第24話 逃げない

 冷たい風が肌を刺す。

 上着を着てこなかったことに後悔したが、それも一瞬だけ。今はそんなこと、どうでもよかった。

 屋敷を飛び出した俺は、山を下り、住宅街とビル群を駆け抜け、繁華街へと向かっていた。


「–––––––」


 息が切れ、膝がくたびれ、頭が痺れる。屋敷から繁華街までは何キロも距離があったが、それでも疲れを無理矢理忘れて走り続けた。


 ……やがて、俺は繁華街に辿り着く。

 繁華街の道や店の中に人の姿は無く、伽藍堂と化していた。

 音は無く、人も無く。寂しくなってしまった無人の道。そんな道を、俺はまた走っていく。


 道中、無造作に置かれた数台ほどのパトカーの群れがあった。

 そのパトカーの影に隠れて怯えている警官も視界に入ったが、




 –––––––バンバン ガシャンガシャン


 だんだんと音が聴こえてくる。

 巨大な質量を持つ硬い何かが叩かれ、潰され、落ちる音。自動車か何かの後だろうか。ごちゃごちゃしてて、騒音であった。

 そしてその音達に混じって聴こえる金属音。鋭くて、煌めいているような……そんな感じの音だ。


「この音は–––––––」


 俺はその音に聞き覚えがあった。

 ここ最近で聴いた、新しくも鋭い音–––––––そう、それは冴島さんの持つ刀の斬撃音だ。

 間違いない。この先に彼女はいる。そう確信した俺は、この先にある大型交差点へとさらに走った。




「はぁ、はぁ、はぁ、ここか!」


 乱れた声を出しながら、俺は大型交差点前に到着する。

 ここまで来るのにどれだけの時間を要したのかは分からないが、今の自分にできる最短で来れた筈であった。

 ガシャンガシャンと、まだ交差点で音が続いている。手遅れにはならなかったようだ。

 だが–––––––


「はぁ、はぁ、体力、キッツ……!」


 到着と同時に尽きる体力。

 緊張と集中で誤魔化していた疲れが一気に表に出てきたのだろう。両膝に手を当て、下を向き、目を瞑り、朝を痺れる肌で感じながら呼吸を整える。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ–––––––」


 喉はカラカラに枯れている。

 脇腹も痛い。

 脚も過労で震えている。

 全身が痺れ、脳の思考がままならない

 が、今はそんなこと言っていられない。すぐに冴島さんを手伝わなくては。

 そう思った俺は、現場を目で確認しようと、とりあえず下を向いたままで瞼を上げた。


 –––––––そして、足下に広がる赤い地面を目にする。


「え? なんだ、これ」


 疲れとは違う震えた声。

 到着した時は何も考えていなかったので全く気が付かなかったが、俺は今、真っ赤な池の上に立っていた。

 絵の具ではないし、ペンキでもない。どろりとした赤黒い液体。それは鉄臭く、腐ったような腐肉の臭いを発している。

 まさか–––––––これって–––––––


「ウッ……」


 口元を覆い、這い上がってくるものを抑える。

 考えるな……考えるな。今は、そんなことを、考えるんじゃない!

 自分にそう言い聞かせ、熱と酸で焼ける喉を落ち着かせる。

 そして、気を紛らわせる為に下に向けていた視界を横へとずらす。

 だが、すぐ側に転がっていた"にく"を目にしてしまい、我慢できずに汚物を吐き出した。


「オ–––––––」


 ボトボト、ボトボトと。口から流れ出るぐちゃぐちゃの液体。地面の池と混ざり合い、さらなる汚臭で空気を汚す。

 そして、吐き出るだけ吐き出した為、胃袋は空っぽになった。


「はぁ、はぁ……なんなんだよ……なんなんだよ、ここは」


 半泣きになりながら、俺は恐怖と混乱で声を震わせる。

 だが逃げる訳にはいかない。俺は顔を上げ、混沌と化した交差点地獄へと目を向けた。


 視線を向ける先。そこにあるのは、地面を濡らす赤い湖。

 そして、その上で潰れている車両群。

 そして、その上に転がる無数の肉塊。

 そして–––––––白くて巨大な化け物と戦闘を繰り広げている冴島さんであった。


 彼女は刀を片手に、口から血を吐き出しながら戦っていた。

 高速で動き、魔術の弾丸を射出し、神速の一刀で白い怪物に何度も何度も斬り掛かる。


「クッ–––––––フッ!」


 険しい顔をしながら叩き込む斬撃。その動きは素人の俺でも分かるくらい無駄がなく、洗練されたものである。


"アぁいひっ–––––––"


 しかし、対峙する怪物は不気味な笑みを浮かべながら平然としている。

 そして避けることなく彼女の攻撃をその身で受けている。

 ブンブンと振るわれる刀の斬撃。だが、怪物はそれを受けても全くの無傷であった。


 彼女の斬撃は超人レベルの威力を持っている。恐らく、魔術によって威力の底上げをしているからだろう。故に、彼女の攻撃を受けたら一溜まりもないはずなのだ。


 ……にも関わらず、奴は無傷であった。

 振るわれる斬撃の数々は、怪物の肌を傷つけることなく弾かれている。それはまさに、見えない何かが怪物を護っているようだった。

 そして–––––––


「ウグッ⁈」


 怪物は冴島さんの空いていた懐に、右拳を突き出す。

 抉られる腹部。細い身では耐えられない衝撃。

 冴島さんは殴られた勢いで交差点の端にある店に吹き飛ばされた。

 ガシャンと割れる店のガラス。地面の瓦礫と血液は舞い上がる。


 静まる音。消える衝撃。

 そして、店内に吹き飛ばされた冴島さんを口だけの顔で笑う怪物。


"–––––––"


 奴は、背中に付いている口の付いた触手を冴島さんの吹き飛ばされた店内へと伸ばす。

 長く、醜く、凶悪な白い触手達。彼らは抉られた店内をガサガサと掻き回し、彼女を探す。

 やがて触手らは、ダメージを負った冴島さんの手足に巻きつき、その身を拘束しながら店内から出てきた。


「ウッ……クゥ……!」


 触手らの強靭な力により縛られ、宙を浮かせられる冴島さん。彼女は殺意のこもった鋭い目つきで怪物を睨みつけている。


"イィひ"


 怪物はその姿を見て気持ちの悪い声を漏らしながらさらに笑う。

 嬉しいのか、楽しいのか。その心の在処は分からないが、明らかに勝利を確信した顔であった。


 怪物は冴島さんを引き寄せる。

 彼女は首、両手首、両足首に巻きついている触手を振り解こうと体を動かす。

 しかし、余りにも強すぎる触手の力に抗うことはできなかった。


 怪物の眼前に連れてこられる冴島さん。

 彼女はギッとした眼光を弱めることなく、血で濡れている口元をギリギリと震わせている。


「この、怪物が……ただの怪物が……」


 吐き出される憎しみの声を。

 しかし、怪物にとっては所詮、敗者の遠吠え。醜い勝者の笑みを彼女に見せつける。

 屈辱……まさに、屈辱である。

 けど、勝敗は決してしまった。

 この戦いは、冴島さんの負けである……




 その様子を、俺は誰に気づかれることなく遠くから眺めていた。何をすることもなく、ただただ眺めていた。


「–––––––」


 震えが止まらなかった。

 息もできないし、寒気もする。全身の血の気が引いていき、心臓の鼓動が大きくなる。

 ……恐怖だ。しかもそれは赤い化け物の比ではない。生物としての恐怖、生命体としての拒絶だ。

 これだけ距離が離れてるのに、死が真横にいるように感じてしまう。

 もはや、人間が勝てる存在ではない。

 俺が手伝って、どうにかできるものじゃない。

 ……逃げよう。今ならまだ間に合う。

 目の前の惨状から目を逸らし、背中を向けて走り出そう。

 そうだ、嫌なら逃げてしまえばいい。無理することなんてない。責任とか義務とか、俺になんて無いんだから……


「……でも–––––––」


 だが、その心を口が拒んだ。

 同時に震えが止まる。恐怖はあるのに、逃げ出したいのに、何故か冷えていた体が沸騰する。

 

 そして–––––––


「……このままだと、冴島さんが死ぬだろッ!」


 バッと。体が勝手に怪物に向かって走り出した。

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