黒猫とカラーボックス

ふさふさしっぽ

黒猫とカラーボックス

 黒い二段カラーボックスを買って、本棚代わりにするつもりだったのに、野良猫が居座ってしまった。

 部屋が二階なので、窓を開けたままちょっとコンビニに行き、帰ってきたら二段カラーボックスの上の段に、その黒猫は収まって丸くなっていた。

 一階に住むアパートの大家さんは「そのまま飼ってもいいわよ。それよりも出かけるときは防犯のために窓を閉めてね」とにこにこしながら言う。

 なんとなく、飼うことにした。

 追い出すのも可哀想だし。

 黒いカラーボックスに黒猫なんて、なんだか縁を感じるし。

 一人暮らしにいい相棒ができた。

 大学生の僕は、かなり古いけれど、部屋が広いこの二階建てアパートから大学に通っている。親の仕送り申し分なしという恵まれた身分なので、猫一匹くらい飼う余裕があった。

「よろしくな、相棒」

 その夜、二十歳になったばかりの僕は、コンビニから買ってきた缶チューハイで黒猫のささやかな歓迎会を開いた。黒猫には「くうろん」という名を付けた。

 くうろんはかにかまを大人しくはむはむと食べていた。


 次の日、朝起きた僕は目を疑った。

 カラーボックスが三段になっていたのだ。くうろんは最初に鎮座していたときと同じ場所で丸くなっていた。つまり三段の内の真ん中である。

「くうろん……、僕が寝てるあいだに何があった」

 くうろんは欠伸をひとつしただけだった。僕は不思議に思いながらも、とりあえずスマホでカラーボックスの写真を撮った。そして、くうろんが寝床にした分置き場がなくなっていた本を、増えたカラーボックス内に収め、大学に向かった。

 

 次の日、黒いカラーボックスが四段になっていて、僕は頭を悩ませた。

 なんだこのカラーボックスは? 増えていくのか?

 怪奇現象? それとも僕の頭がおかしくなった?

 そこで、スマホでまた写真を撮り、昨日撮った写真とともにネットへ上げてみることにした。

 大学に入ってから始めたSNSがいいだろう。あんまり活用していないから、見てくれる人がいるかどうか分からないけれど。

 予想に反して、数分後、何人かの反応があった。

『本当に増えたんですか? 怖い』

『黒猫ちゃん可愛い』

『寝ているあいだに増えるのなら、一晩ずっと起きていたらいいのでは?』

 おお、その手があったか。それもそうだ。

 明日大学は休みだ。僕はずっとゲームをしながら起きていることにした。

 ゲームが一区切りつき、カラーボックスに目をやると、カラーボックスは五段になっていた。「わあっ」とさすがに僕は声を上げ、急いで写真を撮り、SNSに上げた。

 『うおお、本当に増えてる』

 『黒猫ちゃんのポジションは変わらないんだ』

 『部屋のものが片付いていいですね』

 少し目を離した隙に増えるとは……。なんなんだ、このカラーボックス。おかげで収納には困らないけどさ。

 それに。

 僕はSNSで注目されるようになった。これといった特技もなく、交友関係も狭い僕としてはこんなに注目されるのは初めてのことだった。くうろんがいつも同じ場所で丸くなっているのもカラーボックス増殖案件に花(?)を添えている。

 黒いカラーボックスは一日一個ずつのペースで増えていった。

 縦に六段になったあとは、一番下が右に一つ増えていた。横に増えたということだ。

 僕はカラーボックスが増えるたびに写真を撮り、SNSにアップした。増える場所の順番に規則性はなく、どこに増えるかは次の日になってみないと分からなかったが、それが逆に面白いとSNSでは好評だった。

 私物はみな、増えたカラーボックス内に収めるようになった。見栄えをよくするために置時計、書籍、コートや靴などを新調し、ディスプレイした。これみよがしに高い時計や、絵などを飾ると「大学生のくせに」と反応が悪くなったので、一人暮らしの普通の大学生っぽさを失わない持ち物を選んだ。


 ふた月後、黒いカラーボックスは壁の九割がたを埋め尽くしていた。

 私物はすべてカラーボックス内に収まっているので、部屋はすっきり綺麗だが、問題があった。

『このまま増え続けたらどうなるんだ?』

『壁を破壊する?』

『前に増えたりして(笑)』

 いくら広い部屋だからといって、壁一面の面積には限界がある。当然だ。

 うすうす気がついていたけれど、みんなに注目してもらえるのが嬉しくて、深く考えていなかった。だって、はじめてなんだよ、こんなに注目されるの。例えネットの中だとしても。

『今後どうなるのか期待』

『明日も投稿待ってます』

『賃貸アパートですよね? 部屋が壊れちゃったらどうするつもりなんですか』

 ――いよいよ困ったことになった。

 壁にはまだスペースがあるけれど、あと一週間もしたらいっぱいだ。その後はどこに増える? それこそ手前に増えるとか? それじゃ後ろのものが取れないじゃないか。

『今後どうなるのか期待』

 僕は頭の片隅で、このまま続けようと思っていた。

 せっかく人気者になれたのだから、みんなの期待に応えたい。

 毎日写真をアップして、みんなの反応に喜び、返信するのが僕の日課になっていた。大学の講義中も、食事中もスマホを見ては承認欲求を満たしていた。いまさらやめられない。

 カラーボックスでアパートが壊れても、ここ、僕の家じゃないし。僕自身、今後どういう形でカラーボックスが増えていくのか、どういうことが起きるのか、興味があった。というか、いまさらやめたらSNSのみんなを裏切ることになる。このまま続けるしかないじゃないか。そうだそうだ。

『くうろんちゃんはいつも同じ位置ですね。もっとくうろんちゃんの写真下さい』

 女性と思われる人からのリクエストがあり、僕は初めと同じ場所で丸くなっているくうろんを抱き上げた。くうろんの様子が明らかにおかしかった。ぐったりしている。

「くうろん!?」

 僕はリュックサックにくうろんを慎重に入れ、部屋を出て、階段を駆け下りた。一階に住む大家さんとばったり会った。五十代ぐらいの、ふっくらした女性だ。

「あら、最近どうしたの。全然顔を見ないから心配していたのよ。猫ちゃんは元気?」

「心配かけてすみません。ちょっと動物病院行ってきます」

 見たかぎり、くうろんに何の反応もなかった。体は暖かいから死んでいるわけではないと思うけれど、薄目を開けたまま、ぴくりとも動かない。

 僕は馬鹿だ。

 SNSに夢中で全然かまってやってなかった。だから不調に気がつかなかった。エサはちゃんと食べていただろうか。トイレはちゃんとしていただろうか。見ていなかった。機械的に世話をして、あとはスマホを見ていた。飼うって決めたのに。ごめん、くうろん。

 それに、アパートが壊れてもいいなんて、どうかしてた。アパートが壊れたらあの大家さん、困るじゃないか。猫を飼っていいって言ってくれて、僕のことも心配してくれて、とってもいい大家さんなのに。どうかしていた、僕は。

 帰ったらカラーボックスは全部解体して、ごみに捨てよう。SNSはもうやめだ。

 その前に、くうろん、助かってくれ。


「特に具合の悪いところはありませんね」

「にゃあん」

「おお、大きな声。元気元気」

 動物病院の診察室で、獣医師にそう言われ、僕は脱力した。くうろんはよく寝た、と言わんばかりに大きなあくびをして、毛づくろいしている。

 あれは弱った演技……? 演技なのか? くうろんよ。

「にゃあん、にゃんにゃん」

「超元気ですよ、この黒猫」

「ありがとうございました……」

 ――僕は診察代だけを払って、動物病院を後にした。


 部屋に戻ったとき、まじか、と思った。

 黒のカラーボックスは二段に戻っていた。増えた分はすべて消えていたのである。

 カラーボックスだけではなく、カラーボックス内に収めていた私物もすべて消えていた。本も、コートも、靴も、ノートパソコンも、ゲーム機も、全部。

 壁の真ん中に、二段のカラーボックスがひとつ。

 上段はからっぽ。下段には数冊の本。それ以外は何もない部屋。

 くうろんがリュックから飛び出て、立ち尽くす僕を無視し、トコトコと、カラーボックスに向かう。くうろんはぴょんとジャンプし、からっぽの上段に丸くなって収まった。

 黒いカラーボックスに、黒猫。最初の構図だ。僕はスマホを取り出し、写真を撮った。すぐにメッセージとともにSNSに上げる。

『くうろんと数冊の漫画以外、すべて消えました。今までありがとうございました』


 それを最後に僕はSNSをやめ、普通の大学生に戻った。

 いくら親の仕送りがあるからと言って、猫を飼いながら、失ったものをまた買いそろえるのは大変だった。大学関連のものも全部なくなってしまったのだから。レポート、もう少しで出来上がるところだったのに。とほほ……。

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