第20話 神様と一緒に飲むお茶は美味しい



「そう言えば」


 茶菓子をつまんだあと、ふと思い出して碧玉は声を上げた。


「今回の件ですけど、あの子の父親はよく間に合いましたね。行商に出かけて、あと十日は戻ってこないって話だったじゃないですか」


 だからこそ、あの不埒者は母親の房まで忍び込もうとしたのだ。そしてだからこそ、碧玉も神様に命じられてあの庭に潜んでいた。

 一体どんな偶然があれば、あの瞬間に父親が殴り込みをかけられるのか。碧玉にはさっぱり分からない。


 果たしてどんな偶然が、あの父親を呼び寄せたのか——。


「なに、虫の知らせだ」


 首を傾げていると、三秋はさらりとこともなげに言った。


「私が知らせてやったのだ、あの男に」


 え、と思わず声が出た。碧玉は目を丸くして向かい側にいる相手を見た。

 今何を言ったのだろうか。この、怠け癖のついている引きこもりがちな神様は。


「簡単なことだ」


 このままでは何が起きるかは分かっていたからな。そう言って、彼は笑ってみせる。いつものように、風が吹き抜けるような爽やかさだ。


「このままでは何が起きるか、夢に見せてやったのだ。――そうしたらいきなり飛び起きるなり、ものすごい剣幕で駆け戻って行った。まだ夜も明けていない真夜中だというのな。あれは私も久々に驚いた」


 そう言う三秋の顔は、悪戯を成功させた子供のようだ。

 碧玉は口を開けるしかなかった。正直に言えば信じられない。

 まさか、このものぐさな相手が、こんなことをしでかすとは。


「なに、ほんの気まぐれだ」


 碧玉の視線に気づいたのだろう。彼は喉を鳴らして笑った。


「たまには神様らしく、このくらいのことならしてやってもいい」


 その笑いはいっそ清々しいくらいだ。名前の通りまるで秋のような心地よい空気が、自分たちの間を流れていく。


「ああそうだ、一つ言い忘れていた」


「……これ以上、何があるんですか?」


「いや、これはそなたも気になっているかと思ってだな。――安心してくれ、今回夢枕に立つときはちゃんと名乗っておいた」


「——」


「自分はこの町のどこそこに祀られている、神であるとな」


 そう名乗りを上げてから、要点に入った。そう言って三秋は胸を張る。


 最初こそ口を開けていた碧玉も、やがては一緒に笑い始めた。

 なるほど、確かにそれは重大事だ。どこの神様であるか名乗っておかなければ、お礼のお参りが受けられない。

 そう言う意味、今回の神様の行動は満点だ。何も言うことはない。


「……素晴らしいです、楊様」


 最初は腰こそ重かったものの、ちゃんと神様らしいことをしたのだ。その点については褒めなければ。

 今後もこの調子で気を付けてもらおう。きっとこの方には神として名を馳せる、この廟を盛り立てる、そんなつもりは一切ないのだろうけど。

 でも、やはり神様は神様だ。その証拠に、一つの家族が守られた。


 多分近いうちに、あの子はお参りにやってくるだろう。今度はきっと家族連れで。

 そのときのために、今の内に廟をもっと綺麗に掃き清めておかなければ。それこそ、この神様に相応しく。


 碧玉は茶杯に唇を寄せた。今日、三秋が淹れたのは花の香りがするお茶だ。口に含めば味と一緒に、香りまで身の内に取り込んでいるようで心地よい。まるで自分が花になったような気になる。そう思うだけで笑みが浮かぶ。


 自分は絶対に神様にはなれない。けれど、この方のためになることはできる。いや、ためになることをしていきたい。

 今までそう思ったことはなかった。誰かのためにならねばと追いつめられてはいたけれど、なりたいと思ったことはなかった。

 こんな気分でいられるのは初めてで、これがどんなものであるかは、よく分からないままでいる――。


「碧玉?」


 ぱちり、と目を瞬かせたことに気づいたのか、三秋が首を傾げる。そんな相手に碧玉は笑顔だけを返す。

 ああそうだ、と思う。


 多分こういう気持ちのことをきっと、“願い”と言うのだと。


「楊様。おかわりはお要りですか」


 三秋の手が触れる茶杯が空になっていることに気づいて、碧玉は申し出た。彼は軽く頷く。

 茶壷を恭しく手にして、碧玉は白磁の茶杯に茶を注いだ。それこそ、祭壇に供物を捧げるように。


 この方が、このお茶を美味しいと思って下さるように。


 碧玉は自分の茶杯にも新しく茶を注いだ。三秋と同じように芳しい液体を含みながら思う。――今日もきっといい日であるに違いないと。


 その証拠に、今飲んでいるお茶はこんなにも美味しい。



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神様と一緒に飲むお茶は美味しい 有宿晶 @uryou1999

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