07 はじめてのデート








 水星の女神メアリは、ため息をついた。

 天界にいるメアリのため息は、地上で天色あまいろの風となり。

 街道を初夏の花で彩り、ひとびとのこころを潤わせた―――







「メアリそれ何着目? ウケルんだけど」

「ウラノ姉さん……ねぇこれ、どっちがいいと思う?」


 メアリは、初デートに着ていく服に悩んでいた。

 四女で天王星の女神・ウラノは、メアリを茶化すようにケラケラと笑った。


「デートでしょ? もっと露出あったほうがイイんじゃん?」

「ろ、露出……!?」

「したらあのもイチコロだよ♡」

「コーザさんに変なあだ名つけないでよ……」


 ピンクの髪をお団子に結んだ個性派女神のウラノは、オシャレには特にうるさい。

 メアリに似合うコーディネートを、ものの30秒ほどで選んでくれた。


 服が決まると今度は、デートの極意や注意点を、あれやこれやと指南してくれた。

 恋愛素人のメアリは、メモをとりながらウラノの教えを真剣に聞く。


「てかメアリ、ぽろっと女神だってコト、言っちゃダメだからね?

 んなこと言われたらさすがの純朴クンもドン引きだよ!」

「……ぽろっと言っちゃいそうだわ」

「そーゆーのはさ、向こうがメアリにどハマリしてからでイイんだって! 今度のデートで、メアリ沼にしずめちゃえッ☆」

「沼……」


 逆にコーザさんの沼にしずめられそうだわ、と内心考えるメアリだった。








 待ち合わせ場所に向かうと、すでにコーザが待っていた。


「コーザさん!」


 メアリが駆け寄ると、コーザは照れたようすで手をあげた。

 その姿に、メアリのこころがきゅんと弾む。


(あぁ、ダメ。私服のコーザさんも素敵……! ほんとに沼に、ハマっちゃう……)


 私服姿のコーザを見るのは初めてで、メアリはどぎまぎしながら視線をそらす。

 見慣れない服装への戸惑いは、コーザも同様だったようで。


「メアリ……すごく綺麗だ」

「っ!!」


 顔を赤くしたコーザの言葉に、メアリの身体がキューッと沸騰した。






 コーザがデートの場所に選んだのは、村からほど近い港町だった。

 市場や飲食店が多く、この周辺ではもっとも栄えている街らしい。


「とても賑やかですね」

「このあたりは土地は痩せてるけど、海産物はよくとれるからな。ほかの大陸から買付けにくる者も多い」


 メアリは、お母様ありがとう、と心のなかで母にお礼を言う。


 メアリたち姉妹の母親は、海の女神。

 母は水星の大地メルクリウス・ノアの荒廃を心配し、この周辺の海への加護を強めてくれているのだ。


「コーザさんも街にはよく来るんですか?」

「週に一回程度は、買い出しにな。

 つくった革細工を雑貨屋なんかに置かせてもらってるから、その納品にも来る」


 港の近くは海産物の露店が、さらに大通りを進むと野菜や果物の露店が多く立ち並ぶ。

 商人たちが行き交っていて、街はメアリが想像していたよりもずっと賑わっていた。


「今年は畑の実りも良いらしいじゃねえか!」

「『神無し国』の汚名も返上だな!!」

「あとは魔窟まくつさえどうにかなればいいが」


 商人たちの会話が聞こえて、メアリは複雑な気持ちになった。


(わたしはどれだけこの大地に住むひとびとを、苦しめてきたんだろう……)


 メアリは恐る恐る、コーザに尋ねてみる。


「コーザさんは……別の大陸に移り住みたいとは、思いませんか」


 脈絡のないメアリの質問に、コーザは首をかしげながら答える。


「どうかな。考えたことはない。

 ほかの大陸の暮らしを知らないから、比べようもないし」


 それもそうだ。くだらないことを聞いてしまったと、メアリは落ち込む。


「メアリは?」

「えっ」

「この国を、出たいのか?」

「それは……わかりません。でも……」


 メアリはこの大地で暮らしているわけではない。

 それでも、実りの少ない大地で暮らすひとびとの苦しみを、これまで嫌というほど見てきた。


「……手段があるなら、豊かな国へ移った方が良いのではないかと、思ったことはあります」

「……そうか」


 いっそひとびとがこの大地を捨ててくれたらと、何度思っただろうか。

 それでもひとびとは、なんとかこの地で暮らす術を模索し、生きている。


 うつむくメアリを見遣り、コーザはふっと優しく笑った。


「暮らしの豊かさを決めるのは、他人じゃなく自分なんだって、俺は思ってる」


 コーザの言葉に、メアリははっと顔を上げる。

 たしかにメアリは、ここで暮らすひとびとの想いを直接聞いたことはなかった。


「少なくとも俺は、ここでの暮らしを気に入ってるよ」


 ふいに、泣いてしまいそうになり、メアリは大きく息を吸った。

 申し訳なさ、情けなさにまじって、言いようのない安堵感におそわれる。


「また、泣きそうな顔をしてるな」

「……うれしくて。コーザさんに出会えて、よかったなって」


 コーザは照れたように鼻を掻くと、「行こう」とメアリの手をとった。

 雨あがりでもないのに、昼空にうつくしい虹がひとつ架かった。






 ふたりは手をつないだまま、街をめぐった。


 メアリにとって、人間たちのお店をめぐるのも、人波にもまれるのも、男の人と手をつないで歩くのも、すべてが初めての経験だった。


「あ! お菓子を買ってもいいですか?」

「もちろん」


 パン屋の一角で、持ち帰りのできるビスケットなどのお菓子が売られていた。


「たくさん買うんだな」

「姉たちがみんな、お菓子大好きで。わたしも好きですけど」


 籐かごいっぱいにお菓子を入れ、メアリが支払いに進もうとすると。


 「貸して」と、コーザがメアリのもつかごを取り、店主の女性に渡した。


「コーザ。今日は可愛い子連れて、どうしたの?」

「秘密。お土産らしいから、包んであげてよ」

「はいはい。ほら、お茶でも飲みながら表で待ってな」

「ありがとう」


 店主が渡してくれたハーブティーのカップをメアリに渡すと、コーザはそのまま支払いまでしてくれた。

 促されるまま、店の外に置かれたベンチに腰掛ける。


「あの、お金……」

「これくらいは出させてくれ。たいしたとこには連れて行けないんだし」

「じゅうぶん楽しいです! コーザさんと一緒なら、どこだって……」


 言いながらメアリは、しゃべりすぎた、と口をおさえる。

 コーザはまた照れたように、頭を掻いた。


「きみのソレ、天然だよな」

「す、すみません……」

「照れるけど、でも嬉しいよ」


 メアリの真っ赤な顔を見ながら、コーザはおだやかに笑った。

 街ゆくひとびとを眺めながら、ふたりは休憩がてらお茶を楽しむ。


「お姉さんがいるんだな」

「はい! 姉が6人。わたしは末っ子です」

「7人姉妹?! そりゃ、賑やかそうだな」

「みんなお喋りで、強くて……恋愛上手な、姉たちです」


 強いってどういうことだ、とコーザは思ったが、メアリの表情が曇ったことのほうが気になった。


「わたしは、恋のしかたもわからなくて、落ちこぼれなんです」


 メアリは、取り繕ったような笑顔を向ける。

 コーザには、メアリが落ち込む理由がわからなかった。しかし、メアリなりに思うところがあることは、理解できた。


「俺だって恋愛の経験はない。メアリと同じ、落ちこぼれだな」

「そんなことありません!

 コーザさんはこんなにも大変な土地で、ひとびとと協力しながら逞しく生きています。

 料理も上手で手先が器用で、優しくてかっこよくて、赤い瞳が魅力て……きで……」


 メアリはまた、言いすぎた、と口をつぐむ。


「また、わたし、ごめんなさい……」


 メアリは真っ赤な顔を両手でおおって、うつむく。

 コーザも顔を赤くしながら目をそらし、ひとつ、深呼吸をした。


「……俺は、きみが言うほどできた人間じゃない」


 そしてメアリに向き直り、コーザは少し身を乗りだす。

 メアリの右手に自身の左手をかさね、指をからめる。


(ち、か……い)


 肩が触れるほど近付いた距離に、メアリは動揺して身を固めた。


「俺だって、ただの男だ。

 そんなふうに言われたら……期待してしまう」


 いつになく真剣なコーザの表情。

 燃えるような赤い瞳で見つめられ、メアリは頭からぷしゅう~と煙が出そうだった。


「コーザ、いいところにいた!」


 甘い空気を破ったのは、商人風の男性の声だった。


「……と、すまん。デート中か」

「い、いや……なにかありましたか?」

「先日納品してくれた商品を、急遽追加で注文したくてな」


 声をかけてきた男性は、コーザの仕事の関係者のようだった。

 落ち着かない空気が破られたことにメアリはほっとして、胸を上下させる。どうやら、呼吸をするのを忘れていたようだ。


「あの、コーザさん、行ってください。わたしここで待っているので」

「あぁ、すまない。そこの角の店に居るから……お菓子を受け取ったら来てくれ」

「わかりました」


 火照った顔を手でぱたぱたと仰ぎながら、メアリはコーザを見送った。


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