05 脱走

 嫌な予感がしなかった、といえば嘘になる。


「聞いてない聞いてないよっ……!」


 シルフィールは自室に戻るなり寝台に飛び込むとじたばた手足を動かして藻掻いた。目を閉じれば、あの悪夢のような光景がよみがえってくる。


『君には、一晩この中で過ごしてもらう』


 食事のあと、シルフィールは婚礼の儀の内容について、ローズレイ公爵から説明を受け――そして青ざめた。

 婚礼の儀とやらは単純に結婚式のようなものだと思っていた。神の前で永遠の愛を誓って、花嫁としてお披露目される程度のものだ、と。実際の会場に赴いて、その予想が大いに外れたことを知った。

 

 婚礼の儀の会場となるのは、シルフィールがヴェリテ城で真っ先に案内されたあの薄暗い――地下墓地のような場所だった。


 高い天井から降り注ぐ青光の中、公爵のあとを追って歩いていくと以前も見かけた祭壇が正面に現れた。


 右手に四基、左手に四基。

 そして中央に一基。

 合計、九つの石棺が配置されたこの空間を前にすると足元からぞわりと冷気のようなものが這い上がって来るのを感じた。


 世間から忌み嫌われる怪物公爵。薔薇の一族。そして百年の眠りから目覚めたのは、花嫁の血を啜る公子――「吸血鬼」。


 改めて目にするとこの石棺の意味していることが理解できたような気がした。


『この、中とは……』


 震える声でシルフィールが尋ねると、ローズレイ公爵はすっと石棺のうちのひとつを指し示した。


『【蕾姫】にはこの石棺に、ルイと共に入ってもらう……ルイが渇望に負けず、君の精気を吸い尽くして「花」を枯らさなければ婚礼の儀は成立する』


 花、枯らす。意味がわからないはずなのにその言葉ひとつひとつが発する危険な信号のようなものをシルフィールは感じ取った。

 ねえ、と隣に立っていたルイが冷ややかな声で呼びかける。


『いくら言葉を飾っても意味ないでしょ。この子が気に入ったからって取り繕うのはもうやめたら?』


 その瞬間、ぞくっと肌が粟立ったのがわかった。ちら、とルイはシルフィールの方を見遣る。


『婚礼の儀が失敗すれば、あんたは死ぬ、ってこと――回りくどい言い方はやめなよ、


 淡々と言い放ったルイの声がずしりとシルフィールの身体にのしかかっていた。

 死ぬ。私が。そんな、おぞましい儀式で冷たい棺桶に、ルイと閉じ込められて。

 ――殺される。


「……よし」


 逃げよう――そう覚悟するまでさほど時間はかからなかった。

 婚礼の儀が始まるのは明日の午前零時、ほぼ丸一日あるわけだ。使用人は二人、ローズレイの人間は二人のみ。つまりほぼこの城は無人なのだから、隙を見て逃げ出すことは不可能ではない。


 この島に来るのに使った舟、あれを確保して漕いでいけばいい。なにしろシルフィールは体力には自信があるのだ。むしろメイド時代に鍛えたそれぐらいしか取り柄らしきものがない。


 薄くドアを開け、まず周囲に気配がないことを確認する。

 複雑な構造の城ではあるのだが万が一に備えて、この城に入って来た時の扉までのルートは頭に叩き込んでおいたのが功を奏した。

 素早く、出来る限り物音を立てないように移動し目的の廊下まで出ると勢いよく走った。就寝用ドレスのスカートは邪魔だから短くなるように裾を結んでいる。それだけでも十分すぎるほどに身軽だった。

 地下の港まで続く階段と城を隔てる古びた両開きのドア、その前に立ったところでシルフィールは気づいた。


「鎖……どうしよう、これ」


 銀色の鎖が厳重に扉の取っ手に絡まっている。複雑な結び方をしてあるせいで鍵がかかっているのに等しい状態だった。なんとか解いてみよう、と手を伸ばそうとしたときだった。


「そこで何をしていらっしゃるんですか――【蕾姫】様?」


 真っ白な装束を纏った使用人カトルが、細い眼をわずかに見開き立っていた。

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