二杯目 〜オレンジブロッサム〜



1920年代のアメリカで実施された、酒類の製造、販売、を禁止制限する法律


「禁酒法」。


高貴な実験とまで揶揄された馬鹿げた法律は、驚く事に約13年もの間続いた。


その間、人々は取り締まりの目を欺く為に様々な手段を身につけた。


ジュースに見える様に擬装する事で多くのカクテルが生まれ、昨今、流行りの「スピークイージー」。要は隠れ酒場というスタイルを生み出した。


人と言うものは得てして。

縛られれば縛られるほど。

困難が有れば有るほど。


その物や行為。はたまた人に。


情熱を注ぎ込む事が出来てしまう愚かで愛おしい生物なのかも知れない。












ジャック失踪騒ぎから一カ月。

短すぎる秋は過ぎ去り、街はすっかりクリスマスムード。

ケーキやチキンの予約が始まり、人々の表情も装飾で輝く街の様にどこか明るく感じる。


ホテルBARのクリスマスはやはり忙しく、食事を終えたカップルで毎年店を賑わせた。


恋人と過ごすクリスマスなど私には無縁だったが、幸せそうにグラスを傾ける男女をカウンターの中から見ているのは悪く無かった。



「私もいつか。大切な誰かとグラスを傾ける日が来るのだろうか。」


その日ばかりは私も柄にも無い事を考えながら華やかな日を、色とりどりのカクテルで演出した。


「どうしたんですか?七美さん。さっきからボーっとして?」


キョトンとした顔で太陽が私の顔を覗き込む。


「なんでもない。」と答え、まだ湯気が立ち昇るかけ蕎麦を啜った。



クリスマスにBARデートなんかより、私にはこの変わらない蕎麦の味の方が性に合っている。











「いやぁすっかり寒くなりましたね。今日の一杯目はホットカクテルにしようかなぁ」

「いいかもね。クリスマスも近いし"エッグノッグ"でも作ろうか?」 「最高です」


そんな他愛も無い話をしながら自転車を押し店へ向かう。

最近は毎日の様に蕎麦屋に太陽が現れる。共に食事を済ませ、開店時間までボーっと作業を眺め時間が来るとカクテルを飲む。


そんな流れが私の中でも当たり前になっている。


…太陽は暇なのだろうか?



「クリスマスといえば、七美さんっていつまでサンタクロース信じてました?俺、中学2年まで信じてて同級生に馬鹿にされたんですよね」


「私は小学生低学年の頃には親から現金で渡されてたから。太陽のご両親は夢を壊したくなかったんでしょうね」


「両親って言うか祖父母なんですけどね。そう思うと優しさだったのかなぁ?」


「きっとそうよ。私なんか早々に…」

「なんか…すいません」と太陽が頬を掻いた。



そんな話をしながら準備を進めているとオープンの時間を迎えた。

看板に灯りをつけて間も無く店のドアが「キィ…」と小さな音を立てて開いた。



「いらっしゃいませ。…あれ真田さん。今日はお一人ですか?」「あっ…はい。石田さんは今日、体調を崩されてお休みで…」


細身で身長が高く作業着姿で無ければモデルと間違えそうなスタイルをした真田さんがか細い声で答える。


最近はたまに一人でも来てくれる事が増えたがやはり珍しい。

それより気になるのは…



「石田さんどこか悪いんですか?」


太陽も同じ事を考えていたようでエッグノッグの入ったグラスを置き、真田さんの方へと身体を向けた。



「はい。どうやら心労が祟ったみたいで…」


普段は豪快な石田さんが心労で体調を崩すなんてよっぽどの事があったのだろう。


「そうでしたか…。心配ですね…。あっお飲み物はどうされますか?」

「じゃあ…僕も太陽さんと同じ物を。」

「かしこまりました。少々お時間頂きますね」


「大丈夫です。…その少し相談があるんですが聞いてもらえますか?」


普段は石田さんの話を黙って聞いている事の多い、無口な真田さんにしては珍しい。



「ええ勿論。私などで力になれるかは分かりませんが」

「僕、今お付き合いしている人がいるんです…。高校時代の同級生で…。同窓会で再会してもう3年になります」


彼女がいると言う話は石田さんが以前言っていた。デートで今日はこれないとかなんとか。


「それで…そろそろ結婚を考えていて。プロポーズしたんです。有難い事にOKを頂きまして…」

「それはおめでとう御座います。」

「有難うございます…。でその相手と言うのが実は…」


真田さんがモゴモゴと口籠る。

ふぅ…と小さく息を吐きこう続けた。


「その…石田理央っていうんです。」

「「あっ…」」


太陽と思わず声が揃う。まさか…。


「はい…。石田さんの娘です…。付き合い始めた時はよくある苗字だしと思ってたんですが後々話を聞いてるうちに気づいて…」


「その事は彼女様は知っているんですか?」

「はい。ただ家でも石田さん、頼りない奴だとか僕の話をよくしてるみたいで…。付き合った時に、今言うとうるさいからしばらく黙っておこうと言う事になって」


「結局、言い出せず今に至ると…」

「はい…」




現実は小説より奇なり。とは良く言ったものだ。同窓会で再会し恋に落ちた相手が、上司の娘だなんて。まして父親はあの石田さん。

不安になる気持ちは痛い程わかる。



「あの…それで相談とは?」

困り顔の真田さんに尋ねる。

正直、面倒事はジャックの一件で懲りていたが、同時にすぐに声を掛けなかった狭量な自分にも嫌気がさしていた。

何か手伝える事があるなら力になりたいと思う。


「はい…。来週、石田さんとこちらに来る約束をしているのですがその時に結婚の報告をさせて頂いても宜しいでしょうか?ご迷惑をお掛けしないよう努めますので…。」


一瞬、報告を受け暴れ回りグラスやボトルを破壊する石田さんを想像してしまったが、流石にそれは無いだろうと頷き


「その程度ならお安い御用です。席を空けてお待ちしてますね。」


と答える。すかさず太陽が「いつも席は空いてません?」と首を傾げたが、睨みつけるとサッと向きを変えグラスを傾けた。







それから真田さんは追加で2杯ほど飲んだ後、何度も頭を下げながら石田さんとは対象的な小さなドアの音と共に帰って行った。






「真田さん大丈夫ですかね…」


1人になった太陽がグラスを下げる私に呟く。


「何か力にはなってあげたいけどこればっかりは…。石田さんも粗野な所はあるといえ大人な訳だし。それに…。」


落ちこんでいた私を不器用なりに気をかける優しさもある。意外と人をよく見ている人だ。



「大丈夫よ。きっと大丈夫。」


そう呟き一抹の不安と共にグラスに付いた汚れをキュッと洗い落とした。











それから約束の日までの一週間は真田さんと石田さんの話など考える余裕がないほど忙しく、オープンしてから3年目にしてようやくクリスマスを感じられる営業となった。


太陽が何やらネットなどで口コミなどの広告を行なってくれた様で、若く少し季節的にも気合いの入った男女が多く来店し店を賑わせた。


そうなると必然的にカクテルのオーダーが続き、暖房の効いた店内で慌しく動く私は額に汗を滲ませるほど。


久しぶりの疲労感は懐かしく、そして心地よく私を眠りへと誘った。




そんな日々を過ごし迎えたクリスマス当日は22時頃に忙しさのピークが過ぎ23時には、いつもの席に座る太陽1人となった。



「七美さんお疲れ様です。意外とクリスマスって客引き早いんですね。」


「そうね。ホテルの時代はそのまま宿泊される人が多かったから閉店まで賑わってだけど。ほら今日は皆んな色々と忙しいじゃない?」


っと言うと少し考え「あ…なるほど」と呟きながら太陽は苦笑いした。


「そうだ、七美さん。丁度お客さん切れた事だし今のうち…「バタン!!!!!!!」に」



何か言い掛けた太陽の声を遮る様に聞き慣れた大きなドアの音が響く。



「おう!嬢ちゃん!太陽!来たぞ!」

「石田さん、ドアはゆっくり開けて下さい。体調はもうよろしいのですか?」


「ガハハッ!平気平気!ビールでも飲みゃ完全回復だ!とりあえずビール2つ!!」


そう豪快に笑う石田さんの後ろから大きな身体を縮こませた真田さんがひょっこり顔覗かせる。


「あっ今日が約束の日か…」と心で呟き石田さんの好きな"VEDETT EXTRA WHITE"を用意する。


2人はグラス重ね石田さんはご機嫌な様子で。真田さんは緊張の面持ちでビールを口に運んだ。



真田さんの緊張が私と太陽にも伝染し何処か他所よそしくなる。やはりまだまだ私も"完璧"には程遠いなと自分の未熟さを痛感する。



いつ話しを切り出すのだろうか?聞いた時の石田さんの態度は?


そんな事をグルグル考える中、硬直状態を破ったの石田さんの一言だった。



「ところで真田。おめぇ理央と式はあげんのか?」









   「「「え?」」」





なんとも間の抜けた3人の声が重なる。



「いやおめぇうちのと婚約したんだろ?式あげんなら俺と母さんがあげた式場がまだやってるから紹介してやろうかと思ってな!」


「あの…僕と理央さんがお付き合いしてるの知ってたんですか?」


「んなもんおめぇが飲みに来ない日と理央の帰りが遅い日が毎回の様に被って3年も経ちゃりゃ気付くだろうよ。」


確かにそう言われればそうだが、やはり石田さんは意外と勘が良い。

そして隠れて付き合っているのを知りながら深く詮索しない辺りは、私や太陽や真田さんが思っているよりずっと懐が深いのかも知れない。



「しまいにゃあの男勝りな理央が指輪見つめてニヤニヤしてんだから。猿でも気付くってんだ!」

「そうでしたか…。あの…報告が遅くなって申し訳ありません。」


消えそうな声でそう話す真田さんの背中をバシバシと叩き


「おう!嬢ちゃん。身体はデカいが気の小さいコイツにカクテルでも作ってくれや!ほら何だっけオレンジ…なんちゃら!」


「かしこまりました。"オレンジブロッサム"ですね。お2つでよろしいですか?」

「おう!!」


1920年代、アメリカ禁酒法時代に生まれたこのカクテル。人々は公にお酒を楽しむ事が出来ず手に入る物も粗悪な物ばかり。


当時流行した、浴槽で密造された粗悪なジン。通称"バスタブジン"をどうにかして飲むために生まれたとされるカクテル。



レシピは様々あるが、私は


タンカレーNo.TEN を45ml

オレンジジュース を15ml


のシンプルなレシピ。


これらをシェイカーに入れしっかりと冷やし撹拌する。


人と人が結びつき、1つの物語。1つの人生を繋ぐ様に。


2つの材料をしっかり結び付け新たな形を創り出す。


石田さんと真田さんの人生が結び付いた様に。




「お待たせ致しました。"オレンジブロッサム"です。」



「いただきます…。」

「どれ。1つ俺がウンチクを話してやろう。このカクテルはな、酒が呑めない時代に生まれたカクテルなんだ。コソコソと隠れながら呑まなきゃならない馬鹿げた時代。そんな時代に酒に捉われた馬鹿な奴らが作った執念の酒だ。」


「はぁ…。あっ強いけど華やかで…。とても美味しい。」


「そうだろ?嬢ちゃんの腕が腹が立つほど良いってのもあるが…。」


腹が立つほど?っと疑問は湧いたが褒められた様なので黙って石田さんの言葉に耳を傾けた。



「人の執念ってのは強いんだ。おめぇらみたいに隠れて、耐え忍んだ奴らが作る物は強さがある。そして華がある。蕾の時期を耐え忍んで華を咲かせたお前達の結婚を誰が反対できんだ?」


そう微笑み、普段とは違い穏やかな口調で話した石田さんは真田さんの肩を抱き寄せた。



「男勝りで俺に似て口の悪い奴だが頼んだぞ。この3年ずっと。お前を倅だと思って接してきたんだから。」



その言葉を聞いた真田さんは力強く


「はい。理央さんを幸せにします。」と返事をし涙を流した。


一連のやり取りを見る中、思わず私も目頭が熱くなる。




「おらっ!真田!呑んだならいつまでもオッサンとチンタラしてねぇで理央の所に向やがれ!!クリスマスに彼女放ったらかしにしてんじゃねぇ!!」


「えぇ…石田さんが誘ったんじゃないですか…。」

「いつまでも言ってこねぇ不甲斐ないおめぇに痺れ切らしたんだろうが!会計は良いからさっさと行け!」


そう言い放ちシッシッと真田さんを追い出すと「やれやれ…」と石田さんは首を横に振った。



「石田さん、カッコいいですね!男の俺でも惚れちゃいました!」


ニコッと眩しい笑顔の太陽が言う。


「おう!そうだろ太陽!こんな男におめぇもなれよ!ガハハ!」っと笑う石田さんは何処か寂しそうに見える。



「やはり少し思うところがあるものですか?」


「そりゃあな。口開けば臭いだ、煩いだって言う娘でもたった一人の娘だ。寂しく無いって言えば嘘になる。」


そう言い残ったカクテルをグイッと飲み干す。


「それでも娘の幸せを考えてやるのが親の役目だ。なぁにデカい息子が一人増えたと思えば賑やか事だろ?」


「やっぱりカッコいいですね。石田さん。」


「なかなか娘にゃ伝わらんがな!」


大丈夫。きっと伝わってますよ。



「石田さんはこのカクテルは禁酒法時代のカクテルだから選ばれたのですか?」

「おう!それぐらいしか俺はカクテルなんざ知らんぞ?」


オレンジブロッサム。

直訳するとオレンジの花。


「ご存知でしたか?オレンジの花の花言葉は3つ。1つは"純粋"。もう1つは"愛らしさ"。」


「あと1つは?」石田さんがこちらを見つめる。







「花嫁の喜び。理央さんもきっと石田さんの元に産まれ自分の愛する人を紹介出来た事。喜んでますよ。」



「気遣ってくれてんのか?ったく。鉄仮面嬢ちゃんには似合わなねぇ台詞だなっ。」


そう俯き悪態を付いた石田さん。

鉄仮面は許しがたいが、カウンターにポタポタと落ちた滴に免じて今日は聞かなかった事にしよう。













看板を消すと街は暗闇に包まれる。

どうやら聖夜の最後の灯りはうちだったらしい。

寝静まった街を背に店内に戻ると太陽が何かをゴソゴソしている。


「どうしたの?」


「いやぁ石田さん達が来られてタイミング逃してしまって…。日付け変わってしまいましたがコレ。」


そう言って差し出したのは真っ赤なリボンの掛かった小さな箱。


「クリスマス営業お疲れ様です。七美さんって物欲無さそうで。何あげれば喜ぶか分からなくて…。」


ぽりぽりと頭を掻きながら照れくさそうに太陽は言う。


「開けて良いの?」


太陽は笑いながら頷く。


中には虹を模した鮮やかなピンバッジが入っていた。

早速、ベストの胸付近に付けてみる。

「私には可愛いすぎないかな?」

「良く似合ってますよ。」



クリスマスプレゼントなんていつぶりだろうか。身体の内側から何か熱い物が込み上げる。


いや…熱いのはきっと顔だろう。

年甲斐無く喜ぶ私がいる。




「ありがとう太陽。ごめんね。私何にも用意して無くて…。」


「いいんです!いつもお世話になってるお礼なんで!渡したい物も渡せたのでそろそろ旅館に帰りますね。」


そう言い立ち去ろうとする太陽の袖を持ち引き止める。



「ねぇ太陽。まだ呑める?」

「えっ…?でももう閉店じゃ…」


「お返ししたいから。一杯付き合って?」


少し戸惑いながらも太陽はニッコリと笑うといつもの席に腰掛ける。


「ウィスキーのロックでいい?こんな日だしそうね。"オールド・セント・ニック"なんてどうかしら。」


「おっ!いいですね!禁酒法時代、ニックさんの密造酒ですね!」


「詳しいわね。クリスマスシーズンに熟成したとされるバーボン。」


ニック"爺さんはアメリカ禁酒法の時代にケンタッキーの森に住み、毎年クリスマスシーズンが近づくと、 特別に熟成させた「密造酒」を少瓶詰めし限られた人に販売していた。

そのあまりに美味しいバーボンを賞賛してセント・ニコラウス(サンタクロース)にかけ聖人ニックのバーボン。"オールド・セント・ニック"と呼んだ。








琥珀色の液体の入ったグラスは店内の光を受けキラキラ輝く。


色々とりどりのカクテルの様に華やかでは無いけれど。


今の私にとってはどんな高級酒より。


宝石の散りばめられたネックレスより


この一杯とピンバッジが美しく見えた。








グラスを重ね呟く2人。



「「Merry Christmas。」」

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BAR iriser 〜七色のカクテル物語〜 女々しさが原動力 @memeshisaga

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