横須賀の夏、決意の夏

25:悪友からの電話と自動車免許と

 集中講義が終わって、本格的に夏休みに入ったのは立秋を過ぎてからのことだった。

 親からはいつ帰省するのかと散々LEINが来ていたので、「明日帰る」と返答したのはつい昨日のことだった。

 佳織は今日から泉の実家に戻るらしく、それに合わせて俺も四ヶ月ぶりに故郷である横須賀の地を踏むことになった。

 仙台に来て今日までに佳織と仲良くなり、サークル活動で同じ大学の先輩や同級生と知り合い、他大学の人とも交流が出来た。失恋、嘘告白に童貞喪失と、いやなことづくめだった高校生活が嘘のようだった。三年間同じクラスだったというのもあるけれど、クラスメイトに恵まれなかったというのもあるのかな。

 衣笠駅に降りると、海からの風と共に暑い熱気を肌で感じ取った。

 駅前までたどり着くと、見慣れた車が止まっていた。

 割と立派な車じゃないかと思ったら、そこから降りてきたのは父さんと母さんだった。


「徹、帰ってきたのか」

「お帰り、徹」

「父さん、母さん、久しぶり。元気してた?」

「ああ、父さんたちは元気さ。淳も夏美と仲良くやっているよ」


 四ヶ月振りに顔を合わせる父さんと母さんは全く変わっていなかった。

 それに、引っ越しの日から佳織と一緒に過ごしたおかげで、ここ最近は夏美姉に対する思い煩いをあまりしなくなった。

 元気にやってくれているならば、それで俺は嬉しい。

 父さんが「さあ、乗った」と言われたので俺は車のリアハッチを開けて荷物を載せて、後部座席に乗り込んだ。

 ここの街は俺が引っ越した日のまま何にも変わってはいない。ちょっとだけ変わったのは俺だけだ。

 あの日、俺は何があってもこの街には戻らないつもりでいた。しかし、仙台での生活を始めたその日に俺は剛速球レベルの美女と知り合った。佳織と一緒に学び、一緒にサークル活動をして、一緒に生活をして……。そして、夏休み中のアルバイトも一緒のところとなった。

 そして、アルバイトが始まるのは終戦記念日の翌日からだ。その前に帰省しようと思って、母さんには前日に四日間だけ帰ると伝えてある。


「どうなんだ、仙台は」


 車を走らせながら、父さんが俺に話しかけてきた。


「こっちよりは涼しいけど、ここ最近は真夏日と熱帯夜が続いているよ」

「ここは海がすぐ近くにあるからな。海風のおかげで少しは涼しいけど、それでも毎日この暑さはこたえるよ」

「俺が住んでいるところは海が遠いから、海が恋しいよ」


 仙台に来て残念だと思ったのは、海が近くにないということだ。

 いざ海のある所に行こうとしても車がないと行くことができないし、車がないうえに自動車免許がない俺としては海に足を運ぶことはできない。しかも、大震災で堤防が築かれているからなおさらだ。


「ここは大震災の時も津波が押し寄せたからな。壊滅的な被害じゃなかったから良かったけど、向こうは大変だろ」

「そうだね。大学の先輩が地域関係の授業を取らないと卒業できないってぼやいていたから……」

「確かにねぇ……、地下鉄の東西線の終点がある辺りって津波で浸水したところでしょ?」

「大学の友達もそう話していたよ。その友達は……」


 いざ仙台のことを話していると、いつの間にか自宅に戻ってきた。

 駅から車で十分くらいある住宅地にあるのが、俺の実家だ。

 ここはもともと母さんの実家で、お祖父さんとお祖母さんが大阪万博の前年に建てたものだ。

 祖父さんは落語が好きで、特に寿限無がお気に入りだった。

 祖父さんが亡くなったのは中学校二年生の頃で、死因は心臓発作だった。突然胸元を引っ掻いたように苦しんで、救急車に運ばれたらそのまま息を引き取った。

 一方で、祖母さんはまだまだ健在だ。最近になって、祖母さんはスマホデビューしてこちらにLEIN経由でメッセージを送ってくるようになった。もちろん、スマホを教えているのは何を隠そう銀行勤めをしている兄なわけで……。


「徹、お帰り」


 兄貴はそう話すと、車のリアハッチを開けて俺の荷物を取り出してくれた。


「ただいま兄貴、夏美姉はどうしている?」

「やっと内定が取れたって話していたぞ。聞かなかったのか?」

「いや、さっぱり」


 ここ最近は佳織と綾音さん、そして里果ちゃんとのやり取りばかりで夏美姉まで気が回らなかった。

 あの三人といると楽しいので、つい時間が経つんだよな。


「仙台はどうだ?」

「だいぶ慣れたよ。友達も出来たし、それに……」

「それに?」

「……兄貴には教えないや」

「なんだよ、教えろよ」

「内緒だよ」


 兄貴に教えたら「女性不信のお前が、女に好かれているだと!?」と言われそうだから、今のところは内緒にしておこう。

 長旅で疲れていると思った兄貴が荷物を下ろしてくれると、俺はそれを手にして二階にある自分の部屋に駆け上がった。

 部屋から見る景色は、引っ越したあの日から全く変わっていない。必死になって読んでいたヤンキー漫画はこれを機にもっていこうかな……と本棚を覗き込もうとした瞬間、スマホから呼び出し音が鳴りだした。

 馬鹿な! この電話番号を知っているのは兄貴と両親以外しか知らないはずだ!

 となるとLEINか? しかも、かけてきた主は俺を女性不信に追い込んだあの中尾じゃないか!

 あのバカ! どうして俺にLEIN電話を入れるんだよ!

 ……仕方ない、取ってやるか。ただ、いたずら目的だったら速攻で切ってブロックしてやるからな。


「はい、もしもし!」


 俺は怒り半分、呆れ半分で電話口に出た。


『ああ、鹿島か。久しぶりだな。どうしたんだ』

「どうしたじゃねぇよ。なぜLEIN電話を入れたんだよ」


 中尾は高校一年の秋のウソ告事件で謝罪してから俺の悪友となった。電話に出れば悪口の応酬、クラス会でも悪口の応酬ばかりだが、お互い憎いからやっているわけではない。

 

『まぁ、お前が戻るって思ったからさ。山の日が来たらもうすぐ夏コミだろ? そっち目的で戻ってきたのかなって』

「行かねぇよ。第一、カタログなどがないと入れないだろ。仮に行くとしても、同人誌よりは企業ブース目当てだよ」


 実はあの一件の後で、俺と中尾は悪口を言い合う感じの悪友となった。というのも、中尾は見た目とは相反してアニメやゲームに造詣があった。当時登場したばかりのシューティングゲームに中尾が夢中になると、俺も後を追うように夢中になった。一時期は勉強をおろそかにするところまで行ったが、さすがに課金限度額の壁があると知るやお互い手を出さなくなった。

 その一方で、あいつはちゃっかりと公式twixerで掲載している漫画を揃えていて、しかもメイド隊で愛の重い子が特にお気に入りときたものだ。ここは横須賀だぞ、この街に曳航されているイングランド生まれの偉大なる先輩に敬意を表しろよ。


『俺は行くけど、暑い中だろ? だから企業ブースだけ回って、同人誌は通販か委託販売で間に合わせようか考えているところだよ』

「通販で済ませるならばそれでもいいよ。俺だって暑い中並ぶのは嫌だからな。それに、仙台に来てからはあまり漫画を読まなくなったからな」

『お前が好きな漫画って、今カラー版が出ている奴か? お前無茶苦茶ハマっていたよな』

「そうだな。アニメの見逃し配信がネズミープラスでしか見られないのが痛いよ」


 独占配信となると、新たにビデオ・オン・デマンドのサブスクリプション契約を結ばねばならない。しかも毎月サービスに金を払わないと止められてしまう。地方都市に引っ越した学生にとっては頭の痛い問題だ。


『確かにな。俺は実家暮らしだからまだいいけど、……って、そんなことを話している暇はなかったな。清水って知っているか』

「清水? 俺の童貞を奪ったクソビッチか」

『クソビッチってよく言うなぁ、お前も』


 クソビッチは確かに言いすぎだが、事実その通りだから仕方がない。

 清水しみず奈緒なお。彼女は修学旅行中にクラス中の男子の童貞を奪い、その上大学生と淫蕩に耽っていた。問題発覚を恐れて教師には一切手を出さなかったものの、とある時期を境にぱったりと大人しくなったのだけはよく覚えている。


『実はな、そいつがお前と話がしたいって連絡があってな』

「俺と話って、いったい何なんだよ。第一、あいつは浪人生だろ? しかも夏と来れば合否が決まる大事な時期じゃないか」

『まぁ、お前がそう考えるのも無理はないけど、あいつは今必死になって勉強しているぞ。男のことなんて考える暇などないくらいに真面目に、な。それに、あいつはどうやらお前と同じ大学に行きたがっているらしいぜ。だから、この際あいつとはっきり話したほうがいいんじゃないか』

「え、マジか?」

『マジだぜ。……ってかお前、あいつのことをブロックしていなかったか?』

「ああ、そうだったな」


 アイツはLEINからブロックしていたはずだけど、この際だからブロック解除しておくか。


『じゃあ、何かあったら連絡よこせよ』


 そう言って、中尾は電話を切った。

 俺はため息をついて、久しぶりにベッドの上に寝転がった。

 このベッドの感触も久しぶりだな。

 

「……連絡をよこせよ、か……」


 気乗りはしないが、まずはアイツに連絡をしないと。仙台でのアルバイトが始まる前のつかの間の帰省のうちに、俺はやるべきことをやらないといけない。

 ブロックリストから清水の名を探して、清水のブロックを解除して連絡しようとした途端、母さんから「夕ご飯が出来たから降りてらっしゃい」との声が聞こえてきた。母さんには電話越しで大学生活のことを話しているけど、この際だから車の免許の話などもしておこう。

 俺は「今行くよ」と話すと、携帯を充電器に繋げてから家族が待っているダイニングへと向かった。


 ◇


 久しぶりに家族が揃った夕食の席は賑やかだった。

 兄貴は夏美姉と上手く行っていて、来年には籍を入れたいとのことだった。家族が増えて嬉しい反面、かつての記憶がよみがえりそうでちょっと不安だ。

 その話の流れで母さんに仙台の自動車学校に通うことをと話すと、母さんからは思った通りの答えが返ってきた。


「自動車学校に通うなら、地元に帰って通えばいいじゃない。夏休みを利用して仮免まで取って、学年末の休みを利用して実技をクリアしてから仙台で取っても問題ないわよ」


 実際にどこの自動車学校に通っても、戸籍のある場所で本免学科試験をクリアすれば車の免許を取れるから、母さんの言うことはもっともだ。ただ、既に夏休みの予定は決まっている。


「母さん」

「何?」

「夏休み中はアルバイトをすることになったから、夏休み中から自動車学校に通うのはアウトだよ。十六日からバイトが入ったから、明後日には帰る予定なんだ」

「ふーん、それで、どこでバイトをするの?」

「大学の知人の親がコンビニをやっていて、そこで働くことになったんだ」


 すると、既に二杯目のご飯に手を付けている兄貴が「マジかよ」と驚くような目つきで俺を見つめた。


本当マジだよ。大学の知人から紹介されてね」

「大学の知人って、ひょっとして女か?」

「そのだよ、兄貴」

 

 そう俺が話すと、兄貴は目を丸くして俺のほうを凝視するや否や頭を抱え込んだ。


「どうしたんだよ、兄貴」

「信じられねぇよ、修学旅行から帰ってきて真っ先に『男子校に転校してぇ!』って抜かしていたお前が女の知り合いを作るなんて!」

「そんなこと言っていたか、俺?」

「ああ、この耳でちゃんと聞いていたからな。お袋が『大学ならまだしも、私立高校に転入させたら破産するわよ』云々って文句言ったのを忘れたのか」


 そう、北海道から横須賀に帰る前の夜に清水が俺達の部屋に入ってきて、それからは見るも十八禁、語るも十八禁といったことを平然とやってのけた。清水に全員生気を抜かれたクラスの男子生徒はあの中尾を含めて満身創痍だった。当然、この俺もだ。

 そんな俺が自宅に戻って真っ先に発したセリフが、何を隠そう「男子校に転校してぇ!」だった。

 男子校だったら女子生徒に襲われるなんてことはなかったのに、どうして共学の高校を選んだのだろうか、と。

 しかし、その当時の我が家は兄貴が大学に通って三年目ということもあって、俺を大学に通わせようか迷っていた時期だった。そんな時に俺が男子校――しかも私立高校――に転校たら、俺を大学に通わせるどころではなくなる。

 母さんの説得で俺は公立高校に通い続けることとなったものの、俺はこの一件で女子に対してさらに冷たく当たるようになり、何度も先生から注意されたっけ……。


「そうだったな、忘れていたよ」

「おいおい……。そんなお前が女にたなびいたって、一体どういうことだよ?」


 俺は照れながらそう話すと、兄貴は訝しげに問い詰めてきた。

 引っ越し初日に俺と同じ立場の女性と知り合って意気投合した……、のは確かだけど。


「類は友を呼ぶ、とでも言うのかな。その人は俺と同じだったよ」

「マジかよ……」


 兄貴は呆れかえって俺をまじまじと見つめていた。

 すると母さんも俺の事情をくみ取って、「それじゃあ、夏休みは予定があるってこと?」と俺に聞いてきた。


「そういうこと。黙っていてごめん、母さん」

「別にいいよ、徹がしっかりやっているなら。その代わり、学年末の休みは戻ってくるの?」

「もちろんさ。ここら辺の自動車学校って、大学生協を申し込めるのか気になるけど」

「徹、いくら大学生協といっても地方が違うとここの自動車学校はだめだぞ」

「そうか……、やっぱり地方が違うとだめか。母さん、まだ学年末の休みの予定は未定で」


 そう話すと、母さんは「仕方ないわね」と苦笑しながらオードブルを突っついていた。

 自動車免許は向こうで取ることにして、学校選びは先に免許を取った佳織に相談するのも悪くなさそうだ。


<あとがき>

 いよいよ横須賀編です。ここまで長かった……。

 本当は他のサイトに合わせてもう少し後に公開予定でしたが、こちらで先行公開する以上はと思って急遽先行公開とさせていただきました。

 気になる方はお気に入りや☆、♡や応援コメントをよろしくお願いいたします。

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