第30話 朝食時にて

 朝の身支度を整えた俺は、朝食を食べに食堂へと足を運んだ。

 戦闘で負傷した片膝は当然のように悲鳴を上げ、階段を下りるだけで涙目になった。

 だが、痛い痛いと嘆いていても朝食は食べられない。故に膝の痛みを気のせいだと思い込み、無理矢理足を動かした。

 そして、俺はなんとか食堂前に辿り着き、出入り口となる扉をガチャリと開けた。


 開いた扉の先にいたのは、無表情を貫く真矢さんだった。

 テーブルの上に朝食の乗った食器を並べ、壁を背にして立っている。いつものポジションだ。

 それから–––––––


「おはよ、南くん。どう? 2日ぶりの現世は」


 そう若干煽るような挨拶を口にする冴島さんがいた。

 彼女はテーブル前の椅子に座り、脚組みと頬杖をしながら食堂に入ってきた俺を眺めていた。

 その表情は先日の夜よりも優しく、美しく、余裕のあるものであり、まさに太陽そのもの。さっきまで神経に響いていた膝の痛みが一気に消え去るほどの輝きだ。


「–––––––」


 見惚れていたのか、驚いていたのか。俺は少しだけ言葉を失った。

 こんな彼女を見るのはいつぶりだ? あの夜の戦闘後の会話は何故かよく覚えていない。だから、すごく久しぶりに思える。

 俺は迷子になっていた意識をどうにか呼び戻し、口を開く。


「冴島さん……戦闘での負傷とかは、もう大丈夫なのか?」


 最初に出た言葉は、彼女の身を心配するものだった。


 先日、繁華街で勃発した怪物との戦闘。

 あの時、冴島さんは謎の白い怪物に殴られたり縛られたりして、相当な負傷を負ってしまっていた。少なくとも、俺以上には重症な筈……


 俺の言葉を聞いた冴島さんは、一瞬目を丸くすると、やがて呆れたように口を開いた。


「それ、私よりも死にかけてた人間が口にするセリフ? 残念ながら、私はあの後気を失って倒れたりだとか、2日間眠りっぱなしだったりしていないのです。というか、君をあの後担いで運んだの私なんですけど? 心配する前に感謝ね感謝。敬いなさい」


 そう言い終わると同時に頬杖を止め、目の前に並べられた朝食をもぐもぐと食べ始めた。

 彼女の手足は……問題無く動いている。

 あれだけ強く壁に打ち付けられたりしたら肘の骨とか砕けそうだったけど、意外と……元気、か? 魔術師の肉体は一般人とは違うらしいし、なんとも言えない。


「あ、うん。それについてはありがとう。大丈夫なら全然いいんだ。むしろ良かった。冴島さんがなんともなくて」


「他人の心配よりも自分の心配しなさい。私と違って無駄に負傷まみれなんだし、何よりも2日間飲まず食わずなんだから。とりあえず、今は食べて。話はそれから。君も言いたいことあるだろうし、私も言わなきゃいけないことがあるから」


 そう言いながら、彼女は味噌汁をズルルとすする。

 ……まあ、確かに冴島さんの言うことはごもっともだ。

 今、一周回って気持ち悪いくらいにはお腹が空いている。

 だから、今は自分のことを考えて、彼女の言うことに従おう。


「……分かった。そうするよ」


 頷き、承諾する。

 そして、俺は席に座って朝食を食べ始めた。





「ごちそうさまでした」


 朝食を食べ終わる。

 今日のメニューも和食であったが、真矢さんの心遣いでどれも胃に優しく、食べやすいものであった。流石メイド、2日ぶりの胃の調子を知り尽くしている。


 食べ終わると、真矢さんによって食器が回収される。

 カシャカシャと皿同士が接触し、擦れ合いながら、回収台に乗せられて運ばれていく。

 最終的にテーブルに残されたのは、紅茶の入ったティーカップのみであった。


「……」


 ほぼまっさらになってしまったテーブルの上。

 俺はそこに残されたカップを手に取り、中身を口に含む。当然、そこにマナーなどはない。


「……」


 紅茶を飲むのは目の前で座る冴島さんも同様。だが、俺とは違ってマナーがあり、優雅で美しく無駄のない動きだった。


 やがて、お互いにカップを口から離し、ソーサーの上にカチャリと乗せる。

 訪れる落ち着きのある沈黙。嫌な気分や焦り、戸惑いなどは存在しない。そんな良い空気だ。

 ……だが、そんな空気にもやがて終わりは訪れる。


「じゃあまず、あの後について色々と話そっか」


 冴島さんが口を開く。

 俺はそれに対して頷いた。


「ああ。この2日間の説明を頼む」


「よし、じゃあ順を追って説明するね。まず、今回の騒動について。今回の騒動は魔術協会の隠蔽工作によって、爆発魔による猟奇殺人という形で世に広められることになったわ」


 話が始まった途端、俺の頭上にハテナが浮かんだ。

 魔術協会……初めて聞く言葉だ。

 故に、早速疑問を投げかけることにした。


「魔術協会? それ、何?」


「魔術協会っていうのは、一般人にも分かるように説明すると、魔術師によって作られた政府みたいなものよ。魔術が未来永劫発展し、一般社会にバレないように秘匿し続ける為に設立された世界的な組織。それが魔術協会。基本的にどの魔術師もこの協会に入っていて、私も生まれた時から加入させられた。まあ、所属してない方が珍しいくらい巨大な組織だと思ってくれて結構ね」


「なる、ほど……」


 淡々と分かりやすいように砕いて説明してくれた冴島さん。

 お陰でなんとなくではあったが理解はできた。

 魔術。魔術師。魔術協会。

 ……意外にも広い世界のようだ、魔術の世界というものは。

 裏社会を知る、とか。

 都市伝説は本当だった、とか。

 話を聞いてる感じ、そんな感覚だった。


 冴島さんは話を続ける。


「で、情報の隠蔽はされたものの、繁華街の交差点はしばらくの間封鎖。実際の現場は爆発による殺人だと説明できない状況だからね。とりあえずはこれで事態は収束へと向かってる感じ。ここまで分かった?」


「まぁ、なんとなくは。トレーディングカードゲームのルール程度には」


「その例えは分からないけど、なんとなくならよし」


 コクコクと彼女は頷く。なお、トレカの例えは分からなかったご様子。


 そして、彼女は話を進める。


「次に、あの白い怪物について。正直なところ、アレについてはまだ話すことがない。だから、ちょっと、何も言えない」


「何も言えないって……どういうことだ?」


 首を傾げて理由を問う。

 魔術師である冴島さんでも分からない……? まぁ、でも、無理もないか。使った本人でも分からない呪いかけてくるしな、この人。


 冴島さんは一度腕を組み、少し天を仰ぎながら言う。


「ざ、残念ながら分からないんです。仮説しかないので。まぁそもそも、私もあの時が初見だったからね。これに関しては、知識のある人から話を聞いて、そこから色々と話し合わなきゃならないかな?」


 仕方ない仕方ないと言わんばかりの冴島さん。そして彼女はテーブルに置いていた紅茶のカップを再び口にし、中身を飲む。

 だが、そんな彼女の言葉の中で、一つだけ謎だと思ったことがあった。


「知識のある人……? それってどういう……もしかして、同じ魔術師ってことか?」


「うん、そう」


 俺の言葉に彼女は頷く。

 そしてカチャリとカップを置いて椅子から立ち上がる。


「そこで、ちょっと今日は外出をする必要がある–––––––君も一緒にね」


 ニヤリと。彼女はイタズラをする子供のような笑みを浮かべる。その対象はもちろん俺だ。

 そんな彼女の言葉に俺は「ん?」と声を漏らし、首を傾げた。


「……俺も?」

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