昔のクリス
翌日。
量の減った朝食を食べ終えると、マゼロン侯爵はまた馬車で宮殿へ向かった。
馬車に乗る護衛の人数がまた増えている。……アンの言う通り、街の治安は革命によって良くなるどころか、悪い方向へ向かっているのだ。
「……御主人様。我々も、何かできることはないのでしょうか?」
馬車を見送った後、アンがかつて無いほど真面目な顔でそう漏らす。
「しかし……正直今回、話し合い以上の解決策は無い。その話し合いがうまくいかん以上……」
「でもこのままじゃ、まずいよなあ……」
兄のつぶやきが風に乗って消えていく。
「……革命はまだ始まってすらいない……」
「? アン、何か言った?」
クリスが言っていたのと、似たような言葉が聞こえたような。
――さて、やることがない。
一ヶ月近くも屋敷にいると、大きな屋敷とはいえ、さすがにある程度見て回ってしまった。
本当は成人の儀を終えたらすぐにファイエール子爵領へ向けて帰る予定だった。王都滞在予定は5日間。だからその分の準備しかしていない。
……こんなことになるのだったら、暇つぶし用の道具とか用意すべきだったのか。
侯爵家にある資料を適当にかいつまんで読んでみるが、ほとんどが農業関連。さすが農業地帯を領地に持つだけある……が、面白くはない。
わたしは結局、二階から外を眺めるしかなくなる。
「……あっ……違うか」
「アリア様? どうしたのです?」
不意に聞こえた声に振り返ると、アンが屋敷内を掃除しているところだった。
「いや、その……クリスが見えたような気がして」
「なるほど……彼を気に入ったのですね」
……へ?
「別にそういうわけじゃないわよ。ただ……彼は一応、命の恩人だし」
きっとこれは、吊り橋効果ってやつだ。
命の危機が、わたしを変な気持ちにさせてるだけ。
あれが無ければ、クリスはただの、通りがかりのめちゃくちゃイケメン……
……イケメンなんだよなあ。
「彼は……あんなのですが、いい人ですよ」
「そういえばアン、昔のクリスってどんな感じだったの?」
結局聞けてなかったな、と思い出して、わたしは尋ねてみる。
「……基本的には、今と変わりありませんよ。ぶっきらぼうだけど、悪い人ではない。……孤児院育ちなんて、みんなそうかもしれないですが」
「アンは?」
「私ですか? ……使用人をできるぐらいには、分別はあると思っています」
その自信はなんだ?
「でもそれは彼も同じですよ。彼、あれで器用ですから。料理なんかもできますし。腕っぷしは昔から強かったですけどね」
「だから隠密として雇われたってことなのかな。あと、盗みなんかは昔からしてたって言ってたし……」
「盗みも、所構わずやってたわけじゃないです。孤児院の院長に嫌がらせをして食料を売らなかった店とか、孤児院をお荷物扱いしてた貴族と裏で繋がってた商店とか……普通のお店からは、彼はきちんと買い物をしていました。それに盗んだものを独り占めしたことは無く、必ず孤児院の皆と分けていました。それも、年下から優先的に」
……なんだか、容易に想像できた。
きっとわたしを救出したときと同じように、手を差し伸べたのだろう。
ときに大人と対立しながら。
「当時の子どもたちの中では、彼と私だけが少し年が上でしたから、まるで実の兄のように慕われていました。盗みに失敗して傷だらけになって帰ってきても、生活に必要なことは必ず欠かさずにやろうとするんです。『俺がやらなかったら、力仕事できるやつがいなくなるだろ』とか言って……」
「……イケメンだ……」
見た目だけでなく、その中身まで。
「やっぱり、モテたの?」
「どうでしょうね。院長も男性でしたし、年の近い女子は私ぐらいでしたが……。そうですね、もし違う環境にいたら、もっと多くの人間から慕われていたでしょう。それこそ、名のある貴族の家にでも生まれていたら……」
遠い目になるアン。
でもこの世界は、いやどの世界でも、出生は人の運命をあまりにも大きく左右する。
だけど。
「でもクリスがその孤児院で育ったから、アンと会えたし、色々あって今は隠密としてちゃんと自分の仕事を出来ているのだから、悪いことばかりでも無かったんじゃないかな」
「確かに、もしかしたらアリア様を助けに来なかったかもしれないですし」
そう考えると、運命に感謝したくなるような、ならないような。
「……彼のような人には、もっとちゃんとした評価が与えられるべきです」
「わたしもそう思うわ。……そういう意味では、革命が上手く行ってほしい」
身分制度は、人の能力評価と明らかに相性が悪い。
忖度なく、実力のある人間が上に上がっていってほしい……前世でいろんなものを見てきた中で、わたしが感じたことの一つだ。
「それで結局、アリア様はどの程度クリスを気に入っているのですか?」
「……別に頑張ってほしいなとは思うけど、そういうことでは……」
そもそも次会えるかもわからない相手に変に期待を抱くなんて、非効率だ。
フィクションの世界じゃないんだから、そうそう面白い出会いが何度もあるわけない。
……ああ、でもそんなこと言ったら異世界転生自体がすでにかなり現実離れしているけど……
「アンはどうなの? 久しぶりに会えて嬉しくないの?」
「そうですね、私は……」
「パ、ン!」
「パ、ン!」
……わたしとアンの話を遮るように大合唱が外から聞こえてきたのは、その時だった。
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