悪魔は今日も囁く

ありま氷炎

☪️

「あいつを殺したら、どんなに気持ちいいんだろうな」


 歩いてるとそんな声が聞こえてきて、カリンは足を止めた。


「憎いんだろう?あいつが。殺しちまえ。あんな奴、殺してしまおう」


 黒い影がカリンに纏わりつく。

 彼女は走り出した。


 影が彼女に纏わりつくようになったのは、いつからだったか。

 目の前で、彼女の元婚約者と微笑み合うルディア。

 カリンは二人を見ると、血がたぎり怒りで気が遠くなりそうになった。


「殺せ、殺しちまえ」


 あの影は彼女の側にいないのに、その声は脳裏で怨嗟を繰り返す。


 上空では太陽がすべてを焼き尽くすように輝いている。

 空は雲一つなく晴れやかだ。


「カリン!」


 公園で彼女の姿を見つけ嬉しそうに笑うのはルディア。

 小柄で小動物のような可愛らしさがある、少女。

 カリンの幼なじみで、友達だった。


 ルディアの隣に座っていた元婚約者の顔は引き攣っている。

 視線はカリンから逃げるように伏せられていた。


 当然だろう。

 三年前から親によって決められていた婚約。

 けれども一週間前、突然婚約解消を求められた。

 

「すまない。ルディアを愛してしまったんだ」

「ごめんなさい。カリン」


 屋敷を訪れた二人は揃って深々と頭を下げた。


「何を言っているんだ!君たちは!」


 激昂したのはカリンの父。


「殴るなら私を殴ってください。私の父も知っています」

「なんだと!」


 元婚約者はルディアを守るように父の前に立ち塞がった。


「カリン嬢の新しい婚約者は私の弟になる予定だ」

「そんな話、勝手にされても!」

「父が後からこちらにきます。私は先に謝罪をするためにきました」

「伯父様。本当にごめんなさい」


 ルディアはカリンの幼なじみであり、従姉妹でもあった。

 父同士が兄弟で、父はケサランダ家を継ぎ、弟であるルディアの父はサシュラン家の婿にはいった。

 父は伯爵、叔父は男爵。

 元婚約者は、伯爵令嬢のカリンではなく、男爵令嬢のルディアを選んだ。

 通常ならありえないことだ。

 けれども、この話は真実の愛の物語として、社交界に広まった。

 婚約者を奪ったはずのルディアを、カリンを捨てた婚約者を非難する声はごくわずかだった。


「おかしいかなあ。なんでだあ?なんでだよ。君は被害者だ。なのに、なんで君が笑われる」


 影は同情を交えた声でカリンに纏わりつく。


「ルディア。いくよ」

「え。どうして?まだカリンと話してないのに」

「いいから」


 元婚約者はルディアと異なり、人の心に機敏だった。

 彼はカリンの気持ちに気がついていたはずだ。なのに、彼女を捨てて、ルディアの手をとった。


「許せないだろう。殺せ。殺せ。二人とも殺せ。すっきりするぞ」


 影はカリンに囁く。

 もう昼間でも関係なく、影はカリンに囁いてくる。


(……つらい。つらい。私がなんでこんな目に。私は伯爵家を継ぐため一生懸命勉強してきた。あの人も、私が勉強してくれるから自分が楽になりそうと微笑んでくれた。誕生日には私の好きな宝石を贈ってくれたし、夜会ではいつもエスコートしてくれた。なのに)


 惨めでもなんでもいいと、カリンはその場に座りこんでしまった。

 興奮する自身に囁きかける声。


「思い出してみろよ。夜会で、最初は君をエスコートして踊った後、あいつは誰と一緒にいた?そして楽しそうに笑っていた?」

「言わないで!」

「お嬢様?!」


 座り込んだカリンを立ち上がらせようとした侍女は、突然叫んだ彼女に驚いて手を離した。


「なんでもないわ」


 カリンは侍女にそう言い、ひとりで立ち上がる。


 

(だめよ。だめ。忘れるの。もう過去のことなんだから。私には新しい婚約者がいる)


 

「初めまして」


 元婚約者の弟は、彼に全く似ていなかった。

 黒髪に黒い瞳。肌まで浅黒くて、まるで闇の住人のようだった。


「どうされました?」

「いえ」


(俺だよ。俺)


 頭の中に響く声はあの影の声。

 

「カリン嬢。私は君と婚約できてとても嬉しい」


(奴らを殺すなら一緒に殺してやる)


 カリンは気を失った。


 その後も、新しい婚約者は何度も屋敷を訪れた。

 彼の名前は、リチャード。

 微笑みはとても柔らかい。

 けれども彼はカリンに別の言葉で話しかける。


「やめて、お願い」

「どうされましたか?お嬢様」


 あの声が聞こえるのはカリンにだけ。控えている侍女には何のことかわからない。

 それを知っているリチャードは微笑みながら、囁く。


(一緒に堕ちよう。どこまでも。俺は君が気に入った。とても美しくて穢れがない)


「お願い。もう何も言わないで」


 カリンは元婚約者のことも、ルディアのことも本当は殺したいくらい憎んでいた。

 それでも必死に堪えて、前を向こうとした。

 けれどもリチャードの声は、カリンを深い闇に引き込もうとする。


「もう、だめ。大丈夫。私がいなくても血は繋がれる。そう。ルディアの子供でもいいの」


(本当か、本当にそう思っているのか)


「お願い。私は誰も憎みたくないの。こんな感情、大嫌いだから」


(なぜ否定する。人として当然持っている感情だろう。憎しみと愛は紙一重だ)


「私は、許せない。自分が許せない。こんな感情を持ってしまう私が」


 カリンは窓枠に手をかける。


「私は、私を殺す。そして終わらせる」

「馬鹿だ!」


 影だったものが一気に具現化して、人になる。そしてカリンを掴んだ。


「悪かったよ。俺が悪かった。もう言わないから。死なないでくれ。頼む。俺は君を失いたくない」


 カリンを引き寄せ、その胸に抱いたのはリチャードだった。

 黒髪に黒い瞳ではない、元婚約者と同じ金髪に青い瞳、白い肌。だけど顔立ちはそのまま。


「……どういう」

「俺は半分悪魔なんだ。君には俺の本当の姿が見える。そして俺の声も聞こえる。最初、驚いたよ。俺のことが見えていたみたいだから」


 そう言われ、カリンは思い出す。

 元婚約者、リチャードの兄を訪ね屋敷に入った時、影をみた。そしてそこに目と口があることに驚いた。けれども一瞬だったので、気のせいだと思っていた。


「兄、リオはあのクソ女にうつつを抜かした。そして君を傷つけた。君が殺したいと思ったら、俺が殺すつもりだった」

「殺す?お兄さんなのに」

「それがなんだ。カリンを傷つけたんだ。それ相応の報いをくれてやりたい」

「だめよ。必要ないわ」

「やっぱり君はそう言うんだな。そして自分が死を選ぼうとした。もう言わないよ。だから、死ぬなんて考えないでくれ」

「わかった。あなたがもう言わなけば大丈夫」

「契約だ」

「契約?」

「ああ、悪魔は契約は守る。だから、君にもうあんなこと言わないって契約する」

「必要ないわ」

「必要だ」


 そう言うと、リチャードはどこからか紙とペンを取り寄せ、書き上げた。

 その文字はカリンには読めないものだった。


「はい。ここに署名して」


 リチャードが署名した後、カリンがその横に署名した。


「これで終わり。俺は決して君にあんなことは言わない」

「契約なんて大袈裟だわ」


 カリンは不服そうにそう言うが、リチャードは微笑むとその紙を懐に仕舞い込んだ。


 その後、カリンとリチャードは正式に婚約を結び、一年後に結婚した。

 リチャードは時折、悪魔の姿になる。

 けれども、カリンに殺せなどと囁くことはなくなった。

 元婚約者とルディアは、男爵家で仲良く暮らしているようだ。さすがに訪ねてくることはなかったが、カリンは時折二人の様子を侍女に頼んでみてもらっていた。

 半分悪魔なリチャードは過激なところがある。

 不思議な力ももっているようだった。

 そんな彼は、カリンをとても大事にしてくれた。

 だから、彼女の心の傷はほとんど癒されていた。


「本当、君は綺麗すぎるよ」

「だって、今、私はとても幸せだもの」

「大丈夫。君が生きているうちは、殺さないから」

「私が死んでもよ」


 半分悪魔な彼の寿命はとても長い。けれどもカレンが亡くなっても、彼が退屈することはなかった。

 彼はカレンが何度生まれ変わっても見つけることができた。

 それは、彼女が彼と交わした契約に記されたこと。

 

 カレンの魂は、永遠にリチャードの魂と結ばれる。

 普通の人である彼女の寿命はリチャードに比べると短い。

 だけど、魂が結ばれていれば、リチャードは必ずカレンを見つけることができた。


「見つけた。見つけたよ。俺の愛しい人。俺のために生きてくれ。それだけでいい」


 囁きはとても甘く、カレンが初めて聞いた悪魔の声とは別人のようだった。





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