第25話 Hit and away
「ああ、もう! クッソ!」
走りながら文句を吐く。
それもそうだろう。逃げ出そうとか考えておいて、結局はこれだ。俺はとことん、怪物やら化け物やらに一発殴ってやらないと気が済まないらしい。
「でももう、いい!」
後悔はある。だが今さらだ。動き出してしまった体はもう止まらない。恐怖を乗せ、体は真っ直ぐ怪物のいる中心部へと向かっていく。
白い怪物が、俺の存在に気がついている様子はない。
顔どころか触手の牙すら俺に向けることなく、目の前の冴島さんに勝利の笑みを見せつけている。
恐らく目の前の獲物に意識が集中しているから、その他のことが一切眼中に無いのだろう。知能が低いのだろうか。そんなことをするのは生まれたばかりの子供くらいだ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
だが、これはチャンスだ。
気づいていないのなら近づくのも容易。不意打ちが可能だ。
一撃……たった一撃でいい。殺し切れるかは分からないが、それで冴島さんを救い出すことはできる。
「–––––––やれる」
怪物との間合いが縮まる。
到着までの時間はおよそ2秒。
接触と同時に能力を使い、敵の顔面に拳を叩き込む。
もしかしたら気づかれるかもしれない。瞬きをした瞬間に、怪物がこちらを向いているかもしれない。
だが、正直なところ心配はそこまでない。
先程繰り広げていた冴島さんとの戦闘を思い出すと、奴は常に平然として攻撃を避けようとしていなかった。
理由は分からないが、恐らく奴には"自分が決して傷つくことはない"、という絶対の自信があるのだろう。
なので、俺はそんな怪物の特性そのものを利用する。
何せ奴は、俺の握っている手札を知らない。
ならば、それは俺にとって最高のアドバンテージ。"未知"の生物には、俺の持つ"未知"をぶつけるしかない。
そして、とうとう白い怪物の真横に到達する。
"–––––––"
予測通り、怪物は俺の存在にまだ気がついていない。
いや或いは、気がついているが敵として認識していないのかもしれない。そこら辺を歩く蟻のように、空を飛んでいるカラスのように、俺を無害な生き物として認識しているのかもしれない。
だが、どちらにせよそれは好奇。俺の拳を叩き込むには、十分な状況だ。
「–––––––」
左拳を握る。
力を込める必要はない。けど、込めずにはいられない。
故にガッシリと、指を折り曲げ固める。
そして、握った拳を後方へと引き、溜める。
その動作時間、およそカンマ5秒。
俺は片腕をその状態で固定したまま、バッと赤い池を蹴り、前へと跳ぶ。
そして–––––––
「がああああ!」
雄叫びと共に、渾身の
–––––––瞬間、パキリと、俺の、脳が、割れる。
"ッ⁈⁈⁈"
グニャリと。笑っていた怪物の顔が歪む。
叩き込まれた拳は、一切傷を負うことのない怪物の顔へめり込む。
そして、俺は重たい質量をそのまま殴り切る。
瞬間、平然と勝ち誇っていた怪物は立っている状態からフラッとよろけ、そのまま倒れた。
同時に、拘束されていた冴島さんが宙から血の水溜りへと落下する。
彼女の体に巻きついていた触手はグッタリと力が抜け切ってしまっており、先程までに見せていた力はとうに無くなっていた。
どうやら、本体である白い怪物が倒れるのに釣られ、下僕である触手もダウンしてしまったらしい。
「冴島さん!」
着地した俺は、ズキズキと響く頭の痛みを我慢しながら冴島さんに近づき、血の水溜まりから抱き上げる。
すると、彼女は瞳を薄っすらと開いて俺を見る。
「なんで、君が……?」
ダメージのあまり会話が不安定のようだ。
しかし、彼女の無事に俺は安堵する。
「よかった、生きてる! 待ってろ、すぐに安全な場所へ–––––––」
そう言い、俺は血で染まる彼女を両腕で抱え、持ち上げる。
そして、地面に転がっていた冴島さんの刀も空いている手で回収する。
"……"
怪物は動かない。泥になって消滅していないところを見ると、まだ死んではいない様子だった。
ここでトドメを刺す、というのも手ではあるのだが、多分これ以上やると俺が壊れる。
なので今は、とりあえず逃げることが最優先。
俺は彼女と刀を持って、交差点から一度離れた。
「とりあえず、ここで身を隠そう」
俺は冴島さんを抱えながら交差点を離れ、繁華街内にあった無人の喫茶店に入り込んだ。
場所としてそこまで広くないところだが、この喫茶店ならばソファーがある。椅子よりも柔らかいから、冴島さんも楽にできるだろう。
「よいしょ」と息を吐きながら、冴島さんをソファーに座らせる。
「南君……なんで来たの?」
無数の傷を負った冴島さんが口を開く。
時間が経ったからか、彼女の意識は徐々に安定の傾向を見せ、今では普通に会話ができるようになっていた。
「なんでって、それは……心配だったから」
「ふざけたこと言わないで。今朝言ったでしょ? 覚悟の無い人間はただの足手纏いだって。今回は運が良かったけど、普通ならあんなっ、ウグッ」
喋っていた冴島さんは口を止め、体の痛みによって苦しみだす。
「冴島さん、ダメだっ。そんな一気喋ったら、傷がさらに悪化するだろ?」
肩を支える。
冴島さんは「クッ」と目を逸らし、悔しそうな顔を隠す。
窓から差し込む月明かりが彼女を照らす。
……辛そうだ。恐らく、あの怪物の攻撃で骨や臓器がやられているのだろう。
それに加えて、彼女の肌には無数の切り傷、打撲が付いており、赤い髪はボサボサになってしまっている。
極め付けに、この彼女の顔。憎しみ、悲しみ、その全てが練り混ざった表情。屈辱を拭えない負けた心。
「ぁ–––––––」
ほんの小さい声が漏れる。
俺は、そんな彼女の姿を美しいと思った。
手も足も出ずに、ダメージも与えられずに殴られ、縛られ、屈辱の色に染まってしまった彼女の姿を、不純だと分かっていながらも、愛おしいと感じた。
–––––––けど、それは違う。本当に見たい彼女の姿はこんなものじゃない。
本当に見たいのは、笑顔でいて、イタズラっぽくて、元気溌剌な、あの彼女だ。
だからこそ、俺はそんな不純を否定しなければならない。
彼女が、冴島さんが、笑っていられるように……だから……
「……ああ、そうだ。ここに来るまで覚悟なんて無かった。中途半端で、極端で、強引で、傲慢な思いでここまで来ていた」
口にする思い。ここまでの告白。
俺に肩を掴まれている冴島さんは逸らした瞳を動かさず、耳だけを向けている。
だがそれでいい。
「当然そこには、冴島さんの言う覚悟なんてものは無かった。現に、冴島さんが戦ってた時、俺は足がすくんで動けなかった。心があまりにも決まらなくて、動き出せたのはあんな不意打ちどき。こんなんじゃ、何の為にここに来たのか……」
首を横に振り、自身の弱さに呆れる。
あの時、俺があの戦いの場に入り込んでいれば、冴島さんがここまで傷つくことはなかったかもしれない。そういった後悔があった。
そして、俺は続ける。
「……でも、今の冴島さんを見て、覚悟は決まった。多分これが、冴島さんの言う覚悟なんだと思う」
真っ直ぐ、正直に。月に照らされる彼女の肩を掴みながら、俺は言う。
「だから……もうなんでもいい。餌にでも囮にでも、なんでも好きに使ってくれ。俺、命を賭けて、冴島さんを手伝いたいんだ」
口にする言葉に嘘偽りは無く。心から、彼女の為に尽くしたいと。俺はそう付けだ。
その言葉を耳にした冴島さんは、最初は目を逸らしながらの「……」という反応しか見せなかった。
しかし–––––––
「……ん? ちょっと待って? 今の私を見て覚悟決まったって、なんで?」
意味が分からない、と。彼女は頭にハテナを浮かべる。
「え? なんでって、そりゃあ……」
「そりゃあ?」
「……なんでと言われると、う〜ん……と、とりあえず、なんだか決まったんだよっ。なんだか」
「そのなんだかが凄い気になるんだけど? 理由聞かなきゃ納得いかないし」
首を横にする冴島さん。
正直なところ、理由なんて言えるわけがなかった。"笑ってて欲しいから"とか、なんか恥ずかしいし。
「まあ、とにかく。今はあの白い奴だ。どうする、冴島さん」
無理矢理話を切り上げ、話を本題へと移す。
未だに納得のいかない冴島さんだったが、話に入るとすぐに気を切り替える。
そして、座っているソファーの背後の窓の外を眺めながら口を開く。
「……撤退はしたくないわね。このままアレを放置してると、もっと手が付けられなくなるかもしれない。だから願わくば、ここで仕留めたい」
目を細め、窓の外を見渡す冴島さん。
窓の外に白い怪物の姿は未だ見えず、しーんと静まり返っている。恐らく、奴は交差点にいるのだろう。
つまり、今のところはまだ安全。気を抜くことはできないが、作戦を立てるには十分な感じだ。
「じゃあ……冴島さん、動けるの?」
冴島さんに尋ねる。
言わずもがな、彼女の体は既にボロボロ。歩くだけで吐血しそうなくらいの死にかけだ。
だが、そんな俺の問いに彼女は軽く頷く。
「大丈夫、問題ないわ。魔術師は一般の人と体の作りが違うの。だから多少の時間があれば、ある程度動けるくらいにまでは回復する。だから、1回の戦闘ならできなくはない」
少しだけニコリとしながら冴島さんは言う。
しかし、それでもだ。
「でも、その負傷は流石に難しいんじゃないか? 骨も内臓もやられてるだろ?」
「そう、そこそこ。あくまで戦闘はできなくはないだからね。当然動くと痛むし、支障も出る。だから、決して万全じゃない」
彼女はそう言うと苦い顔を晒す。
それもその筈。これは非常に痛い。奴の動きに対応できる人間は、この町で冴島さんしかいない。
故に、そんな人が万全ではないというのはあまりにもリスキーだ。
ならば、どうするか……
「……なら、俺が囮になろう。その間に冴島さんが–––––––」
「無駄無駄無駄。あいつに刀の刃通らないんだし」
刀の刀身を見せる冴島さんに却下される案。いや、不可能と判断されたのか。
「刃が通らない?」
「そう、色々あってね。あの怪物の周りには"魔力障壁"っていう見えない壁があってね。それがどう頑張っても突破できない。君も見たでしょ? 私の攻撃が全然効果無かったところを」
「言われてみれば」と、あの時の戦闘を思い出す。
振るわれた彼女の刀は、明らかに怪物にヒットしたものの、その白い肌を傷つけることは一切できていなかった。
……そう思うと、確かに俺の案ではどうしようもできない。
では……だとするのなら–––––––
「じゃあ、どうするっていうんだ? 冴島さんが奴を殺れないのなら、もう万事休すじゃないのか? どうしようもできないんじゃないか!」
声を荒げる。
何せ案が無い。というよりも、対抗手段がない。
俺の能力を使うとしても、そもそもあれは近距離できなきゃ意味がない。いや、やれなくはないが、確実に殺せるという確証はない。失敗した場合は、むしろ俺が自滅してしまう。
故に万事休す。奴を倒す方法など、この町には存在しないのだ。
……だが、頭を抱える俺に対し、冴島さんは言う。
「–––––––まあ、万事休す、とまではいかないかな。何せ私達には、切り札があるんだし」
ふふんと鼻で笑うかの如く。彼女はイタズラじみた笑みを浮かべている。
切り札……俺は藁にもすがる思いで聞き返す。
「切り札……あるのか? まだ手が」
「うん。あるよ、1つだけ。奴を殺せる方法が」
「1つだけって……それは一体……」
考えつかなかった案がある。それも、"切り札"というものを使えば、倒せるかもしれない。
……希望の光が見えてくる。まだ、諦める時ではなかった。
そして、彼女は笑みを浮かべながら、人差し指を下から上げ–––––––その指を俺へと突き刺す。
「……君だよ、南君。奴を殺せる唯一の作戦における最大の要。–––––––私達の、切り札」
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