第31話違いがあるから面白い

 ギィ、と木製の扉が開く音が聞こえて、ローズは床に広げた紙から顔をあげて玄関を見た。登録した天使の聖なるオーラの波長を見分けて自動で開くこの工房の玄関の扉は、最近ローズが開発したものだ。


「おかえりなさい」


 ローズは素早く声をかけて立ちあがった。すぐに扉の向こうからルキウスの姿が見える。二人は城にも広い自室を持っているが、そこでは実験も発明も出来ないため、ローズの生活に合わせてルキウスもここに寝泊まりしているのだ。今ではすっかりこの工房は、家族で過ごす家となっていた。


「ただいま!」


 ルキウスは輝くような笑顔で、ローズに軽いハグをした。そしてすぐに壁際の小さなベッドを覗きこみ、元々優しい目元を更に細める。

 

「うん、よく寝てるね。やっぱり二人とも可愛いなぁ」


 二人の子供の寝顔を交互に見るルキウス。幸せそうに頬を緩めているが、その顔には薄らと疲れが滲んでいる。ローズは彼の分のスープを温めようと、すぐ横の小さなキッチンへ向かった。夕飯は城の食堂で済ませているはずなので、軽い夜食だ。

 

「聞いたわよ、リーダー会議。大変だったわね」

「いや、会議は楽しかったよ! ローズがいなくて残念だった」


 シルバーから会議の結論だけを聞いたローズは深刻そうに言ったが、ルキウスは微笑みながら彼女のいるキッチンへ向かった。あの飲み会のような緩い雰囲気は、その場にいた者にしかわからないだろう。


「シルバーから聞いたんでしょ?」

「ええ。物資提供の契約を結ぶんですって?」

「うん。今聞いて回ってたんだけど、やっぱりあの事件以降、かなりの天使が物資提供を止めてるんだ」

「悪魔が怖くなったのかしら」

「悪魔というより、地獄という場所がね。獄炎花ヘル・フラワーの炎の勢いを見た天使は多い。あんなものがたくさん燃えてるところって考えたら、そりゃ怖いさ」

「環境が違いすぎるものね……」


 溜息をつきながらスープをかき混ぜるローズを励ますように、ルキウスは彼女の桜色の髪に手を回した。


「でも、違うからこその面白さってあると思わない?」

「あなたはいつもそう言うわね」

「自分だけの世界で生きてたら絶対に出会えない景色があると思うと、わくわくするよ!」


 天使と悪魔、精霊に小人。ルキウスの友人は幅広い。しかし踏み入っているように見えて、彼はいつでも他者を尊重している。精霊特有のマナーから小人の国の独特なお辞儀の仕方まできちんと把握しているからこそ、彼は誰とでもいい関係を築けるのだ。


「あなたって凄いわよね。他種族に合わせるのって簡単じゃ無いわよ」


 ローズはルキウスに尊敬の眼差しを向けた。しかし彼は首を振る。彼の考えは単純明快、ただ目の前にいる者達と少しでも楽しい時間を過ごしたいということだけだ。

 

「そんな事ないよ。相手の事を理解するほどにいい関係が築けるっていうのは、他種族だけじゃないからね。ほら」


 ルキウスが、スープの入った鍋を指す。二口コンロに並ぶ小さな二つの鍋の中には、同じ野菜が入ったスープ。但し味付けは全く違う。片方はトマトベースのスープに蜂蜜をひと匙、そしてもう片方には、一口飲むだけで舌が痺れそうなほどの大量の香辛料。


「ローズだって、いつも僕の事考えて二つ作ってくれるじゃない。それと同じ事だよ」

「だって、あなた辛いの苦手でしょ?」

「君の舌が強すぎるんだよ……ねぇ、なんか前より凄くなってない?」

「何か刺激が足りないのよね」

「こんなに入れてるのに?」


 ルキウスは唐辛子パウダーの瓶を手に取って振った。買ったばかりなのに、もう中身はほとんど入っていない。


「ローズの辛党は天国一かもね」

「味覚も性格も辛いって良く言われるわ。余計なお世話よね」

「あはは。ローズは厳しいからね」

「そんなに厳しいかしら?」

「少しね。でも、そんなローズの性格が皆の生活を支えてるんだよ」


 開発段階からあらゆる事態を想定した厳しいテストを経てやっと世に出る発明品の数々は、ローズの慎重さと向上心の賜物だ。問題は起きてから考えればいい派のルキウスには思いつかないような事を、ローズは常に考えている。


「次は何作るの?」


 ローズから湯気の立ったスープのカップを受け取って、ルキウスはキッチンを出た。それを机に置いて床に広がったままの設計書を見ていると、すぐに隣に来たローズが一枚の紙を拾い上げる。そこには何かの図や説明がびっしり書かれていたが、ルキウスには全く理解が出来なかった。

 

「ごめん、わかんないや」

「ふふ。これはね、設置型の防護壁シールドなの。今回みたいな事件がまた起きるかもしれないでしょ」

防護壁シールド? どこかに設置して避難場所にするの?」

「避難場所にもなると思うけど、そのためじゃないわ。煉獄に絶対に守らないといけないものがあるでしょ」

「何?」

「『天秤』よ」


 あぁ! とルキウスは手を打った。確かに天秤が壊れてしまったら一大事だ。有事の際に守らないといけないもののリストを作るのであれば、あの裁きの天秤は確実に上位に載る。


「よく気が付いたね」

「当然でしょ。魂裁いてこそ死後の世界だもの。命を懸けても守らないといけないわ」

「そうだね」


 ルキウスは床の設計書に再び目を落として、そしてしっかりと頷いた。


「命より大事なもののリストがあるとしたら、天秤は必ず入る。きっとすごく役に立つよ」

「そうね。そのリストの一番上には二人のマスターが」

「ミカエル様とサタン様だね」

「その下にはシルバーとクロムよ」

「そしてその下に天秤かな」

「そうね」


 二人は視線を合わせてしっかり頷いた。自分たちも同じ指導者リーダーと呼ばれているが、シルバーやクロムと同列だとは思っていない。彼らは真に必要な存在、いざとなったら優先して守らなければいけないリストに、しっかり入っている。


「この五つがあれば、天国も地獄も安泰だ」

「そうね。たとえ天国や地獄が壊滅状態になっても、あの四人がいれば立て直せるでしょうし」

「あまり考えたくない未来だけどね」

「シュミレーションは、常に最悪を想定するものよ」

「君らしいといえばらしいけどさ……あ」


 視界の隅にパタパタと動く白い翼を確認し、ルキウスは微笑んでリリィをそっと抱き寄せた。

 

「番外編にはリリィとルーク。リーダーとしてじゃなく、個人的なリストがあるなら序列は第一位だ」

「それは別枠よ。この子達が天国の事なんて考えなくても良いように、私達がしっかりしていかないとね」


 ローズは微笑みながらリリィの柔らかな金髪を撫で、ルークの眠る小さなベッドをのぞき込んだ。まだ幼い天使達は、いずれ自分たちのように強力な力を持つだろう。この子達が何の憂いもなく過ごせる天国を、自分たちは守っていけるだろうか。


 そんな事を時折真面目に、時折冗談混じりに話しながら、二人は味の違うスープを並べて飲んで、夫婦の夜を穏やかに過ごすのだった。


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