第4話 最後の願い
さらにひと月が過ぎる。
リネリカは相変わらず。
俺はと言うと、めっきり料理の腕が上がっていた。獣を仕留める腕も上がった。
ヨアスは俺の剣や弓、槍を持ち込んでくれた。山の奥は希少な薬草が手に入る代わり、怪物なども現れるらしい。ヨアスがときどき狩っていたそうだが、一度だけ梟熊と遭遇したことがある。俺の腕では撃退するので精一杯だったが、殺されずに済んだのは幸いだった。ヨアスが言うには――十分に一人前です――と。
リネリカのために二三日に一度は川の水をたらいに汲んで、水浴びをさせてやったりもした。洗濯は毎日。ただし上流から物や獲物の血を流さないようにとの注意も受けていた。祠の中は湿気易いためマットやシーツは頻繁に干した。毎日毎日、『ベッドの上の君』の面倒を見てやった。かわいく罵られながら。
◇◇◇◇◇
ある日の夜遅く、ベッドの上のリネリカの様子がいつもと違っていた。
あの泣き声のようなうめき声ではなく、明らかな泣き声を発していた。
心配して様子を見に行った俺に、泣きはらした彼女はこう言った。
「……聞いてください。私はレムのことが…………大嫌いです。これ以上は耐えられません。だから、どうか……どうかお願いです。私の命を絶ってください。この苦しみから解放してください」
「そこまで嫌いか……」
「はい、ごめんなさい……」
俺が腰の剣を抜くとリネリカはベッドの上で居住まいを正した。
剣を大きく振りかぶると彼女は目を閉じる。
振り下ろされる剣とともに肺から抜けていく空気がフッ――っと声にならない音になる。
「(ぉ…………)」
刹那、彼女が何かを呟く。
バシィッ!
「はぁイタぁ!」
リネリカの悲鳴が祠にこだまする。がしかし、とても剣で切り裂かれたような声ではない。
「プッ……なんだそれ。斬られたら痛いどころじゃないぞ。ぜんっぜん覚悟が足りない。ぜんっぜんな」
俺はリネリカの肩を剣の腹で勢いよく叩いてやった。
重量のある剣ではないが、痣くらいにはなるだろう。
「馬鹿馬鹿しい。リネ、解けたんだろう?」
「ぅぅ…………」
ベッドに突っ伏して肩を痛そうに押さえる彼女。
「わかんだよ、そのくらい。好きな人なんだから」
「私は……私はあなたを裏切りました!」
「魔法にかかってたんだろ」
「私は魔法ではないと言ったのに……」
「信じるわけないだろ」
「諦めてくれると思ったのに」
「諦めるわけないだろ。何が――お幸せに――だ」
「聞こえていたんですか……」
「リネの言葉を聞き逃すわけ無いだろ、馬鹿」
「バカはひどい……」
「馬鹿でも他の男に走られるよりはいい」
「…………そうですね」
リネリカの魔法は解けていた。
この場では原因なんてわからなかった。それがわかるのはもっとずっと後の話だ。
とにかく、彼女が元に戻ったのならまず、伝えなくちゃいけない言葉がある。
「リネリカ、お前のことが大好きだ。手遅れにしたくない。結婚してくれ」
「レームリヒト……愛しています。今までも、これからも、共に居ることを誓います」
俺は口づけと共にリネリカを抱きしめた。
◇◇◇◇◇
「ちょっとっ、あのっ、私、一昨日から水浴びをしていないのです」
「だから?」
「私、くさいですよ」
「リネの匂いが好きって言ったろ」
「もぉ!」
都合よく、こんな祠の中にはやわらかいベッドなんかもあったので、俺たちは夫婦の契りを交わした。もちろん、彼女の匂いも、柔らかさも、痺れるような口づけも取り返した。今でも思い出す、最初の口づけはあの丘での誓いの時。強引に奪われた。
そして――彼女がひと月以上抑えていた衝動と共に解き放たれたものは俺たちを強く結びつけることとなった。
◇◇◇◇◇
「聖国はこの村への補填と支援を約束し、リネリカ様、レームリヒト様への謝罪を申し上げます。誠に申し訳ない」
一ヵ月以上のち、聖国から派遣された使いの一団は、勇者一行の――正確には偽勇者一行の――働いた狼藉の謝罪と経緯の説明を行っていった。
事の真相だが、召喚によって二人の男女の召喚者が異世界から呼ばれ、そのうちの男の方――あのヤマダ――が勇者と認められたはずが、男は召喚に巻き込まれただけで、実際には女の方が本物の勇者だったらしい。偽勇者ヤマダは真の勇者の尽力によって化けの皮を剥がされ、鉱国は東、魔王領まで逃亡したという。
偽勇者ヤマダの『魅了』と『催淫』は真の勇者の力で打ち払われ、奴のその力に囚われていた人々は解放されたと言う。それがあの夜の日の出来事だったようだ。ヤマダは多くの女性を誑かしたらしい。彼女たちは国中の魔女によって癒され、そして使いの一団がひとつひとつの村を回って謝罪し、説明しているらしい。それらもまた、真の勇者様の指示だそうだ。
「なるほど、真の勇者様というのは実際に素晴らしい方なのだな」
――と父が使いに問いかける。
「はい、それはもう聖国の勇者にふさわしい方です。ただ――」
「ただ?」
「あ、いえ、聖国側が無礼を働きました故、ここに留まっていただけるか、怪しい所でして……」
「まあ、それは仕方がなかろうな。国の仕事だ」
儂らは知らん!――と言いたげな笑顔の父だった。
「――ともかく、旅の疲れを癒してくだされ。夕餉のご用意など――」
「いえ、我々はすぐに次の領地へ行かねばならぬのですが……ぁ……せっかく用意して――」
「いやあそれはそうでしょうな。このような事態、早々に収集させねばなりませぬな!」
父は有無を言わせぬ物言いで使いの言葉を遮った。当然ながら夕餉の準備などされていないのは領地の誰もが知っている。向こうに遮られなければおそらく、――夕餉のご用意などは間に合いませんでしたが――などと言って煙に巻いたことであろう。
使いの一団は早々に立ち去り、後を濁すことも無かった。
◇◇◇◇◇
「あなた、ありがとうございます。あの時、私を見捨てないでくれて」
使いが訪れた日の夜、彼女はそう言葉にした。
リネリカの言う『あなた』は以前と違ってずいぶんと艶めかしい様相を呈していた。
「改まる必要はない。俺はリネをどうしても手放したくなかっただけだ。我儘だよ」
「それでも、嬉しかったの。私は後悔ばかりで……」
「俺はそれなりに楽しかった。それもこれもリネのお陰だ」
「私は何も……」
「いいや断言できる。君が優しかったからこそ、善人であったからこそ俺は耐えられたんだ。それは間違いない」
「……私はあなたに酷いことばかり言いました」
「かわいいものだ。隣の領地の娘など、婚約者に聞くに堪えない罵倒を浴びせたそうだよ。おまけに偽勇者に攫われて……可哀そうに」
「そのことだけは今でも……何もなくてよかったと思います。考えただけで恐ろしい」
「だからね、リネが気にすることはないんだ。それに
「レムったら!」
涙目の彼女は枕を投げつけてきた。
ふわりと香草の香りがする。あの頃は香草しか楽しみが無かったな。
俺はリネリカに襲い掛かった、当時の憂いは欠片も無い。
今度また、あの祠に泊まってみるのもいいかもしれない。
そしてこの妻との幸せな日々が続くことこそ俺の願いだ。
ヤドリギの下の物語 完
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『ヤドリギの下の物語』、お読みいただきありがとうございました!
本作は未公開作品の『かみさまなんてことを2(仮)』のスピンオフ的な作品のため、短編でしかも偽勇者の末路を描いた本筋には関わってまいりません。純粋なラブコメとして書きました。
寝取られモノ好きの読者様がスマホ投げつけるような作品かもしれませんが、寝取られモノは作者本人が大好きで、その作者のための作品ですから、もしかすると波長の合う方もいらっしゃるかもしれません。
ストーリーはテンプレ的な洗脳・魅了持ちの勇者に大事な人を寝取られる(寝ては無いですけど心を盗られて)と言う導入です。導入は正直どうでもいいのでできるだけあっさり描いています。
で、この手の魅了って一から十まで悪役に便利で有利な設定が満載なのが定番です。ただ、D&DとかのRPGをやってると、例えばチャームパーソンなんかはいろいろ制限が多くて不便なんですよね。それがインスタントで発動してレジストできず、制限なさすぎとかプレイヤーブチ切れ案件な訳ですが、そんな不条理を不条理で終わらせてしまうからモヤモヤするわけです。
例えばホラー映画なんかでも、相手の存在が不条理でも対抗策が不条理によって切り捨てられない限り、割とスッキリした話になります。ちゃんと頭を使って賢く切り抜ければ生き延びられる可能性はある場合、納得感があったりします。
本作は無敵の勇者に対して、主人公が自分を抑え込んで機会を失くしたりすることなく最良の選択をし、周囲も権威に怯えることなく最大の助力を行った場合の物語となっています。そして何より、ヒロインが本来のヒロイン性を失わない点が異なります。それは単純に汚されずに済んだという話ではなく、本質は以前のままと言う点です。
この手のテンプレ展開は、ヒロインお前何モンだよ!ってくらい変貌するのがいちばんの不条理なんですよね。そりゃあ主人公だって捨てたくなります。
まあ、最初はもっとドロドロした話を考えていて、主人公もヒロインもボロボロになりながら乗り越えていく話だったんですけど、なんか途中から――もういいや――って昇華されてしまったため、ラブコメになってしまいましたw
ちなみにヤドリギというのは二人の誓い合った丘にある大木ではありません。木に寄生する植物で丸い塊に育ちます。宿主が冬に落葉すると、黄緑色のヤドリギの塊はさぞ神秘的に見えたことでしょう。聖国の象徴であり神様がヤドリギです。
そういうわけで、NTR展開希望の読者様には悪いことをしましたが、洗脳勇者ほのぼのラブコメ、ここに完結となります。
お読みいただきありがとうございました!
皆様のweb小説ライフに幸あらんことを!
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