世界創造に関する脳内会議と自問自答および結論について

前回の投稿より情報を遮断し――

じっくりと改めて、私自身の創作活動について振り返ってみました。


自身のノートと文章を何度も読み返し、ミストリアンクエストの新エピソードに取り掛かる。それを幾度も繰り返した結果、「やはり今後もダッシュは使う」という結論に辿り着きました。


今回の項では、そこへ行き着いた経緯を記載させていただこうと思います。



ミストリアンクエストの新規エピソードに取り掛かる際、まずは以前と同様に、ダッシュを大量に使った状態で執筆を行ないました。

すると何の問題もなく、頭から溢れ出るかの如く文章が出力されてゆきました。

それはもう、スラスラと。


そこで次に、不要と思われる箇所のダッシュを削る作業へと移りました。

書いた直後の脳では推敲に向きませんので、一度時間を置いた上で行ないます。


なんとなくダッシュが渋滞している部分、句読点でも問題ない部分を中心に削り始めたのですが――もう、その段階で文章がグチャグチャになってしまったんですよね。


もう元の原型すらもなくなってしまい、作業中の下書きを破棄し、外部のバックアップから修正前のものへと復元いたしました。



ダッシュを単純に「、」や「。」に置き換えれば良いというものではありません。

削った部分の文章そのものを、改めて書き直す必要があります。

そうしなければ、元の文章が持っていた質感を再現できなかったのです。


その段階で、私は単に句読点代わりにダッシュを使用しているわけではない――と、そう再認識しました。


これが故に「文章力が足りない」という可能性もあったのですが、そうも単純な理由ではないのですよね。

これは何かの描写をサボっているわけでも、心情を言語化できていないわけでもありません。表現するならば「この部分に無いと困る」といったところでしょうか。


つまりは文章の一部。身につけた〝装飾品〟ではなく〝肉体〟そのもの。

そんな感じだったんですよね。


〝文章・小説〟といった観点から判断し、もしも不要な部分を削るのならば、すべてのダッシュが不要なのでしょう。


たとえば、私が心から尊敬する先生の作品では、ダッシュどころか感嘆符や疑問符すら一切使用せず、戦場の臨場感や人物の表情、緊迫感を鮮明なほどに表現されておられます。


疑問符が無くとも訊ねているのがわかる。

感嘆符が無くとも驚愕の様子がわかる。

ダッシュが無くとも緊迫感や疾走感が伝わってくる。

それを見事な文章力によって、完璧に証明しておられるのです。



――ですが、私の作品が目指すべき目標は〝そこ〟ではない。

たとえ先生の真似をしたところで、私に同じような名作を書くことはできない。


私は私のスタイルで、自分だけの作品を書かなければならない。

私は そうすべきであり、そして そうしたいのだと。

それが〝遺作〟であるのならば、尚のこと。


必要な部分のダッシュを残すのならば、削る部分はありません。

なぜならば――私は最初から、必要な部分にしか使用していないからです。

この部分に存在しなければ私の作品として完成しない。


それでも改めて精査すると、「ここはいらないかな」と感じた箇所もありましたので、そうした部分のダッシュは削除するつもりです。

不思議と そうした箇所のダッシュは、句読点に置き換えても文章を見直す必要がないんですよね。それが〝不要な部分〟であるかどうかの判断材料なのでしょう。



先のページでも述べましたが、これらの悩みは「他人から言われたから」といったものではありません。私が「確かにその通りだな」と納得し、適用しようと努力し、試行錯誤を重ねた結果の結論です。


私の力不足ゆえに投稿が滞ったことで、その遅延の理由を説明させていただいたにすぎません。



私はミストリアンクエストを投稿するにあたり、辛口酷評動画を視聴し、批評に目を通し、文法に関する動画や文章の作法を解説しておられるサイトを訪れては勉強を重ねておりました。10年間にわたって設定を練りこんだ〝遺作〟を投稿するにあたり、絶対に失敗したくなかったからです。


つまりは、この段階が私のスタートラインなんですよね。


「何度も改稿された小説は文字の墓場だ」と仰られていた方もおられるのですが、〝遺作〟を執筆している身としては、極めて正しい評価だと感じましたね。


私には墓を作ってくれる身内は居ませんし、自分の墓は可能な限り自分で整備しておく必要がありますからね。私が亡きあと、遺作の世話をしてくれる人は居ません。私が生存している間に、私自身がやっておく必要があります。


書籍化はされずとも、電子データや印刷などを駆使し、何かしらの方法でこの世界へ遺します。どこかの政治家が必死に〝紙〟を無くそうとしていますが、紙は数千年の時を越えて情報を伝えた実績のある、素晴らしい記憶媒体なのです。



話をダッシュに戻しますと――

当然ながら〝ダッシュに関する情報〟も事前に集めました。


〝この記号の明確な用途は定められていない。小説などの文書においては原則として、二つ繋げて使用される〟


こうした記述がされておりましたので「じゃあ好きなように使おう」と、最初期から私の執筆スタイルに組み込んでおりました。

ですので、批評等において ここまでダッシュの細かい用途について指摘がされているなどとは、思いもしなかったんですよね。



もちろん、執筆後にスタイルを大きく変更をした部分もあります。

いくら事前に調査しても、実際に飛びこんでみると見える景色がまるで違ってきますからね。


まずは文字数の壁にぶち当たりました。

私は当初、完全に紙の書籍の感覚で執筆しておりましたので、1エピソードが1万文字の12話構成といったものになっておりました。

当然ながら、そんなものが読まれるわけもなく、投稿後に慌てて分割いたしました。これが〝第1次改稿〟です。



次に、web小説のスタイルへの適合です。

一冊の本とは違い、第1話がつまらなければそこで終了です。

最初はスロースタートだけど読んでいく内に面白くなる――は、通じません。

「終わり良ければすべて良し、は通じない」

そう仰られている方も居られました。まさにその通りの世界です。


当初のミストリアンクエストは第1話が神話風のポエムでして――

なんと言いますか、駄目でした。


これも修正し、スクリプトドクターの方の動画を参考に勉強をさせていただき、世界観の説明よりも まずは主人公の日常を描くことにいたしました。

これに関しては〝創作苦労話:敬語の使えない主人公〟の項にも繋がっておりますね。これも、第1次改稿の際に修正いたしました。



次に直面した課題は、過剰な情景描写に起因する冗長さでした。

ミストリアンクエストはどちらかというと、世界観そのものが主人公といった作品でして、街の様子や いわゆる〝モブ〟などの人物を詳細に描写しておりました。

結果的にそれが冗長さに繋がり、退屈な物語になってしまったのではないかと考えました。


さらにこの当時、ある方の近況ノートにおいて「キャラの動作の説明とかどうでもいい。そんなもの書くくらいなら、同じ文字数で面白い台詞を増やせよ」といった意見が、かなり強めの言葉で書かれておりまして――。


それと同時期に、書籍化をされておられる先生も「情景描写なんて読者に委ねるべき。最も力を入れるべきなのはキャラクター。特にヒロイン」といった内容のツイートをされておられたんですよね。


この頃、ミストリアンクエストの評価が伸び悩んでいたこともあり――私は頭を金鎚で殴られたかのような思いで、地の文を削ってキャラクタの台詞を増やす改稿に取り掛かりました。

作品はすでに第2章の中盤へ差し掛かっておりましたが、ここで新規投稿と平行して〝第2次改稿〟へ取り掛かりました。


台詞で説明できる動作は台詞で処理し、地の文を極力減らす。

これが前項で述べました「はい、ありがとうございます!――よし、行こうぜ!」といった書き方に繋がっております。

現在では〝第3次改稿〟と同時に削った情景描写と地の文を増やしておりますので、その名残ですね。



はい。次は現在作業中であります、第3次改稿のはじまりです。

これは主に〝空白行の追加〟になります。


私はスマホを持っていないこともあり、web小説の横書きにおいても空白行のない、びっしりとした文章の方が読みやすく感じるんですよね。

ただ、以前スマホを所持していた際に読んでいたニュース等においても空白行はありませんでしたので、おそらくそうした形式の方が読みやすい性質なのでしょうね。


カクヨムにおいても空白行に関しての意見は「好みで二分されている」と感じておりましたので、第3章の中盤に至るまで ずっと空白行を入れておりませんでした。


その空白行を入れることになった改稿が、〝第3次改稿〟ですね。

そこに至った経緯については近況ノートにございます。

また、いずれこちらにも纏めるつもりです。


この空白行においてもかなりの難航をしている状態なのですが、「読みやすくなった」とお褒めくださる方もおられたり、先に挙げさせていただきました尊敬する先生からのレビューを頂戴したこともあり、確かな手ごたえを感じております。


当初こそ空白を入れた執筆方法に慣れておりませんでしたが、現在ではそれなりに自分のスタイルへ落とし込めたかと感じております。


今後新作を書く際にも空白行を入れますし、空白について悩んでおられる作家さんがおられましたら、「web連載ならば空白行は入れた方が良い」と強くオススメいたします。


――もしも書籍化されるようなことがあれば、その時に書き直せば良いですからね。どの道、ぶつ切りの投稿エピソードを繋げても読みづらいだけですので、一冊の本にする際にはwebの時と同様、最適化が必要でしょう。



この第3次改稿を行なっている際に、件の〝ダッシュ使いすぎ問題〟が浮上してきたというわけです。


ダッシュの使いすぎを指摘されている作品を見かけたことがある――

もしかすると、私の作品にも当てはまっているのではないか?


そうした疑問を抱えながら執筆を続けていた時、まさに問題点として指摘を受けてしまったというわけですね。

ですので、元々私自身が問題点として認識し、不安を感じていた部分なのです。


そして それに対する解答も、すでに私の中で確立しました。

「このスタイルは変えない」です。

よってミストリアンクエストと、その関連作に関しては、これまで通りの作風を貫きます。



件の批評企画においても、「変わった書き方をされている作家さんです」と最初にご紹介されている方もおられましたからね。私も、ダッシュを効果的に使う作家として紹介していただけるような、そんなポジションを目指したいと思います。


ああ、やはり〝効果的〟は、無理ですね。

使いまくりますから。


もちろん、意地になっているわけではありませんので、作品によっては臨機応変に対応いたします。無理して使うわけでも、無理して使わないわけでもありません。

私が必要だと思うので使う。それだけです。


そうしたわけでして――

今後は改めて、通常のカクヨム活動に戻らせていただきたいと思います。


表のノートで先に宣言しておりましたとおり、一切のインプットを遮断し、脳内会議においての結果のみを記しておりますが――もし、何らかの反応をいただいている場合は、この文書の投稿後に返答をさせていただきますことをご了承願います。


先の悩みは すでに解決しておりますが、今後どなたかの助けになればと、残しておくことにいたします。慰めや励ましの言葉よりも、悩んでいる者の姿を見ることで解決へと導かれるケースもありますからね。そうなることができれば本望です。


誠に身勝手でありますが、どうかご容赦いただけますと幸いです。

もちろん、ご不満をぶつけていただいても構いません。



今回は特に、最長の文字数となってしまいました。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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