3・白い結婚と媚薬


 そのまさかだった。笑うしかない。まったく笑えないが。

 たどり着いた前王派の隠れ家で、ロランの父親であるバルテス元公爵はこう言った。


「セレスティーヌ様。トゥールイユ国の未来のために、どうか息子と結婚してください」


(ああ、ルクレツィア姫! 俺貞操の危機だよ!)


 寒村から前王派の隠れ里への旅の途中、通った村や町は荒れていた。セレスティーヌの目についたのは、耕されぬまま放置された田畑や、通う者もなく廃墟と化した聖堂、埋められず腐敗するにまかせた家畜の死骸など。思わず「魔物が出たのですか!?」と訊いたら呆れられた。こちらの世界には魔物も魔族もいないのだった。

 魔物も魔族もいない代わりに、人間どうしの争いが絶えない。

 クーデターを起こした新王の治世はろくでもないらしく、無計画な増税に次ぐ増税は民の暮らしを困窮させた。結果、盗賊が跋扈し治安が悪化し人心は荒廃し――お決まりの傾国ルートだ。ついに隣国に国土の一部を売り渡すに至ったとき、国外追放された前王派の貴族たちが集結し、立ち上がった。


 まあそりゃ立ち上がるだろう。わかる。

 立ち上がった前王派の中心人物はバルテス元公爵。公爵を支援するのは、大国に嫁いでいた第一王女カミーユだ。カミーユは前王の第一子でセレスティーヌの年の離れた姉であり、腹違いではあるものの生き残った唯一の肉親だ。大国をバックにしたカミーユは、バルテス公爵を支援するにあたり、一つの条件を出した。

「トゥールイユの王位を狙うなら、血筋に前王家の血を入れなさい」と。

 つまり前王家の血を引く者――セレスティーヌと結婚しろということだ。


 バルテス公爵は誠実な男である。長年連れ添った妻と離縁して若い王女を娶るつもりはなかった。公爵自身は娶らないが、独身の跡取り息子がセレスティーヌを娶ることを条件に、カミーユの支援を取りつけたようだ。前王派一同、それで問題はないと思ったようだが――。


(問題? 大ありだ。俺はルクレツィア姫を愛してる!)


 愛する女性との婚約が目前なのに、なぜよく知りもしない男と結婚しなければならないのだ。別の体であっても魂はひとつ。簡単に飲み込める話ではない。


「お断りいたします」


 ロランと結婚しろと言われたセレスティーヌの返事は、これしかなかった。




「姫様、ロラン様のどこがご不満なのです? 絵物語から抜け出たような麗しい貴公子じゃございませんか。ロラン様のことは息子も絶賛しておりますよ。剣の腕は抜群で、ご性格も十八とは思えないほど落ち着いていらっしゃるそうで」

「十八? ロラン様って十八歳なの? 二十五歳くらいだと思ってた。まさかの同い年!」


 住民が絶えた寒村の、前王派の隠れ家になっている古い屋敷に、セレスティーヌは部屋をもらっていた。結婚話を断ったことを聞きつけたマーサが、部屋に戻ったとたん非難の口ぶりで責めてきた。


「前王派の方々も後継ぎがロラン様ならと、バルテス家に期待しておいでだそうですよ」

「立派な方なのはわかるわよ。腕も立つし。でも、それとこれとは話が別なの。わたしにも都合ってものが」

「姫様にどんなご都合が?」

「……えーっと」


 困った。ジルベルトとしては不都合があっても、セレスティーヌには何もない。つつましやかな日常しかなかった自分に、なんの都合があるというのか。


「えっと、あまりにも素敵な方だから、わたしじゃ不釣り合いでしょ。気が引けちゃって」


 なんとかひねり出した理由をへらへら笑いながら口にすると、マーサが不憫そうな表情で押し黙った。


「どうして黙るの?」

「……姫様は、磨かれていない原石なのです! たくさん召しあがってお肉をつけて、お肌と髪を手入れなさってマナーと教養をおつけになれば、必ずや輝く宝石になられます!」


 それって今は魅力ないってことじゃないかと思ったが、励ましてくれたマーサに悪いので黙っておく。


「お夕食をもらってきます。たくさんもらってきます。姫様はたんと召しあがって、ロラン様とのご結婚のこと、前向きに考えてくださいましね」


 マーサはあたふたと廊下へ消えた。


(マーサですらあの調子なら、関係者全員がロランにセレスティーヌは釣り合わないと思ってそうだなあ)


 幽閉されていた廃屋にはろくな鏡がなかったから、セレスティーヌは自分の容貌をまじまじと観察したことがない。意識は男だし魔王討伐で頭がいっぱいだったし、セレスティーヌの見た目になんか興味もなかった。いざというときのために筋力をつけたいとは思っていて、マーサに隠れて筋トレはしていたが、食べるべき量を食べられなかったから筋肉だってつかなかった。

 そう、セレスティーヌは前王家の血筋以外、価値あるものなど何ひとつ持っていないのだ。




 体力をつけ容姿を磨き、王族として恥ずかしくないマナーと教養を身につける。

 前王派の隠れ家でセレスティーヌに課されたことである。ここへ来て二ヶ月、今日も教師が呼ばれている。


「セレスティーヌ様は吸収が早うございますねえ」

「そうかしら。きっと知識に飢えていたのね。学ぶって楽しいわ」


 セレスティーヌはうふふと淑やかに笑ってみせたが、内心「学ぶって楽しいわ」どころではなかった。話に聞けば聞くほどトゥールイユ国がまずいことになっている。王権をとった新王は、上手くいかない治世にヤケクソになっているとしか思えないろくでもない勅命を乱発している。国民は反発し、新王派貴族の離反も相次いでいる。そうなると旧王家に王権を戻す動きが出てくるのは当然のなりゆきなわけで……。


(ロランとの結婚を断ったら断ったで、女王に推されるかもしれないなあ、俺……)


 強大な味方である姉カミーユが、新王に替わる王家にはセレスティーヌを入れろと言ってきているのだ。結婚が嫌なら、セレスティーヌ本人が玉座に座らされるかもしれない。


(俺が結婚するのはルクレツィア姫だけ!)


 こちらで独身を貫くためには、女王になるしかないのだろうか。世継ぎはカミーユの孫でも養子にもらい、バルテス家にはあきらめてもらって……。


(おとなしくあきらめてくれるわけないよなあ)


 勉強を終え、悩ましい気持ちで学習室を出る。廊下にメイドが待ち構えていて、こう告げられた。


「ロラン様が執務室でお待ちです」




 隠れ家の屋敷は古いが大層広かった。没落した地方貴族の領主館だったのだろう。バルテス元公爵一家もここに住んでいるが、息子と顔を合わせることは滅多になかった。たまに姿を見かけることがあっても、ロランはセレスティーヌを見ようともしなかった。結婚なんて周りが望んでいるだけなのは、ロランのよそよそしい態度でよくわかる。

 呼ばれた執務室で向かい合って座っていても、ロランはセレスティーヌににこりともしない。動かなければ名匠の手による石像のようだが、今日のロランは何かを切り出しあぐねているように、何度もお茶を口にしている。


「お話があるのではないですか?」


 メイドを下がらせ人払いまでしているのだ。何か重要な話があるはずだ。


「私との結婚に関してですが――」


 やはりその話か。


「あなたとの結婚はお父上にお断り申し上げました。わたしは、誰とも結婚するつもりはありません」

「そうですか。私の望みを申し上げてもよろしいでしょうか?」

「ロラン様の? ――どうぞ」


「セレスティーヌ様。私と、白い結婚をしていただけませんか?」


 白い結婚。それはつまり、性交渉を伴わない結婚ということ――。


(その手があったか!)


 白い結婚ならば、純潔を保てる上にセレスティーヌが女王にならなくて済む。結婚して、子供ができないことにしておけば、きっと子沢山のカミーユが孫のひとりくらい養子に寄越してくれる。こちらの都合で来てもらう子には申し訳ないけれど、もし来てくれたらセレスティーヌの全人生を賭けて、全力で守って愛してかわいがろう。


「いい! いいですね! 白い結婚しましょうそうしましょう!」


 前のめりになって同意を示すと、ロランがたじろいだように身を引いた。基本的にロランは表情に乏しいが、呆気に取られている気配がある。


「ご同意いただけて助かりますが……そこまで賛同してくださるとは。賛同の理由をお聞かせいただいても?」

「一生純潔でいたいので!」

「そうですか」

「ロラン様はどのような理由で白い結婚をお望みに?」


 質問に答えづらいのか、ロランが紅茶を口に含む。ロランのカップが空になったのでポットから注いでやる。


「申し訳ありません。セレスティーヌ様のお手を煩わせるなど」

「お気になさらず。幽閉先では家事はなんでも自分でやってましたから。で、どのような理由で?」

「……」

「当てていいですか? ズバリ、好きな方がいらっしゃるでしょ!」

「……!」


 目を見開いたロランを見てセレスティーヌはほくそ笑んだ。いつもは白いロランの頬がほんのり赤らんでいる。無表情なようでいて結構顔に出るなこいつと思った。氷の貴公子もまあまあ可愛げがある。


「そうか、そうですよね。ロラン様ほどの美男子に、恋人がいらっしゃらないはずがないですよね。でもお父上がお許しになるわけがありませんね……。大丈夫です。わたしはロラン様の恋を応援しますから。ロラン様にお相手がいらっしゃるほうが、わたしにとっても好都合なんです。ですからわたしとの結婚を隠れ蓑に、ロラン様は恋人と思う存分愛を育んでいただいて――」


 ぺらぺらと調子よくしゃべっていたセレスティーヌは、ロランの様子を見て口を閉じた。

 頬が自然な赤みを通り越して、病的に赤い。息づかいもなんだか苦しそうだった。


「ロラン様、お熱でも――」


 思わずロランの額に伸ばした手が、ぴしゃりと弾かれる。


「私に触れてはなりません! 私から離れて!」


 ロランが苦しそうにソファに倒れ込む。息が荒いのか、広い背中が激しく上下している。


(まさか、毒――?)


 セレスティーヌは咄嗟にティーポットとカップを見た。ロランは何度も口にしていたが、セレスティーヌは一口も飲んでいないお茶。

 助けを呼ぼうとドアに駆け寄る。しかし外から鍵が掛けられたのか、ドアノブが動かない。


「誰か! ロラン様のおかげんが! 毒かもしれません! ここを開けて!」


 セレスティーヌはバンバンとドアを叩いた。誰も応答しないのでおもいきりドアを蹴とばす。セレスティーヌの細い足では、ドアはびくともしなかった。


(ここにも新王派の刺客が!?)


 ドアからロランの元へ戻る。毒なら吐かせなければならない。背中から両腕を回して胃を圧迫しようとすると、またしてもロランに突っぱねられた。


「突きとばすな! 毒なら吐かなきゃだろ」


 余裕がなくて口調がジルベルトになったが、とりつくろっている場合ではない。


「触れないで下さい!」

「どんだけ潔癖なんだ。それどころじゃないぞ!」

「来ないで! 毒ではありません」

「じゃあなんだ!」


 セレスティーヌの問いに、ロランは口元を片手で覆って真っ赤になった顔を伏せた。肩が震えている。


「ほらやっぱり毒だろ。そんな苦しそうに」


「……媚薬です」


「はぁ?」

「媚薬を飲まされました。私に触れないでください。私の視界に入らないでください」

「……媚薬って。じゃああんた今勃って――」

「かわいらしい声でいやらしいことを言わないでください!」



「好きでかわいらしい声になってるわけじゃねえわ――!」

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