でんでんむしの恋

長田桂陣

第1話

「先輩。私……いえ実は僕、男なんです。先輩に惚れました、先輩の男気に惚れたんです。ゲイになって僕と付き合ってください」


 週末。

 俺は同僚と世界一のイタリア料理店で食事を楽しんでいた。

 向かいの席でミラノ風のドリアを口に運ぶのは職場の後輩。

 俺には不釣り合いな、とびきりの美女だ。

 そんなゴージャスなひと時、俺がワイン片手にエスカルゴを頬張ったところ突然のカミングアウトを受けたのだ。


 時間を少し戻そう。

 場所は世界一のイタリアンレストラン。

 そう、サイゼリヤだ。


 向かいの席に座るかわいい女の子は新入社員で俺はその教育係。

 今日は俺が教育を担当する最終日だったのだ。


 意外にも夕食をいっしょにどうかと聞いてきたのは彼女のほうからだった。

 教育係のお礼だなんてなんとも律儀で礼儀正しい娘だ。

 今どき上司との飲みニケーションなんてやらない。俺だって誘われたら面倒だと思うだろう。

 気の知れた友人ならまだしも、プライベートで上司となんて一分一秒でも一緒にいたくはない。

 そんな暇があるなら家に帰って一人でスマホでもイジっていたほうがマシだ。


 しかし、俺も男。

 かわいい子に誘われて悪い気はしないよな。

 これまでの教育係も誘ったのだろうか? それとも、俺だけ?

 そんな俺の邪な思いなど知らずに、彼女はフォークの先の料理ををじっと見つめていた。


「先輩。これって噛んだときに、でんでんむし感ありますか?」


 彼女が見ているのはAP05エスカルゴのオーブン焼きだ。

 エスカルゴの料理をこわがるところも、女の子らしくて可愛いな。


「まぁ、特有の食感はあるぞ。つぶ貝みたいで旨いから思い切って食べてみろ」


 そう言ってから、思い直す。

 いまてよ、もしかしてエスカルゴアレルギーとか?


「無理はするなよ。ほら、体質的にとかさ」

「いえ、そういうのは大丈夫です。ただ、でんでんむしにはチョット思い入れがあるものですから」


 彼女はおっかなびっくりと料理を口の中に入れモゴモゴと口を動かす。

 その間、視線を右へ左へ天井へとさまよわせた。

 どうやら舌と歯でエスカルゴの形を探っている。それはまるで魚の骨を探しているようだった。


「ん、おいひぃです」


 コリコリと咀嚼してゴクリと飲み込む。


「美味しいです。先輩の言う通り思い切って行動して良かったです」

「それほどの事じゃないだろ。大袈裟なやつだな」


 彼女はちょっとした事でも俺を立ててくれる。


「先輩はいつも私に勇気をくれました」


 それから真剣な表情で続ける。


「そんな先輩に聞いてもらいたい話があります」


 俺はAA70バッファローのモッツアレラWサイズに伸ばしていたフォークを引っ込めた。

 それほどに彼女から真剣味を感じたのだ。


「私は……いえ、僕は」


 ぼく?


「僕は実は男なんすよ」


 は?


「いやいや、どっからどうみても女だろ?」


 確かに彼女の服装はパンツスタイルではある。

 しかし、腰の丸みはもちろんジャケットの下では、ワイシャツではなくブラウスが豊かなバストに押し上げられていた。


「そんな可愛い顔で言われても」


 ポロリと本音が漏れるが、彼女……彼? は華麗にスルーした、彼だけに。


「カミングアウトっす、性的嗜好が男なんすよ」

「あぁ、アレか。繊細な問題のやつ」

「んー、性自認のほうではなく性的嗜好だけなので先輩が心配するような事はあまりないっす。そういうわけで、僕を男として受け入れてくれますか?」


 う、うむ。

 なるほど、入社以来数々の告白を断り続けた理由はこれかと納得した。



 とんでもない美女が入社してきた。

 その噂は瞬く間に営業部の枠を超え、社内中に知れ渡った。

 俺もなんでこんな田舎の中小企業にアイドルか女優かと思うような美女がと驚いたものだ。

 小さな顔、抜群のスタイル、笑顔を絶やさない愛らしさ。


 これで男共が学生なら、ルックスが釣り合わないと気後れしたことだろう。

 しかし、営業会社において成績は地位であり、実績に裏付けされた確かな自信だ。

 とても釣り合いそうにない同僚達だが、その営業成績を武器に彼女に挑んでいった。

 だが、結果はすべて撃沈。


 フラれた男共を教育係にしておくわけにも行かず、次々とお役御免となり遂には俺に教育係が回ってきたというわけだ。

 上司から教育期間中の告白禁止の御命令とセットでね。


「先輩、聞いてましたか? 結構大事なカミングアウトなんすけど? 僕、男なんすよ」


 頬を膨らませて怒る僕っ娘もかわいいな、なんて思っても仕方がない。

 最初から脈ナシ。性別で予選敗退していたわけである。


 まあ、良いか。可愛い後輩は可愛い後輩のまま。ただ、俺には妙に懐いていたから淡い期待が無かったわけではない。

 ちょっと悲しいだけだ。


「この数週間、先輩は僕を女の子扱いしなかったっす」


 少なくとも教育期間中は女としてみない様にしよう。

 会社命令で、そうキモに命じていただけだ。

 まぁ、ソレは言うまい。

 ストイックな先輩を演じさせてもらおう。


「当然さ、仕事をするのに男女は関係ないだろ?」


 なんて見栄を張ってみる。


「よかったす。先輩は侠気のある人だから大丈夫だと信じていたっす」


 そうか。


「まぁ、だったら今は男同士って事だな」


 俺はグラスを差し出す。


「あ、すいません。気が利かなくて」


 彼女は慌ててワインを注ごうとする。


「いや、友達としての乾杯だよ」


 そう言うと彼女は……彼は……後輩君は照れながらワイングラスを差し出してきた。

 新しい男友達に乾杯。



 ワインの酔が回ってきたのか、後輩はとても上機嫌になっていた。


「先輩は僕が男として初めての男友達っす。何事も友達から始めるのは大事っすよね」

「いや、男同士なんだからその先はないだろ」


 だははーと、後輩は清楚のかけらもなく笑う。


「ところであれか? その、手術とかしてるのか?」

「僕はしてないっす。これも多様で僕は手術をしないタイプなんす。性癖だけ認めてもらいたいタイプなんす」


 そういうもんか。


「気になるっすか?」

「まぁな、会社には何ていうんだ? ほら、更衣室とかトイレとか希望があったりするんだろ?」


 俺からも会社に働きかけてやるよと、頼りになる先輩をアピールして見せた。


「そこは特に気にしないっす。でも嬉しいっす。やっぱ先輩は男気があるっす」

「褒めても、ここの奢りくらいしか出さねぇぞ」


 まぁ、元々かわいい後輩女性社員に出させるつもりはなかった。

 女性社員の部分は怪しくなったが、可愛い後輩に変わりはない。


「でもほら、同僚の女性陣が男と同じだと嫌がるんじゃないか? 女の人が好きなんだろ?」

「実は、そこでも話すことがあるっす」


 なんだ? 何でも言ってみろ。

 ワインの酔が回ったせいもあるだろう。

 ここまで持ち上げられると、男女関係なく気分がいい。


「僕は体は女っすが、性的嗜好は男だと説明したっすよね?」


 うむ。


「でも、女に興味はないんすよ。だから更衣室が同じでも女性陣は安心してもらっていいっす」


 え?

 どういうことだ?


「体は女で、性的嗜好は男で、男として男が好きっす」



 ちょ、ちょっとまて。

 そこのナプキン取ってくれ、あとペン。

 後輩は、ナプキンとオーダー用のペンを俺に手渡してくれた。

 整理するぞ?


「生まれた体は女っす」


 おう。


「性的嗜好は男っす」


 おう。


「男として先輩が好きっす」


 おう?

 いやまて。


「いや、待たないっす。男らしく言うべきことを言うっす」


 後輩がテーブルに身を乗り出す。

 その瞳はキラキラと無邪気に輝いて見えた。


「先輩、好きっす」

「え? これはどうなの? 喜んで受けていいの?」

「難しい問題っす、よく考えるっす。僕の愛を受け入れると先輩はゲイってことになるっす」


 そうなの!?

 いや、流されちゃ駄目だ。

 俺はゲイではない……はずだ。


「そりゃそうっすよ。僕が男で先輩も男なんすから」


 ちょっと待て、新しいナプキンよこせ。


「やだなぁ、先輩。こんなところでナプキンとかエロガキっすね」


 お前は中学生男子か!


「おさらいするぞ、お前は俺が好き?」

「そうっす。教育期間をともにして先輩の男気に惚れたっす。男が男に惚れたわけだからゲイっす」

「それは、可愛い女の子に良い格好がしたかっただけだぞ」

「男がスケベなのは仕方がないっす、むしろ当然の事っす」


 寛大だなぁ。


「まぁ僕も男ですからその気持はよくわかるっす。好みの男性の近くにいると興奮するしエロいことを考えるっす」


 問題はそこだ。


「ペンを貸せ。男として男が好き?」

「そうっす、一応FtMゲイって呼ぶらしいっす」

「呼び方とかあるんだ」

「んー、他の人と心が同じかなんて分からないっすからね。僕は僕だけで僕なんすよ」

「それで、俺とエロいことがしたい?」

「したいっす。襲いかかりたいっす」

「だがしかし、お前はその……手術とかしてないんだろ? 体は女のままなんだろ?」

「そうっす」

「その欲望はどうやって満たすんだ?」

「手段は問わないっす、使える武器は全部使って快楽を貪りたいっす」

「武器って、おまえなぁ」


 その思い付きを言って良いものか、一瞬ためらう。

 まぁ良いだろう。この後輩に今更気を使っても仕方がない。


「お前、銃がついてないじゃん」


 一瞬の間。

 ライン超えか?

 ルビコン川超えたか?

 週明けにはコンプライアンス違反で叱責か?

 しかし、後輩はニヤリと笑う。

 頭の悪そうな中学生男子の笑みだ。


「先輩の銃をしまうホルスターはあるっすよ。二つ」

「下品なこと言うな!」


 心配した俺が馬鹿だった。


「いや、三つあったっす」


 しかも畳み掛けて来やがった。

 いやまて。

 まず二つと答えて、その後に三つに訂正?

 ……順位が気になるところだが……聞かないでおこう。


「僕は男っすから、男同士の下品な会話はあたりまえっすよ。どうっすか? ボクを受け入れてくれますか?」


 受け入れって……いかんいかん。

 俺は俺がナニカを受け入れるところを想像しかけた。

 まずい。

 俺まで考え方が下品になってきたぞ。


「何いってんだよ。受け入れるって、受けようにも攻めるものを持ってないだろ」

「そこは抜かり無いっす。事前の調査と段取りの重要性は先輩に叩き込まれたっす」


 この流れで、ヨイショされても困る。


「まさか、あれか? あの付けるやつ!?」

「これっす」


 スマホを操作して画面を見せてきた。

 そこには両端が頭の黒蛇。

 いや、太いよ!


「オイ待てコラ。これAmazonの購入済履歴じゃねーか」


 マジで買ってやがる。


「早く届かないかなぁ。そうだ先輩。他にも欲しい物リストで公開してるんで、先輩が買ってくれてもいいっすよ」

「なんで俺がこれを買うんだよ」

「半分は先輩が使うからっす」

「半分とか言うな!」


 極太で黒い双頭の蛇を後輩と半分ずつ使う。

 後輩の肢体の誘惑より、俺は*がムズムズするのを感じて座り直す。


「公開に後悔はしてないっす」


 上手いこと言ったつもりか。


「大丈夫っす痛くしないっすよ。そこはお互いに気遣いが大事っす」

「お互いってお前なぁ」


 いやまて。痛いだって?

 お前、未経験か?

 お前が痛いのはどっちのホルスターだ?


「で、どうっすか? 男同士深く付き合わないっすか?」


 後輩は子供のように、少年のように浮かれている。

 キラキラした目で俺を見る、頭の悪そうな中学生男子の目だ。

 だがしかし、その外見はとびきりに魅力的な美女でもある。

 しかも、俺に初めてを捧げるつもりらしい。

 どっちの初めてかは分からないが。


 俺の中で欲望が煮えたぎる。

 この場はなんとでも言って、連れ込んでしまえば良い。

 後はどうにでもなる。


 しかし。俺の結論は……


「すまん」


 俺はテーブルに両手を付くと、目を閉じて深く頭を下げた。

 そのまま顔をあげることなく言葉を続ける。


「お前の気持ちが嬉しい」


 いや、それも違うな。


「お前は本当に良いやつだ。明るくて素直で頑張り屋で。俺はこの数週間、こんなに仕事が楽しいと思ったことは無かった。お前が俺を仕事のできる、男気に溢れたやつだと思ったのなら、それはお前のおかげだ。お前は良いやつだ、凄く魅力的だ」


 俺がしているのは何だろう?

 これは告白だ。


「お前とさ、そういう関係になるのは悪くない。むしろ、美味しいと思う。お前の性癖が男だろうと、俺から見れば女だ。それも、とびきりにキュートな美女だ。どうしたって身体目当てになる」


 しかも、最低の告白だ。


「俺はお前が好きだと思う。だからこそ、俺を男と見込んで好きだと言ってくれたお前を騙したくない。だから、お前の誘いには乗れない」


 そこまで捲し立てて、反応を待つが後輩に動きはない。

 不安になった俺は頭を下げたまま目を開けた。


 そこには、白くて細い手があった。

 どうして俺とテーブルの間に後輩の手がある?

 体は土下座のまま俺は顔だけを上げた。

 手を伸ばしたまま、困った顔をした後輩が俺を見ていた。


「先輩の髪がドリアに入りそうだったから」


 後輩の小さな手のひら。

 その下には熱々のDG01ミラノ風ドリアがあった。

 そして後輩は俺の前髪を守るため手を伸ばしていたものだから。

 頬を伝う涙を隠すことも拭うことも出来なかった。


「泣くなよ。泣かないでくれ、男なんだろ?」

「僕は女々しい男なんです」

「じゃあ、俺も女々しいな。こんなにウジウジ考えて男らしく無いだろ。幻滅したんじゃないか?」


 後輩は俺が頭を上げるとようやく涙を拭った。

 サイゼリヤのナプキンで。

 ある意味男らしい。


 それから立ち上がると俺の隣に席を移す。

 手にはハンカチを持っている。

 女物のハンカチだった。

 後輩は自分の涙をナプキンで拭いていたのに。


「前髪にチーズが付いてますよ」


 甲斐甲斐しく髪に付着したDG01ミラノ風ドリアを拭き取ってくれる。

 その仕草はとても女らしい。


「すいませんでした。先輩を困らせたかったわけじゃないんです」


 俺こそ、謝るしかない。


「先輩ってなんだか男らしくないですね」


 口調が変わった。

 カミングアウトを受ける前の女性らしい口調だ。


「でも、そんな先輩も嫌いじゃない感じがします。放っておけないというか、私が支えてあげなきゃっていうか」

「それは、どっちで? 男として女として?」

「このキュンキュン来る感じは、女性としてだと思います。私の中の女性の部分が先輩を求めている感じがしますね」

「女として俺が好きってこと?」

「そうかも、女々しい先輩も悪くないかな」


 コレはまさかの大逆転か?

 人間、誠実に生きていれば良いことがあるのかも知れない。


「改めて告白してもいいですか?」


 もちろんだとも。


「先輩」


 後輩が微笑む。

 それは女性らしい、柔らかい包容感で俺を包み込むような微笑みだ。


「女性として先輩が好きです」


 俺にも春が来た。


「先輩の女々しいところに恋をしました」


 女々しいって…まぁ良いか。


「先輩も女性として私と付き合ってください」


 ……はい?


「私と百合カップルになりましょう。あ、もちろんたまには男としてもOKです」


 たまにって……


「健全でしょう。男と女」


 それなら、悪くないのか?


「僕が先輩を可愛がってあげるっすよ」


 そっちかい!

 後輩はエスカルゴをフォークで刺すと俺たちの間に掲げてみせた。


「でんでんむしって雌雄同体……男女の区別が無いんです。私達に似てますよね」


 俺ってもうそういう扱いで確定なの?


「でんでんむしは交尾のときに互いを槍で刺すんです」

「急に物騒だな。そもそも、カタツムリに槍なんてあったか?」

「でんでんむしむしかたつむり、お前の頭はどこにある?」

「ええっと。ツノ出せ槍だせ頭出せ?」


 まじだ、槍だしてる!


「その槍、恋矢って言うんです。ロマンチックですよね」

「まぁ、素敵な名前だと思う」

「浮気ができなくなる毒の槍をお互いに挿すんです」


 やはり、物騒な話だった。


「先輩にも僕が刺してあげますからね」

「でもまぁ、最初は先輩が男で……私が女でもいいですよ」


 最初だけって条件が怖い。


「今から……私の家に来ませんか?」


 そう言って後輩は俺の太ももに柔らかい手を添える。


「……お邪魔させて……もらおうかな」


 そのとき。後輩のスマホから通知音が鳴った。

 後輩はスマホの画面をチェックするが、真横に座る俺にもその画面が見えた。


 置き配のお知らせ。

 玄関先に置かれたAmazonのダンボール箱の画像だった。

 細長いダンボール箱の。


「丁度、槍も届きました」


おしまい

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でんでんむしの恋 長田桂陣 @keijin-osada

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