本音を吐くことなどできるわけがない

三鹿ショート

本音を吐くことなどできるわけがない

 彼女の笑顔は、私を幸福にさせる。

 だからこそ、その笑顔を曇らせるような事態に至ることは、避けなければならなかった。


***


 学生という身分を失ったときに危惧したことは、彼女のことを近くで守ることができなくなってしまうということだった。

 学校という狭い世界の中において、彼女は常に異性の目を引いている。

 その美貌と明るい性格を考えれば、仕方の無いことである。

 ゆえに、私は常に彼女の近くで目を光らせていた。

 その甲斐があったのか、彼女に近付く人間は同性の友人ばかりだった。

 だが、彼女よりも年上であることが災いし、私は先に学校から出て行かなければならなくなってしまったのである。

 彼女の友人たちに私の代わりを頼んだとしても、私ほど熱心に動いてくれることはないだろう。

 どうするべきかと悩んでいると、不意に彼女が私の頬を指で突いてきた。

 彼女は力こぶを作るような素振りを見せながら、

「大丈夫です。相手が悪い人間であるかどうかなど、私にも分かりますから、少しでも不安を覚えた場合には即座に逃げ出します」

 そのようなことをしたとしても、追いかけられてしまえば意味が無いのではないのかと思ったが、私はそこで考え直した。

 これから先も、私が不在であることは増えるだろう。

 その場合、彼女が一人で対処することが出来るような能力が求められる。

 それを鍛えるためにも、この機会に、少しばかり彼女と距離をおく必要があるのではないか。

 私は彼女の両肩に手を置き、少しでも困ったことが発生した場合は即座に相談するようにと伝えた。

 その言葉に対して、彼女は笑みを浮かべながら頷いた。


***


 私が彼女に対して抱いている想いを、彼女もまた抱いていると考えることはできない。

 彼女は私を慕ってくれてはいるが、それが恋愛感情ではないということは理解していた。

 永遠に交わることはないために、彼女に対する想いを無くす必要があるだろう。

 ゆえに、私は彼女以外の女性と交際するようになった。

 しかし、たとえ恋人が私との時間を楽しんでいたとしても、その笑顔が彼女には敵わないということを考えてしまっていた。

 やがてそれが態度に出るようになってしまったのだろう、私は多くの恋人と別れた。

 悲しいと思わないということは、やはり彼女以外には本気になることは無いということの証左である。


***


 彼女が自身の恋人を私に紹介してきた際、私は意識を失いそうになった。

 なんとか祝いの言葉を口にすることが出来たが、彼女が何を話していたのかは、全く憶えていない。


***


 街中で彼女の恋人を目にしたのだが、眼前の光景が真実なのか、私は目を疑った。

 何故なら、彼女ではない異性と手を繋ぎながら、笑みを浮かべていたからである。

 仲の良い友人だとしても、大人が手を繋いで歩くということは、あまり無いのではないか。

 恋人などといった関係性以外では、そのような行為に及ぶことはないのではないか。

 気になったために尾行していくうちに、二人はとある宿泊施設の内部へと消えていった。

 これは、確実に黒ではないか。

 今すぐにでも二人を追いかけ、彼女を裏切ったことを後悔させることも可能だが、私は踏みとどまった。

 可能性は低いだろうが、彼女が公認しているということもあるのではないか。

 だが、彼女が恋人の裏切りを知らず、私の問いによってその事実を知ることで傷ついてしまうということも考えられる。

 それならば、彼女の恋人に事の真相を訊ねるべきなのだろう。

 私は彼女を通じて、彼女の恋人を呼び出してもらうことにした。


***


 私の問いに対して、彼女の恋人は悪びれた様子も無く、

「私の愛情が欲しい人間に与えているだけだ。誰かが特別であるというわけではない」

「それが彼女を裏切っているということになるのではないか」

 拳を強く握ったまま、私は彼女の恋人に問うた。

 しかし、私の怒りなど気にしていないような態度のまま、

「確かに、このことを知れば、彼女はそのように思うだろう。そして、傷つくに違いない。だからこそ、私は露見することがないように努めている。これでも、私は彼女のことを気にしているのだ」

「良い人間のように振る舞っているつもりか。私からすれば、誠実の欠片も感じられない」

 私の言葉に対して、彼女の恋人は溜息を吐いた。

 そして、肩をすくめながら、

「恋人の裏切りを知ったことで傷つき、生きる希望を失うのならば、その程度のつまらない人間だったということだ」

 気が付けば、私は彼女の恋人を殴っていた。

 深夜の公園であるために、他に騒ぐような人間は存在していない。

 地面に倒れた彼女の恋人は、衣服に付着した土を払いながら、

「多くの人間に愛情を与える人間と、他者を傷つける人間の、どちらが良い人間だろうか」

 そう告げた後、彼女の恋人は口元を歪めた。

「偉そうなことを言っているが、あなたもあなたで、褒められるような人間ではないだろう」

「どういう意味だ」

「私の知り合いの中に、かつてあなたの恋人だった人間が存在している。その人間が言っていた。あなたが恋人に対して、特定の格好を求めていたということを」

 その言葉に、私は目を見開いた。

 その意図が何であるのかを、彼女の恋人は気付いているのではないか。

 言葉を失った私に対して、彼女の恋人は続けた。

「その格好は、彼女とよく似ているではないか。つまり、あなたは、己の異常な愛情を他者で満たそうとしていたというわけだ。このことを彼女が知れば、どう思うのだろうか」

 醜悪な笑みを浮かべる彼女の恋人を、このまま帰らせるわけにはいかなかった。

 もしも彼女がそのことを知れば、彼女が私から離れてしまうことは確実だったからだ。

 ゆえに、私は彼女の恋人を殴り続けた。

 動くことがなくなったとしても、念のためにと、私が手を止めることはなかった。


***


 恋人が行方不明となったことで、彼女は沈んだ表情を浮かべることが多くなった。

 己が犯人であることは明かさないまま、私は彼女を慰め続けた。

 落ち込んでいる妹を慰めることも、兄の役目だからだ。

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