第6話 婚姻の申し出 4



 爆弾発言から神経が立ち直るまで、いくばくかの時間が要ったと思う。


「……あの……」


 ようやく声が出せるようになってから、碧玉は姿勢を改めた。目の前にいる青年をおずおずと見る。


「結婚って、どういうものかはご存じですよね」


「男女が将来を誓い合い共に暮らすことで間違いないか?」


「そうかもしれませんけど。でも、それだけじゃないと思います」


 結婚は家と家の結びつきだ。ただ一組の男女が家族になるだけでなく、他人同士だった夫と妻の家が身内になる。一種の大きな契約と言ってもいい。

 そのために、女が男の家へ嫁ぐまでには多くの儀式を必要とする。滞りなくできなければ笑いものになるくらいだ。そのことを三秋が知らないとは思えない。


「だが、そなたには親も兄弟もいない」


 しかし、彼が気にする気配はまるでなかった。


「それは私も同じだ。もう私にはこれと言った身内はない。本来であればお互いの親に申し出るのが、そなたたちの言うところの礼儀なのだろうが、いないのであれば本人同士が話し合うしかないだろう」


「……それは……そうですけど。でも」


「あと言っておくが、そなたには通常の手順を踏む暇はおそらくない。嫁迎えのための儀式の途中であろうと、件の老人の家が金を積めば、その時点でそなたの嫁ぎ先は確定する」


 碧玉は喉を鳴らした。伯父伯母ならそうすると身に染みて分かっている。嫌がったところで気を遣ってくれるような相手ではない。


 もし老人の後妻になるのが嫌なら、早く他家に嫁ぐしかない。三秋の言うとおり、それが一番確実な方法だ。


 だが、この話はいくらなんでもでき過ぎではないだろうか。

 甘い言葉に釣られて家を出て、そのまま戻って来られなくなった娘の話など珍しくもない。この青年には似つかわしくない話だと思うが、どうしても想像してしまう。


「なるほど。――確かにいささか突然すぎたな」


 青年は苦笑を浮かべた。やはり碧玉の心を読み取っているかのような態度だ。


「私は人攫いでもなければ人買いでもないのだが……。いや、説得力がないのは認めよう。よく考えれば、そなたにはまだ名前しか告げたことがなかったな。それで信じろという方が虫がよすぎる話だ」


「そうですよ」


 碧玉は腹に力を込めた。

 少しでも怪しいと感じたときは逃げ出すつもりでいる。でも、今すぐ離れよう、という気にはならない。そのくらいには、この青年のことを自分はもう分かっている。


 いつも穏やかで、落ち着いていて、決して他人を馬鹿にしたりはしない。碧玉自身、彼から嘲われたことは一度もない。いつも真摯に接してもらっている。


「もし、今のお話がからかっているとかでないというのでしたら。――お尋ねしてもいいですか」


 もし、今以上にこの青年について知ることができれば、どうなるだろう。

 その考えは不安より期待を大きくする。もしかしたら、この相手のことをもっと信頼できるようになるかもしれない。


 普段は何をしているのか。どこに住んでいるのか。何故この廟にいつも現れるのか。知りたいことは山のようにある。


「構わない」


「本当に?」


「無論だ。そなたの疑念は当然のものだ、何でも尋ねてみるがいい」


 教えてもらえるというのなら、是非聞いておきたい。

 決心するのに長く時間はかからなかった。碧玉は緊張に身を固くしながら口を開いた。


「ではおっしゃってください楊さん。――あなたは一体何者なのですか」

「私か」


 青年はおもむろに腕を組んだ。

 碧玉はその顔をじっと見つめていた。唇から出るのは一体どんな言葉だろうか。

 道士か。学者か。文人か。それとも商人か役人か――。


「私は神だ」


 やがて聞かされたその言葉は、どの想像からも外れていた。


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