは満足するまでライオネルの腕にまとわりついて甘えた後で、思い出したように顔を上げた。


「殿下殿下!」

「今度はなんだ」

「計画、うまくいったんでご褒美ください!」

「はあ?」


 ライオネルはあきれた。


「うまくいったって、お前、途中から計画を忘れて脱線したじゃないか!」

「忘れてません。寄り道しただけです」

「寄り道する必要があったか?」

「もちろんです! だって重要なことですから! 殿下がわたしを嫌いなんて、失礼しちゃいます! 両想いなのに!」


 パトリシアに言われたことを思い出したのか、エイミーはぷんぷんと怒りだした。


「わたしと殿下は両想いでラブラブで以心伝心で一心同体なんです! 百年先も、生まれ変わっても、世界が爆発しても一緒にいる運命なんですよ!」

「重い‼」

「重くないですわたしの体重は普通です」

「体重の話じゃない!」

「えへへー」


 わかっているのかいないのか、エイミーはにこにこと笑って、ライオネルの腕にすりすりと頬ずりする。


(するとこいつは、死んで生まれ変わっても、世界が消えてなくなるまでずっとまとわりつく気なのか……)


 そんなことは絶対に不可能だと思うのに、この摩訶不思議なエイミーならば有言実行してしまいそうな恐ろしい気配がしてくる。

 そしてそんなことを言うエイミーにあきれつつも、本当にそうなったとしても嫌ではないと思っている自分に、ライオネル自身が一番驚いた。


(いつの間にかこいつに完全に毒されている気がする……)


 講堂で、全生徒を前に両想い宣言をしたエイミーはとにかくご機嫌である。


「殿下、それでご褒美ですけど」

(意地でも褒美をよこせというわけか……)


 こうなれば、エイミーはライオネルから褒美をもらうまでごねるだろう。

 ライオネルはあきらめた。実際に、今日の計画を練ったのはエイミーだし、ライオネルのためにあの奇妙な陶器人形に防御魔法を仕掛けたのもエイミーだ。ライオネルは倒れたふりをしていただけでほぼ何もしていない。


「あー、わかったわかった。褒美をやればいいんだろう? 何が欲しいんだ。リボンか、お菓子か、それともアクセサリーか? なんでもいい、好きなものを言え」


 エイミーとは十一年も婚約者同士だったが、思い返せば、ライオネルがエイミーに何かをプレゼントしたのは、一年に一度訪れる彼女の誕生日のときだけだった。エイミーではないが、これまでとは違ってきちんと自分の気持ちを自覚したのだから、婚約者にプレゼントの一つや二つ贈るのはやぶさかではない。


「やったー!」


 エイミーはその場でぴょんぴょんと飛び跳ねてから、自分のふっくらしたほっぺたを指さした。


「ここ、ここにちゅーしてください!」

「……そんなものでいいのか?」

「もちろんです! ここ、ここですよここ!」


 さあどうぞ、とエイミーはつま先立ちになって、ライオネルに向かってほっぺたを差し出した。


(まあ、こいつがそれでいいならいいか)


 ちょっと拍子抜けだったが、本人がそれで満足ならいいだろう。

 ライオネルは上体をかがめて、エイミーの頬に唇を近づける。――そのときだった。


「隙あり!」


 エイミーが素早く顔を動かしたかと思うと、ちゅっとライオネルの唇に自分の唇を押し付けて、「きゃーっ」と叫んでその場で飛び跳ねて手をバタバタさせながら踊りはじめた。


「殿下の唇!」


 ライオネルはぱちぱちと目をしばたたいて、それから片手で口元を覆う。


「お前……」

「あ、殿下真っ赤です!」

「うるさい!」


 このモモンガは、本当に予想の右斜め上を行ってくれる。

 エイミーはへらへら笑いながらライオネルにぎゅーっと抱き着いて、そして言った。


「殿下、大好き‼」

「……あー、もう!」


 この不思議で意味不明で奇天烈で――たまらなく可愛い生き物は何なんだろうか。

 ライオネルはエイミーをぎゅっと抱きしめ返して、それから小さく笑った。


「言われなくても、そんなことは知っている」





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王子様を落とし穴に落としたら婚約者になりました ~迷惑がられているみたいですが、私あきらめませんから!~ 狭山ひびき@広島本大賞ノミネート @mimi0604

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