第38話最強剣士は悪魔の遣い

 魔王っぽく振舞おうというサービス精神をこんなところで発揮しなくても良いだろうにと、クロムは横目でサタンを見た。カイルはサタンに視線を合わせ、今にも飛び掛かりそうな姿勢で剣を構えた。


「お前が魔王か!」

「いつかはドラゴンを討伐したみてぇだが、今度は悪魔を狙ってんのか? 戦闘狂いジャンキーも大概にしとけよ」


 皮肉を込めて言ったサタンの言葉に、カイルの瞳が鋭く細められる。ケルベスから聞いたばかりの魔王の悪行が思い出され、カイルは叫んだ。

 

「お前こそ、すぐに天使との戦争をやめるんだ! 何も知らねぇ天使に攻撃を仕掛けようなんて、最低だぞ!」

「は?」

「これは……世紀の大誤解が発生しているようですね」


 サタンがぽかんと口を開け、隣でクロムが眉を寄せた。なんの冗談かと思ったが、カイルは大真面目に続ける。


「人間の魂をたくさん地獄に堕として苦しめるなんて、そんな酷い事俺がさせねぇ! お前は俺が倒してやるからな!」

「あ? あ、あー……ちょっと待てよ。クロム」

 

 カイルの言葉を聞いて、何かに気がついたサタンはクロムに近づいた。カイルに手のひらを向けて動きを制し、クロムに小声で話しかける。


「(あの勘違いぶりは尋常じゃねぇ。ケルベスが噛んでるな)」

「(ここに来て最強の切り札カードですね)」

「(反則じゃねぇか)」


 ケルベスの思惑に気づいた二人が改めてカイルを見る。対してカイルは、クロムという聞き覚えのある名前を思い出していた。ここに来て最初に天使達の話を盗み聞いた時に、彼らがしきりに褒めていた名前だ。


「クロム! お前、何で魔王なんかに従ってるんだ! お前はいい奴なんだろ?」

「は?」

「お前って何気にいっつもいいとこ持ってくよな」

「そんな事言われましても……」


 自分の悪評とクロムの好評価のあまりの差に納得いかないサタンが、横目でクロムを軽く睨んだ。対してカイルはやはり大真面目にクロムを説得しようとしている。


「なぁ、今からでも遅くない。こっち側に来いよ!」

「……いや…………サタン様どうすれば」

「俺に聞くんじゃねぇ」


 クロムは珍しく狼狽うろたえてサタンを見た。勇者のテンションについていけない。彼は、大量虐殺を行うサイコパスだと思っていた男が正義の味方のようなセリフを熱く叫んでいる矛盾に、まだ少し混乱している。


「悪ぃが、こいつだけはやれねぇ」


 サタンがクロムを背に隠すように前に出た。それを合図に、カイルが動く。

 

「魔王っ! 覚悟しろ!」


 聖剣を包む聖なるオーラの塊が、白い光の刃となって剣先から離れ、真っ直ぐにサタンの元へと向かっていった。


「うぉっ……マジかよやべぇな」

 

 驚いて大きく退がったサタンの前に、分厚い氷の壁が現れて聖なる刃を受け止める。


 ガラガラと氷が割れる音を聞きながら、サタンは目の前に降りた大きな黒い翼を見上げた。

 

「サンキュークロム」

「油断しすぎです」

「あの形状で飛び道具使うとは思わねぇだろ……っと危ねぇ」


―ガシャァーン


 すぐに次の一撃が襲い掛かり、残った氷の破片が割れた。サタンは翼を広げて飛んだ。すぐにクロムも飛びあがり、ふたりで宙からカイルを見下ろす。

 

「お前ら卑怯だぞ! 降りてこい!!」

「……どうします?」

「反撃できねぇしどうしようもねぇだろ。くそっ、あいつの思惑通りじゃねぇか」

「こうなると天国がますます気がかりですね。二手に分かれ……っ!!」


 会話の途中で飛んできた刃をギリギリで躱して、クロムは空を見あげた。聖なるオーラの塊が、天国の方向へ向かって勢いよく伸びていく。しかし聖なるオーラはもともと天国のもの。行ったところで、天国の澄んだ空気に混じって消えるだけだ。


 ほっと安堵の息を吐いたクロムにもう一発、同じ刃が狙い打たれる。間髪入れず襲いかかってくる攻撃に、防戦一方のサタンとクロム。何度目かの刃を避けて、ついにサタンがキレた。


「……お前いい加減にしろよ」


 普段より低い唸るような声を出して、サタンが白いタイルに降り立った。手のひらを下に向けると床の一部が闇に染まり、落とし穴のような暗い空洞ができる。その中から、サタンは一振りの剣を取り出した。


「剣は苦手だが、仕方ねぇな」

「サタン様。十三条は……」

「わかってる」


 気負わず楽に見える構えで、サタンは漆黒の剣先をカイルへ向けた。決して傷つけないように戦わなくてはいけない。滅多に無い緊張感に跳ねる鼓動を誤魔化すように、サタンはクロムに軽い視線を向けた。


「俺が失敗しくったら、お前マスターな」

「この期に及んで何の冗談ですか。俺がやるから下がっててください!」


「うわっ!」

 

 クロムが一歩前に出て、カイルの足元から僅か五センチ先に小さな雷を落とした。当然、カイルの身体には傷ひとつついていない。ただの威嚇と、ついでにサタンへの苛立ちがこもっている。


「危ねぇ! お前氷の力じゃねーのか」

「さあな。でも用心したほうがいい……他にもあるかもしれんからな」


 クロムの意味ありげな薄い笑みに、カイルの表情が引き締まった。こちらの出方を窺うように剣を構え直しているカイルを見て、サタンはひとまず剣を下ろした。

 

「八つ当たりもたまには役に立つな」

「どうも」

「天国と煉獄、どっちのがやべぇと思う?」

「天国も心配ですが……最も強いケルベス自身は十三条を破らないでしょうし、他の大勢の悪魔たちよりローズの防護壁シールドの方が強いでしょう」

「あとはどれだけ避難出来てるかだな」

「ルキウスが飛び回っているでしょうが、限度がありますからそこは心配ですね」


 再び空を見あげる二人。今にも天国に行きたそうなその仕草を見て、今度はカイルが焦り出した。自分が少し剣を振っただけで、恐怖をうかべて逃げていったか弱い天使たちの姿が思い起される。隙を見て天国へ行こうとしているこの二人を、天に昇らせるわけにはいかない。


「天国は、俺が守る」


 想像の中で、藤色の髪がなびいた。今頃天国のどこかにいるのだろうか。愛する人への気持ちを高めるたびに、剣が白い輝きを増す。

 

「うおりゃあああぁぁあ!!」


 カイルはサタンに向けて、思いっきり剣を振り上げた。


「くっ……っそ馬鹿力」


 ガキンッと、大きな金属音が響いて、サタンが苦し気に剣を持つ手に力を籠める。相手はドラゴンをも倒す歴戦の剣士、対してサタンは剣に関してはほぼ素人だ。傷つけないだけで精一杯な受け身の姿勢で、勝てる見込みはほぼ無い。


「魔王っ、覚悟しろ!」


 少し角度を変えて放たれた次の一撃を、サタンは受け止めきれなかった。ギリギリで避けると、聖なる刃はサタンの脇をすり抜けて、そのまま真っ直ぐ広間の中央へ飛んでいく。


「まずい! あっちは……」

「止めます」


 焦って振り返ったサタンの視界の中で、大きな黒い翼が弾丸のように飛んでいった。裁きの天秤に向かって真っ直ぐ伸びていく、暴力的なまでの聖なるオーラの塊。天秤には聖なるオーラが含まれているが、同じくらい魔のオーラも入っている。


 当たれば普通に壊れてしまう天秤は、当然守らなければならない大事なものだ。しかし、そのために躊躇わず命すら投げ出すかもしれない勢いで飛んでいくクロムを、サタンは止めようと叫んだ。


「クロム! 待て! いいから戻れ……」

「よそ見してんじゃねぇ!」


 再び勇者が襲い掛かる。サタンは天秤とクロムの動向を気にしながら、カイルを傷つけないように細心の注意を払いながら、激しく襲い掛かる聖剣に器用に剣先を合わせた。クロムはそんな激しい金属音を背後に聞きながら、聖なる光を追いかける。


(間に合うか……いやギリギリだな)

 

 氷の壁や炎を使い、勢いを削げば少しはマシになるかもしれない。しかし、それは間に合いそうになかった。光の速さはクロムが全速力で飛んでも、ほんの一瞬先回りするのがせいぜいだ。


(瞬間移動を使えればな)


 ほんの一瞬思ったのは、輝くような金糸の髪。彼の能力があれば容易に追いつく。もしくはローズのように、強固な防護壁シールドを張ることができれば。


 自分の力はなぜ、守るために使うことが出来ないのか。クロムは初めて、悪魔の力を少し恨んだ。


(必ず止める……命に代えても)


 クロムは天秤の前に立った。考える間もなく光の刃が飛んでくる。彼は何も考えずに、そのまま身体で受け止めた。聖なる刃が彼の腹部に食い込むが、彼は腹筋に力を入れてぐっとそれを押し返し、少しでも威力を相殺しようと魔のオーラを刃に集めて少しずつ白い光を弱めていった。


 リリィを抱いたときのようなピリッとした痛みの比ではない、身体の内側からどろりと溶けていくような、そんな感覚がクロムを襲う。自分はこのまま消えていくのだと、彼は覚悟を決めた。あとの事はサタンに任せて、せめて天秤だけはしっかり守る。そう思い、命を懸けて聖なるオーラを消そうと腹部に全ての力を込めた、そんな時。


「クロム」


 トン、と突然、優しい力で肩を叩かれた気がした。次の瞬間天秤から少しだけ離れた位置に移動したクロムが見たのは輝くような金髪。しかし彼を纏う聖なるオーラは薄く消えかけ、その白い翼は、黒い煙があがってボロボロに崩れていたのだった。

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