03 甘やかな眠り

「ルイ、様――?」


 闇の中で、ルイの紅い眸が鈍く輝いていた。不穏な気配を感じ、後退ると「どうしたの」と平坦な声で彼は言う。感情が込められていない静かな声音にぞわりと肌が粟立った。どうしたの、はこっちの台詞だった。

 いつものへらへらとゆるい雰囲気が、いまのルイからは微塵も感じられない。

 一歩シルフィールが後退すると、一歩ルイに前へと詰められる。距離は変わらないのにどんどん追い詰められているような気がした。


「……ふふ、俺が怖いの? こっちはあんたの夫なのにさぁ、ひどいじゃない」

「こ、わいとかそういうのではないです、けどっ」


 あ。踵が何かにぶつかって後ろに倒れ込んだ――ぽすん、と柔らかな感触に受け止められる。そのときようやく、これがソファであることに気付いた。

 ぎし、とシルフィールのものだけではない加重で軋むソファから起き上がろうとしたものの、ルイの腕に阻まれた。

 顔のすぐ横に置かれた手は檻のように――シルフィールを閉じ込める。もう逃がさないとでも言いたげに。


「ルイ……っ、う」


 性急に口づけられ頭の中が真っ白に染まった。そのまま深くを味わうように差し込まれた舌でシルフィール自身、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた気がした。死人のように冷たい身体をしているくせに、吹きこまれる呼気は何故か熱を帯びていてシルフィールまで燃えているかのように熱くなってしまう。


「……はぁ、あんたってほんとに馬鹿で、みすぼらしくて――そのくせ血は美味しいんだよね」


 だから手放せない。そう小さくつぶやいた気がしたのは、シルフィールの気のせいだっただろうか。


「――ルイ……?」


 彼の顔はよく見えないはずなのに、苦しそうに歪んでいる気がしたのは切なそうな声だったからかもしれない。ちか、と天井の青光石がルイとシルフィールの気配を感知して仄かに灯る。

 青白い光の中で見た彼の顔は何事もなかったかのように凪いでいた。

 やはり、気のせいだったのか。そう思い安堵する以上にがっかりしていたのは何故だろう。


「……じゃあ、貰うからね」

「どうぞ」


 もう血を与えることにも慣れた。


 首筋に牙を立ててつけた傷から鮮烈な痛みと共に、喪失感を味わう。

 血の中に含まれる精気のほうが濃度が高く、ルイにとっては都合が良いらしいのだが――シルフィールの消耗が激しいから、さほど頻繁には求められなかった。


 代わりに抱き枕のように抱かれたり、先ほどのように口づけられたりといったような――まるで、初々しい恋人同士のような行為に代替えて衝動を抑えていたようだった。そちらにしてもシルフィールはドキドキして落ち着かないし、身体はあつく熱るしで困ったことにはなるのだが。

 なにしろ最中のことはほとんど記憶が飛んでしまう。熱くてくらくらして眩暈がして――気持ちが好くて。わけがわからなくなってしまうのだ。


「シルフィーは可愛いねえ、そうやって俺の言うことなんでも聞いて。なにもかも捧げてくれる」

「……それが、【蕾姫】の役目でしょう?」


 ルイの言葉には妙に棘があった。皮肉でも言っているつもりなのか、と勘繰りたくもなる。そうすることを望まれていると思っていたのに、違ったのか。言いなりになって、何もかも意に沿う行動を取る。それが贄のように捧げられた自分の役割なのだと疑いもしなかった。


「そうだよ。だから苛立つんだ」

「……意味がわからない」


 何を言っているのだろうか。どうせルイにからかわれているのだろうが、せめてもう少し凡人である自分にもわかるように話してほしい。

 なんとなくむっとしてルイの黒髪をわしゃっと掴んでくしゃくしゃにしてやると、喉を鳴らすように笑った。まるで猫みたいに。


「――あは。俺もだよ」


 ルイの柔らかな声音を耳にしながら、じわじわといつものように意識が遠のいていった。

 シルフィー。

 自分を呼ぶ甘やかな彼の声に胸を締めつけられながら。

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