03 ようこそ、王都ミニュイへ

「お久しゅうございます、ルイ様」


 石棺から漏れ出ていた濃紫の靄を潜り抜け、真っ先に聞こえてきたのはそんな声だった。落ち着いた大人の男性の声音だ。


 反射的にかたく瞑っていた瞼を押し開くと、白髪の男性が立っていた。

 老いてはいるが精悍な顔立ちで、カトルに似た僧衣のような白い衣装をまとっているため全身が真っ白なのに、日に焼けた肌ばかり浅黒い。


「セト、また百年よろしく頼むよ」

「ええ。誠心誠意お仕えいたします――此方が?」

「ああ、俺の【蕾姫】だ。なかなか美味そうな匂いがするだろう?」


 肩をすくめ言ったルイの言葉は無視して、セトは恭しくシルフィールに礼をした。


「ようこそ、お越しくださいました。イヴェル家のご令嬢――【蕾姫】様」

「……あ、いえ、こちらこそよろしくお願いします」


 鋭い眼光に晒され、かすかに身が竦んでいると、いつのまにか背後に立っていた公爵がぽんとシルフィールの肩を叩いた。


「さて、挨拶は済ませたようだね――セト」

「は。資料は既に用意してございます」

「ありがとう。ではね、【蕾姫】。それにルイ――シルフィールにこの屋敷を案内してあげなさい。しばらく滞在することになるのだから、必要だろう」


 言いたいことだけいったというようすで、公爵はセトと一緒に去っていった。

 動揺のあまりようやく周りを認識できるようになったシルフィールだったが、この部屋もヴェリテ城の広間とよく似た形状をしている。

 こちらにも巨大な棺桶があり、いまは蓋がぴったりと閉じられている。此処から自分たちは出てきたのだろう。

 きょろきょろしているシルフィールを物珍しそうに見ていたルイが「そういえば」と口を開いた。


「そういえば、あんたはミニュイは来たことあるんだっけ」

「いえ、初めてで……あ」


 まずい。

 普通この年齢の令嬢なら、王都で陛下に目通りしているはずだ。国王陛下への挨拶は社交界に出るための通過儀礼のようなものだと生粋の庶民であったシルフィールでも知っている。

 これをこなしていないと成人とも認められないのだ、本来は。


「ふうん……」


 ルイの沈黙が怖くて、目を逸らしていると「まあいいや」と心底どうでもよさそうに言った。


「いいんですかっ……⁉」


 それはもう、願ってもないし、助かるけれども。ルイは腕組みしながらシルフィールを一瞥する。


「俺も久しぶりだからあんたに流行りの店でも案内でもさせようと思っていたんだけど、当てが外れたな、ってだけ」

「は……やり」


 シルヴィアが取り寄せていた雑誌や捨てられる直前に盗み見た新聞の知識を記憶の隅っこから引きずり出す。


「あ……いま、淑女の間では質のいい素敵なリボンを持つのが流行なのです! 二本買って恋人同士はお互いの腕に結わえ合うとか――って、興味ないですよね」

「っふふ、いや……実に興味深いよ」


 ルイが笑っていた。どうせ子供っぽいとかなんとか思われたのだろう。もう少しましな情報を拾い集めればよかった。


「……じゃあ、行こうか」

「え、どちらにですか……?」


 ルイがにや、と笑みを深くして言った。


「どこって決まっているだろう。リボンを買いに行くんだ」

「な……っ、揶揄からかっているんですか? ねえ、ルイ。待ってください、せめてちょっと休憩してからでっ」

「俺にとって休むってことはあんたから精気と血を分けてもらうってことだけど? そしたらもう、今日は動けなくなっちゃうだろうねえ。観光どころじゃなくなる」


 それは一理ある――が、しかし。

 足をもつれさせながら、ルイとローズレイ公爵邸の廊下を走っていると、茶の準備をしていて通りがかったセトに「駆けるのでしたらお静かに、気品を持って」と叱られてしまった。

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