05 身代わりの終わり
「……んぅ」
ドアの向こうが何やら騒がしい。まだ早朝だというのに誰かが大声でわめきたてているとわかった。まだ明け方に眠ったばかりのシルフィールにとっては迷惑極まりないが、囚人に等しい状況にある自分は文句など言える立場にない。
もぞ、と寝台から這い出て軽く髪を撫でつけているうちにがちゃりと断りなくドアが開けられた。
「シルフィール、随分な寝坊だこと……メイドの分際で偉くなったものねえ」
入って来たのはイヴェル侯爵夫人だった。その隣には当然のようにシルヴィアが立っている。自宅用の普段着だというのにごてごてとした飾り付きの水色のドレスは彼女の幼い顔立ちをいっそう強調する。子供っぽい、という感想をかろうじて呑み込んで――シルフィールは「奥様、お嬢様。おはようございます」と述べた。
「ごほ、この部屋埃っぽいわ……お母様」
「それに陰気臭い部屋ねえ。カーテンぐらい開けなさいよ!」
「……あ、お待ちください奥様……いっ」
ぱっと開かれたカーテンから突き刺すような日の光が部屋の中に差し込んだ。薄着の寝間着から剥き出しになった腕にびりっと痺れのような痛みが走る。
いきなり光を避けるように床に蹲ったシルフィールを見てシルヴィアが「なにこれ、水膨れになっているわ! 気持ち悪い……」と叫んだ。
指摘され、患部に目を遣ると光を浴びた箇所に火傷のような真っ赤に燃えた跡が残っていた。
「ふうん、太陽の光に弱いってこと……だから【蕾姫】となった娘は島の外から出られないなんて言われるのね――」
カーテンを閉めると、腕を庇うように床に倒れ込んだシルフィールをシルヴィアが冷ややかに見下ろす。顔を上げると、ひらりと左手首にルイがしていたのと同じ青いリボンがひらりと揺れるのが見えた。
「……それ、は」
「ああ、これ――式典の夜、ルイ様にいただいたのよ」
ずき、と胸の奥が訳もなく痛んだのがわかった。最近、彼がリボンを結わえていなかった理由をようやく知った。どうしてよりにもよってあのリボンを、ルイはシルヴィアに渡したりなどしたのだろう。
「でも、あんたにはそんなこともう関係ないわよねえ」
そう言って、シルフィールの火傷を負った腕めがけて靴を踏み下ろす――まるで凶器のように鋭利に尖った踵を。
「この化物がっ!」
「いっ……⁉」
容赦なく何度も踏み下ろされ、次第に感覚が失われていくのを感じた。
左腕が熱を帯びたまま動かない――骨が砕けたのかもしれなかった。
「あんた、よくも王都では生意気な真似をしてくれたわね。ルイ様に気に入られてると勘違いして、べたべたしちゃって。それがいまはどう? 床に虫みたいに這いつくばっちゃって。
がん、と鋭く床ごとシルフィールを打ち鳴らす音が室内に響いた。
「そのくらいにしておきなさい、シルヴィー」
「だって、お母様。シルフィールは私のモノを盗ったのよ⁉」
地団太を踏みながらシルヴィアはヒステリックな金切声を上げる。痛みの余り思考がおぼつかないシルフィールにイヴェル侯爵夫人が声を掛けた。
「いい、シルフィール。あんたはもう【蕾姫】なんかじゃないの。ローズレイ公爵家にはあんたがイヴェル家の血なんて引いていないただのメイドに過ぎないと告げる書状を送ったわ――代わりにうちのシルヴィアがルイ様の妻、【蕾姫】になる、とね」
「う……」
夫人はシルヴィアの肩を押さえて宥めながら、シルフィールを冷ややかに見下ろしていた。
「所詮、あんたはシルヴィーの身代わり、偽物なんだから……イヴェル家が侯爵家を謀ったとお怒りにはなられるだろうけれど、セゾニアの四大侯爵家の中で他に未婚の娘はいない。シルヴィアがルイ公子の花嫁になるしかないのよ――それが決まりなの」
侯爵夫人の唇が、三日月のようにいびつな形をとるのが涙に滲んだ瞳でも見えた。
「束の間に見た夢だと思って諦めなさい……そうねえ、このまま外に放りだせばあんたは死んでしまう。その腕ではまともに働くこともできないでしょうし。この部屋においてあげる――感謝なさい」
言うだけ言って、シルフィールを置いて二人は出て行った。無情に締まるドアの音と、鍵が施錠される音が静かな部屋の中に響いた。
立ち上がることも這っていくことも出来ず、床に横たわったまま見上げる。屋根裏部屋の低い天井は、ヴェリテ城とは違ってシルフィールに優しく青い光を降り注がせてはくれなかった。
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