4・セレスティーヌとロランの恋人


 今、セレスティーヌとロランは執務室の隅と隅にいる。

 ソファを動かして檻のようにロランを囲い、対角線上に極限まで距離を取った。ロランはセレスティーヌのほうを見ないようにして床に座り込み、荒い息をしている。

 セレスティーヌはロランのほうをちらりと見て、慌てて目を逸らした。


(色気がやばすぎる)


 超絶美形が肉欲に苦しむ姿など、同性の目で見てもぞくぞくしてしまう。目の毒だ。そばに寄ったら薬を飲んでないこっちまで理性を破壊されそうだ。


(媚薬って。盛ったの味方だよな……)


 セレスティーヌもロランも結婚を渋ったから、既成事実を無理矢理つくって結婚に追い込むつもりか。えげつなくて頭が痛い。

 セレスティーヌの分まで媚薬をあおってしまったロランが今どういう状態なのか、考えると気の毒で仕方がない。自分だってあちらの世界では男なのだ。彼の苦しみがよくわかる。


「ロラン様、一発抜いていいですよ。そうすれば少しはすっきり――」

「なんてことを言うのですかあなたは!」

「見ませんし、耳塞いでますから」

「お願いですから声を出さないでください」

「……」


 どうやらセレスティーヌの声がかわいくて興奮が増すらしい。自分でも声かわいいなと、セレスティーヌになる度に思っていた。


(でも俺はルクレツィア姫の落ち着いた声のほうが好きだけど)


 ルクレツィアとの熱愛生活を目前にして、ジルベルトはなぜ女の身になって、欲情している男と同じ部屋に閉じ込められねばならないのか。一体なんなのだこの状況は。


(バカバカしい。抜け出そう)


「ロラン様、わたし――」

「しゃべらないでください」


 窓から部屋を出ますと言おうと思っただけなのに、そんなに余裕がないのか。そこまで切羽詰まっているなら、いつタガが外れて襲ってくるかわからない。腕の立つロランに本気を出されたら、この体格差ではヤられてしまう。冗談ではない。

 セレスティーヌは無言で窓のカーテンを外し、執務机からペーパーナイフを失敬して切れ目を入れると、何本かに引き裂いた。結び合わせてロープを作り、バルコネットの手すりに結び付けて外に垂らす。引っ張って強度を確かめていると、ロランがかすれた声で「ここは四階です……」と言った。声を出すなと言われているので、問題ないと答える代わりに力強く頷いてみせる。そしてロランに引き止める間を与えずに、ひらりと窓枠を乗り越えた。


「とうっ!」


 愛らしい掛け声とともに、セレスティーヌはカーテンロープを手放し無事地面に着地した。筋肉が乏しいなりにこっそり鍛えていたし、体重が軽いので四階程度ならどうってことなかった。勇者を舐めないでほしい。

 見上げると、ロランが窓から顔を出してこちらを見ていた。


(いちおう心配してくれたのかな?)


 そっけないように見えてけっこう可愛げがあるやつだと思い、手を振ってやる。ロランは赤い顔をさらに赤くして、ぴゅっと部屋に引っ込んだ。

 セレスティーヌが部屋から消えたから、これで遠慮なく肉欲の自己処理ができるだろうか? ロランのことだから一人になっても耐えてしまいそうだが。


(媚薬ねえ。媚薬。ヤらないと出られない部屋ってか? ふざけんなよまったく)


 冷静なロランがああまでなる強力な媚薬だ。こっちまで飲んでいたら、今ごろムラムラに耐え切れず彼に身を投げ出していたかもしれない。そんなことになったらルクレツィア姫に申し訳が立たないではないか。自分の「はじめて」は、ルクレツィア姫のものなのだ。ロランだって恋人に合わせる顔がなくなるだろう。


 一途に恋する者たちの貞節を蹂躙するその所業。俺は許さん――。


 ジルベルト兼セレスティーヌは冬枯れの庭を歩きながら、木刀の代わりになりそうなものを探した。ふと見ると、壁に庭帚が立てかけられている。


(バルテス公爵かほかの前王派貴族か知らないけど。媚薬盛ったやつに二度と卑劣な真似をするなと言ってやらねば)


 セレスティーヌは庭帚を手にとった。素振りでズバッと空を切り、この体で戦えることを確かめた。




「セレスティーヌ様、そちらはその……お庭の箒では?」


 枯葉のついた庭箒を手にして廊下をずんずん歩むセレスティーヌを見て、メイドの一人がうろたえる。執務室にお茶を持ってきたメイドとは違うが、このメイドもグルの可能性がある。告げ口されて陰謀の主が警戒する前に、さっさと決着をつけてやらねば。


(警戒されたくらいで俺は止まらないけどな!)


「バルテス公爵は今どちらにいらっしゃるの?」


 煮え滾った心の内とまるで合わないかわいい声が出る。セレスティーヌの愛らしい声は、自分でもいちいち拍子抜けする。


「応接間で皆様と会議中です」

「応接間ってどこかしら」

「西棟の二階です」


 このメイドはグルではないらしく、あっさり答えてくれた。セレスティーヌのかわいい声と害のなさそうな容姿のおかげで、警戒心を持たれないのは都合がいい。


「ありがと」


 セレスティーヌはにっこり笑った。メイドは箒を気にしつつも、黙ってぺこりと頭を下げた。メイドが立ち去るのを見届け、応接間に向かって猛然と走り出す。

 階段を駆け上がると廊下には見張りの騎士が二人いた。見張りがセレスティーヌに気付くか気付かないかの間合いで次々と胴に箒の柄を叩き込む。見張りがあっさり床に沈むのを視界の端にとらえながら、セレスティーヌは応接間のドアを蹴り上げた。


「媚薬盛ったやつは誰だ! 出てこい!」


 やがて応接間のドアが細く開く。セレスティーヌはすかさず箒の柄を差し入れ、ドアを閉じさせないようにした。


「これから王権取り戻そうってメンツにしちゃあ、警戒心がなさすぎだな」


 どんなに凄んでも声がかわいいのはご愛敬……かもしれない。




 会議中の応接間に押し入り、「媚薬盛ったのはこの中のどいつだ!」と箒の柄を床に叩きつけながら前王派メンバーを睨みつけると、元伯爵が「申し訳ありません……」と膝をついてくずおれた。

 なんでも元伯爵は、隣国に売られた国土が故郷であるらしく、一刻も早くカミーユの支援を取り付けて、故郷を売った憎き新王を倒したかったとかなんとか。

 さめざめと泣くし、バルテス公爵が前王派を代表して罰してくれるようだし、元伯爵に二度とやらないことを誓わせて、セレスティーヌは呆気にとられるメンバーを尻目に応接間を去った。




「姫様、おそろしいお話を聞きました。姫様が会議に押し入り、剣でメイヤー伯爵をどやしつけたとか……」


 部屋に戻ったセレスティーヌが考え事をしていると、マーサがやってきて震え声で言った。


「剣? 庭帚よ」

「どちらでも変わりません! なぜそんな乱暴な真似を」

「聞いてないの? 媚薬を仕込まれたのよ。ロラン様にわたしを襲わせようとメイヤー伯爵が仕込んだの。媚薬仕込んで部屋に閉じこめて人を寄せ付けないようにしたの」

「まあなんてこと!」

「もういいわ。結婚するわ。わたしたちが結婚するのが、この国にとって一番都合が良いのでしょう?」

「セレスティーヌ姫様……」

「散歩してくる。付き添いはいらないわ」


 セレスティーヌはショールをひっつかんで部屋を出た。

 隠れ家の屋敷の殺風景な庭は、夕暮れの弱々しい光に包まれていた。

 冬のさみしい並木道をとぼとぼ歩きながら、つらつら考える。


(みんな、俺たちがさっさとおとなしく結婚してくれたらいいのにって思ってるんだな……)


 前王派の元貴族たちは、あの超絶美男子のロランが迎えにきたら、どんな娘だってぽーっとなって結婚したがると思ったに違いない。とんだ計算違いだったわけだ。


(ロランも悩んだだろうなあ……。ロランも、ロランの恋人も)


 セレスティーヌは見知らぬロランの恋人を想像した。きっと彼にお似合いのすごい美女だろう。

 国のために恋人どうしが引き裂かれるなんてよくある話とはいえ、もし引き裂かれるのが自分とルクレツィアだったらと考えると、ロランに味方せずにはいられない。


(白い結婚かあ……)


 本当は、ロランと恋人を堂々と結婚させてやりたいけれど。落としどころとしては、白い結婚が最上の手段なのだろう。

 そろそろ日も落ちそうだし、部屋へ戻ろうときびすを返すと、屋敷のほうからこちらに歩いてくる人影があった。


「ロラン様……」


 ロランは少し恥じらうような顔をして、セレスティーヌに向かって歩を進めた。


「とんだ醜態をお見せしました、セレスティーヌ様。薬が抜けましたので、謝罪に。申し訳ありませんでした」


 夕日の残光の中で見るロランは、いつもの落ち着いた様子だった。


「ロラン様は何も悪くないですよ」

「いえ。私が油断しておりました。幽閉先にあなたを迎えに行ったときも、新王の手先に先を越されて。あなたでなければ殺されていたかもしれません。今回も、あなたが対処してくださらなければ、私は己を見失っていたかもしれません」

「ロラン様でしたら何とかできましたよ、きっと」

「いえ。私だけでは……。少し話しませんか。あなたにお伝えしたいことがあります」




(ここがロランの部屋かあ)


 話があるからと招かれたロランの私室には、歴史や政治思想史、軍事などの本が所狭しと並んでいた。腕が立つ上に勉強家なんだなと感心した。オズヴァルドも似たようなものだし、支配階級も大変だと思ったが、セレスティーヌだってこれからは他人事ではない。


「そのような本にご興味がおありですか?」


 セレスティーヌが本棚を眺めていると、トレーを手にしたロランが厨房から戻ってきた。


「はい。幽閉先にはこういう書物がなかったので。……おいしそう!」


 トレーに山盛りになったサンドウィッチを見て、セレスティーヌが目を輝かせる。ロランの部屋で一緒に食事をしながら語り合おうということになったのだ。


「マーサが張り切って盛り付けてくれました」

「たくさん食べて肉をつけろって毎日言うんですよ。ガリガリでしたからね。でもここへ来て、少しはふっくらしましたでしょ」

「見違えましたよ」

「あとはもっと筋肉をつけなきゃ」

「筋肉……ですか?」

「国を立て直すんですよ。心も体も強くならなくちゃ」


 セレスティーヌがばくばくとサンドウィッチを頬張っていると、ロランがその様子をじっと見つめてきた。


「なんですか」

「いえ……。召しあがる様子がかわいらしくて、つい」

「そういうことは恋人に言って差し上げてください。いらっしゃるんでしょ?」

「はい。白い結婚をしていただく上で、あなたには全て包み隠さず話したくなりました。通常の夫婦生活は営めなくとも、あなたとならトゥールイユ国を立て直す同志になれると、まことに勝手ながら感じております」

「わたひも! わたひもロラン様となら、そう思いまひゅ!」


 口いっぱいほおばりながらそう答えると、ロランがぷっと吹きだした。膝を付き合わせて話せば見た目ほどスカした男ではない。あの実戦的な剣の腕前から察するに、彼も十歳で国を追われてから地獄を見てきたはずだ。いい同志になれそうだ。


「そう言っていただけると心強いです」

「でもいいんですか。いくら白い結婚でも、恋人さん妬いちゃいませんか。本当はわたし、ロラン様と恋人さん、きちんと結婚させてあげたいんですけど」

「あなたとのことがなくとも、結婚はできませんから」

「どうして?」


 ロランは襟元に手を入れると、服の中から細い鎖を引っ張り出した。ペンダントだ。似たようなものを見たことがある。ルクレツィア姫がいつもつけていた、小さな肖像画が入るロケットペンダント。


「恋人さんですか?」

「ええ」

「わたしが見ていいんですか?」

「はい。見ていただきたいのです」


 ロランは立ち上がり、テーブルを回ってセレスティーヌのすぐ横に来た。ペンダントトップの蓋を開け、セレスティーヌのほうへ差し向ける。


 セレスティーヌはその絵姿を覗き込み――――息が止まりそうになった。


「驚かれたでしょう。女性ではないから」

「……」

「でも、結婚できない理由は、恋人が男性だからというだけではないのです。荒唐無稽な話になりますが、セレスティーヌ様には全てを知っていただきたくて……」

「……」

「もしもし? セレスティーヌ様?」

「……」

「そんなに驚かれましたか」



「ルクレツィア姫」



 セレスティーヌが発した名に、今度はロランが息を止めた。



「俺です。ジルベルトです」



 ロランのペンダントの中にあったのは、もうひとつの世界で見たものと同じ、赤毛の青年――ルクレツィアの手による、ジルベルトの肖像画だったのだ。


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