第10話 それぞれの想いがあります

「それではこちらでゆっくりとおくつろぎくださいませ」


 宿屋の食堂で食事を終えたシエルとアナスタシアは、イチに案内され、部屋に入った。広々とした清潔な部屋だった。


 シエルが部屋に入って、最初にやったことは、二台あるベッドを動かして、距離を開けることだった。アナスタシアがその様子をじっと見ていた。


「シエル様、ベッドをわざわざ離さなくてもよいのではないでしょうか?」


「いや、なんというか、事故防止のためなんだよ。ほら、寝ぼけて触っちゃうかもしれないし……」


「私は気にしませんが」


「いや、こういうのはきちんとしておかないと」


「大丈夫です。ちゃんと心得ております。これはお仕事ですから、意識なさる方がおかしいです。何かあったとき、すぐにペア魔法を放てるように、できるだけ距離は取らない方がいいと愚考します」


「まあ、そうなんだが、ほら、アナは魅力的だから……」


「お世辞でも嬉しいです。ただ、今更ではないでしょうか? お屋敷では隣同士で寝ておりましたし」


「そ、それは、命の危険があったから。二人で決めたことだろう」


「シエル様の手が私の胸やお尻の上に乗せられていたことも、何度かございましたが……」


「ふ、不可抗力なんだ。だからこそ、これからはそういうこともないように、きちんと距離を保とう」


「……、エルザ様ですか?」


「な、何のことかな?」


「もうすぐエルザ様に再会できるからでしょうか?」


「そんなことはないよ。ほら、学園時代も僕はエルザ様の前でソフィアとペアを組んでいたし、今はアナとペアだって、エルザ様に紹介するつもりだ」


「シエル様は、ソフィアがなぜエドワード王のもとに走ったかお分かりですか?」


「王妃の座に目が眩んだのであろう?」


「シエル様は、すっとこどっこいです」


「す、すっとこどっこい? 聞いたことのない単語だが、魔国語なのか?」


「ソフィアがなぜあのような行動を起こしたのか、じっくりとお考え下さい。私はイチさんに頼んで、別の部屋で寝ます」


「ちょっと待って欲しい。分かった。ベッドは元通りにしよう。確かに万一の場合にベッドが離れていたために対応出来なかったというのはまずいな」


 アナスタシアは結局、同じ部屋で寝ることにした。別々の部屋ではさすがにシエルが危険すぎるのだ。


 寝衣に着替えるため、アナスタシアは着替えを持って、化粧室へと入った。


 シエルとの同室の生活は、シエルが王室から命を狙われるようになってから、二人でじっくりと話して決めた。もう二年ほどになるが、最初に約束した絶対に手を出さないという誓いをお互い律儀に守って来た。


 実は何度かやってしまおうかと思ったことがあったのだが、アナスタシアはシエルのエルザへの想いを大切してあげたいと思い、踏みとどまった。


 シエルは八歳のときに、エドワードとの婚約披露宴でエルザに声をかけてもらったそうだが、そのとき以来、ずっとエルザのことを想い続けているのだ。


 こうして、アナスタシアは十年もの間、自分の気持ちを抑え続けてきた。ソフィアがエドワード王のもとに走ったのは、シエルの心がエルザ様にあると知って、シエルへの想いを断ち切るためだったとアナスタシアは考えていた。


(やはり私はソフィアみたいな道は進まない。もう婚期を大幅に過ぎてしまっていて、今更他の人に嫁ぐなんて無理だし、親からも見捨てられてしまっている。彼がエルザ様しか見ていなくても、私は私のやり方で彼に尽くすわ)


***


 アナスタシアが着替えている間、シエルも寝衣に着替えながら、これまでのことを回想していた。


 シエルがエルザの石像の情報を掴んだのは、軍に入隊してしばらくしてからだった。


 エルザの石像を見失い、ソフィアにも裏切られ、絶望のどん底にいたシエルではあったが、魔族の兵士が石像を持ち去ったと信じて、何とか踏ん張っていた。


 そして、美しい女性の石像について知っているかどうかを手当たり次第に魔族の捕虜に聞きまわっていたのだが、遂に石像を持ち帰った兵士のことを知っている捕虜に出会うことが出来たのである。


 当時、王国軍に特攻した部隊の生き残りが十数名いて、そのうちの二人が、確かに石像を運び出したようだった。


 ただ、運び出した後の行方が分からないでいたのだが、魔王殿にあったとはシエルにも予想出来なかった。


 シエルはアナスタシアがいる化粧室のドアを見て、覚悟を決めていた。


(彼女には学園時代からずいぶんと支えてもらった。エルザ様への想いは俺のわがままだ。胸の内に封印しよう。エルザ様の石化を解いたら、アナに結婚を申し込もう)

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